第13話 そういえばうち、宿屋でした。
「ただいまー!」
野菜の入った袋を抱えてForest亭の扉を開ける。
その瞬間、ふわりと温かい匂いが鼻をくすぐった。
(あ、いい匂い)
香ばしく焼ける肉の匂い。
ことこと煮込まれている野菜の甘い香り。
焼きたてのパンの匂いも混ざっている。
厨房の方からは、
ジュウゥゥ――。
と、肉の焼ける音が聞こえてきた。
「ヤトー! 三番、肉料理もう一つ追加!」
「分かった!」
食堂から飛んだママの声に、厨房の奥からパパの返事が返ってくる。
「フルコ! こっち焼けたぞ!」
「今行く!」
ママは厨房の受け渡し口から料理を受け取ると、そのまま慣れた手つきで客のテーブルへ運んでいった。
「お待たせしました!」
「おお、うまそうだ!」
「熱いから気をつけてくださいね」
(今日も忙しそうだなぁ)
Forest亭は宿屋だけど、一階の食堂は宿泊客じゃなくても利用できる。
だから食事時になると、泊まっている旅人だけじゃなく、近所の人たちもやってくる。
「ママー!」
「あら、ルマ。おかえり!」
「買ってきたよ!」
「ありがとう。パパに渡してきてくれる?」
「はーい!」
野菜の袋を抱えたまま厨房へ入る。
食堂とは違って、こっちはさらに熱気がすごい。
大きな鍋からは白い湯気が立ち上り、鉄板の上では厚めに切られた肉が音を立てて焼けている。
その前に立っているのはパパだ。
「パパ、これ!」
「お、帰ったか」
「じゃがいもと、にんじんと、たまねぎ!」
「ちゃんと買えたんだな」
「うん!」
文字は読めなかったけど。
そこは今、言わなくてもいいだろう。
「そこに置いといてくれるか?」
「はーい!」
袋を置いて、私は大きな鍋を覗き込んだ。
白くとろりとした汁の中で、肉や野菜がごろごろと煮込まれている。
「パパ、これなに?」
「野菜と肉の白煮込み」
「しろにこみ?」
「ああ」
(……シチューだ)
どう見てもシチューである。
「これ、しろにこみっていうの?」
「そうだけど?」
(そのまんま!!)
まあ、この世界にシチューという名前がないのなら仕方がない。
「パパ」
「ん?」
「あじみ」
「さっきしただろ」
「…………」
バレている。
「あれはいっかいめ」
「味見に二回目はない」
「けち」
「夕飯まで待て」
「はーい」
仕方なく厨房を出る。
背後ではまた、
ジュウゥゥ――。
と肉の焼ける音がした。
「ルマ!」
「ん?」
今度はママに呼ばれる。
「帰ってきたばっかりで悪いんだけど、これお願いしてもいい?」
渡されたのは、パンの入った小さな籠だった。
「どこ?」
「三番のテーブル」
「わかった!」
「走らないでね」
「はーい!」
私はパン籠を両手で持って、食堂へ向かった。
◇ ◇ ◇
夕方が近づくにつれて、Forest亭はどんどん賑やかになっていった。
「いらっしゃいませ!」
「フルコ、空いてるか?」
「奥の席どうぞー!」
「今日のおすすめは?」
「白煮込み! ヤトが朝から煮込んでるから美味しいですよ」
「じゃあそれにする!」
「はーい!」
ママが笑顔で注文を取りながら、テーブルの間を行き来する。
Forest亭のホールは、ほとんどママの独壇場だ。
常連さんの好みも覚えているし、初めて来た旅人にも気さくに話しかける。
「今日はどちらから?」
「北の町からだよ」
「あら、遠いところから。お疲れでしょう?」
「いやあ、ここの飯がうまいって聞いてね」
「それ、ヤトに言ったら喜びますよ」
そう言いながらママが笑うと、相手もつられて笑った。
その向こうでは、仕事を終えたらしい男の人たちが大きな声で話している。
「それでこいつがよ!」
「お前、それは言うなって!」
「はははは!」
あちこちから喋り声と笑い声。
カチャカチャと食器が触れ合う音。
椅子を引く音。
扉が開くたびに、「いらっしゃいませ!」というママの明るい声が響く。
厨房からは、
ジュウゥゥ――。
コトコトコト。
時々、カンッ、と鍋や調理器具が触れ合う音。
「フルコ! 白煮込み二つできた!」
「はーい!」
「肉料理ももう出る!」
