第9話 権力者の日常
「お前は何か見つけたのか?」
朴紘範は酒を口に含んだ後、尹怜を見た。その表情は、まるで尹怜の質問を待っていたといわんばかりの表情だった。
盃を卓の上に静かに置きながら答えた。
「ええ、見つけましたよ」
そうしてゆっくり顔をあげ、今度は尹怜の顔を見て静かに言った。
「三年前の寅の月の記述です」
「そうか、俺もそこを見つけた。白俊には言ったのか?」
「いえ、まだです。記述が少ないので、もう少し詳細を調べてから伝えたほうがいいでしょう」
「そうだな」
尹怜は顔を窓の外に向けた。今度は盃に酒を注ぎながら朴紘範に質問した。
「今日、俺の机の上にあった日誌を見ていたが……」
朴紘範は盃に注がれている酒を眺めていた。
「あの速度は一体何なんだ?
その、撮影の類の能力があるのか?」
朴紘範は軽く吹き出した。
「そう見えましたか?
あれは小さい時からです」
「そうなのか?」
「あ、いえ、この体の持ち主ではなく、向こうから来た私の話ですよ。
目で見た書類や楽譜をそのまま記憶できてしまうんですよ。おかげで試験では全く苦労しませんでした。
まぁ、そりゃあそうですよね。カンニングみたいなものですから」
そう言って笑っていた。
「羨ましい能力だな」
「皆そう言いますね」
* * * *
ところ変わって宮廷。
王が中宮殿(王妃の住まい)を訪れていた。
王が上座に座ると、王妃がにこやかに迎えた。
「王様、ようこそいらっしゃいました」
「王妃は位と住まいが変わっても、余にやらせることは変わらないんだな」
王はそう言いながら、うがい、手洗い、手の消毒をやってから中宮殿にようやく入れたのだ。
「はい。疫病はまだ続いております。
病原菌も生き残るために姿形を変えておりますので、第二波、第三波がいつ来てもおかしくありません。
それに疫病については、報告がまだ上がっているのでしょう」
「ああ、その通りだ」
早速部屋に酒と食事が運ばれてくる。
王妃は付きの女官に人払いを命じる。人がいなくなったことを確認してから、王に話しかける王妃。
「まずは、お酒を」
王の盃に酒を注ぎ、続いて自分の盃にも酒を注ぐ。
王が酒を口に含む姿を見て、王妃が微笑む。
「甘みがあって美味いな」
「果実酒です」
「そうか」
その後、二人はお互いに何も言わず静かな時間を楽しんだ。
その沈黙を破るように王が話し始めた。
「先日、そなたが言っていた願いの件だが……」
その時、王妃は王を見て人差し指を立てて自分の口の前に当てた。
食事が載っている前を少し右にずらし、左側から紙と筆が載っている卓を二人の前に静かに引っ張ってきて置いた。
「文字を書く遊びをしませんか」
王妃はそう言って、筆談を始めた。
"さまざまな耳があります"
王は頷き王妃の筆談に応じた。
"先日のそなたの願い、しかと聞き入れたぞ"
"始まったのですね"
"もう一つお話ししたいことがあります"
"なんだ?"
"実は、付き人から井戸に落ちた話を聞いた後から、悪夢にうなされることがあるのです"
王は頷き、文字を書き続ける。
"白俊が、そなたに話を聞きに来るそうだ"
"内医院勤務を隔週にする条件で、白俊が受けたそうだ。その話も一緒にするといい"
"では、内医院勤務のない週には、私と、ソヒョン公主のところに来ていただきましょう"
「ハハッ」
王は思わず笑う。それに釣られて王妃も微笑む。
"贅沢なご褒美を差し上げたのでしょう。働いてもらわないと"
王は微笑みながら頷いた。
"私のところに来る理由は、気分の浮き沈みが激しいのでそれを落ち着かせるため"
"心医は内医院にはいませんよね。ですので、十分に名分は立つかと思います"
王はゆっくりと首を縦に振る。
"公主は?"
「う〜ん、どうしましょう……」
「難しいわ……」
「そういえば、茶がどうとか言っていたな」
「速効葉茶ですか?」
「ああ、そうだ。何度やっても見習いと同じ味にならんと言ってむくれていたな」
"薬膳茶の淹れ方指導で十分かと。医官はそんな指導しないでしょう"
"内医院に忍び込んで医女の真似をしていた公主に会いたい医官もいないでしょうし"
「それもそうだな」
"公主も内医院で不正の記録を見つけてきて王様に差し上げたと聞いています"
「ああ、そうだ」
"国舅が大王大妃に呼び出されて、大妃にも呼び出されて、その後私のところの愚痴りに来ました"
"王に口利きをして、派の者を元の人数に戻すよう働きかけろと"
王はほくそ笑んだ。王妃は、その笑いに応えるように微笑み、その後ここまで書いた紙を蝋燭の火に灯した。
「悪いがその願いは聞けないな」
「ですよね」
「おや、王妃はそれでよいのか?」
「おそらく」
「そうか」
その後二人は、聞かれても差し障りのない、どうでもいい話を延々と続けたあと、夜の夫婦の時間を過ごした。
そんな二人の仲睦まじい様子は、宮廷内だけではなく、町中に伝わるまで時間はかからなかった。
* * * *
数日後、内医院に白俊とヨリがやってきた。
疫病の講義が始まる前に、王が内官を引き連れて内医院にやってきた。
突然現れた王に、皆戸惑ったのはいうまでもない。
白俊もヨリも深く礼をし王が通り過ぎるのを待ったが、王は二人の前で止まった。
「白俊、久しぶりだな」
「大変ご無沙汰をしております。本日は王様にお目にかかることができ大変光栄にございます」
ヨリも同じ言葉を発するが如く、深く頭を下げ、王の足元を見ている。
「二人とも表をあげよ。都提調はおるか」
そう言われ、上半身を起