「四番ね!」
「ああ!」
姿は見えなくても、パパとママの声が食堂と厨房を行ったり来たりしている。
その間を、焼いた肉の香ばしい匂いと、温かい煮込みの香りが漂っていく。
(なんか……)
私は空になったパン籠を抱えながら、食堂を見渡した。
(いいなぁ、こういうの)
生まれたときからここにいるから、あまり考えたことがなかった。
Forest亭。
一階には、今いる食堂と厨房。
その上には旅人たちが泊まるための部屋がある。
そして食堂の奥の扉を抜ければ、私たち家族が暮らす家へと繋がっている。
毎日ここで目を覚まして。
毎日ここでご飯を食べて。
毎日この音を聞いてきた。
(そういえば、うち宿屋だったな)
今さらである。
◇ ◇ ◇
「ルマー!」
「はーい!」
「これ、五番にお願い!」
ママからまたパン籠を受け取る。
「わかった!」
「走らない!」
「走ってない!」
「今走ろうとしたでしょ」
「…………」
なんで分かるんだ。
今度こそゆっくり歩いて、五番のテーブルへ向かう。
「おまたせしました!」
「おっ、小さい店員さんだ」
旅人らしい男の人が笑った。
「パンです!」
「ありがとう」
「ごゆっくりどうぞ!」
「…………」
男の人が目を丸くする。
ママまで振り返った。
「ルマ」
「なに?」
「どこでそんな言葉覚えたの?」
「え」
(接遇研修です)
とは言えない。
「……ママのまね!」
「あら、そう?」
「うん!」
「じゃあ、ちゃんと笑顔もしないとね」
「こう?」
にこっ。
「そうそう」
(接遇指導まで始まった)
前世でも似たようなことを習った気がする。
でも、今世のお手本はママらしい。
◇ ◇ ◇
日が暮れる頃には、食堂のほとんどの席が埋まっていた。
「うまい!」
「この肉もう一皿!」
「白煮込みも追加!」
「フルコ、お酒!」
「はーい! 順番に持っていきますからねー!」
ママが笑いながら返事をする。
「ヤトー! 肉追加!」
「了解!」
厨房ではパパが忙しそうに料理を作り続けている。
トータもパンを運んだり、空いた食器を下げたりしていた。
私もできる範囲でその後をついて回る。
「ルマ、これ持てる?」
「もてる!」
「じゃあお願い」
「はーい!」
誰かが「おいしい」と言う。
厨房からパパの料理が出てくる。
ママがそれを運んで、また誰かが笑う。
知らない旅人同士が、いつの間にか同じテーブルで話している。
いつもの常連さんが、新しく来た人におすすめの料理を教えている。
「ヤトの肉料理は食っとけ!」
「そんなにうまいのか?」
「食えば分かる!」
それを聞いたママが、
「聞こえてるよー!」
と笑う。
食堂中に、また笑い声が広がった。
なんだかここにいると、知らない人まで少しだけ家族みたいに見える。
初めて来た人も。
いつも来る人も。
同じ料理の匂いに包まれて、同じ場所で笑っている。
(……あったかいな)
前世では、仕事を終えて疲れ切って家に帰る日もあった。
遅くなって、適当に夕食を済ませた日もある。
一人で静かにご飯を食べた夜だってあった。
でも今は。
「ルマー! パンなくなるぞ!」
厨房からパパの声。
「いま持ってく!」
「走るなよ!」
「わかってる!」
「ルマ! こっちのお皿お願い!」
「はーい!」
「それ終わったらご飯にしようね」
「やった!」
肉の焼ける音がする。
温かい料理の匂いがする。
食器の音がして。
誰かの喋り声がして。
あちこちから笑い声が聞こえる。
厨房にはパパがいて。
食堂にはママがいて。
トータがいて。
奥の扉を抜ければ、リトのいる私たちの家がある。
そして私は、その真ん中を小さなパン籠を抱えて歩いている。
(……私、この家けっこう好きだな)
前世とは全然違う。
静かでもないし、毎日忙しい。
だけど。
「ルマ、お願い!」
「はーい!」
私は空になったパン籠を抱えて、またママのところへ走――
「走らない!」
「……歩いて向かった」
「よろしい!」
近くのテーブルから笑い声が上がる。
つられて私も笑った。
今日もForest亭は、賑やかだ。




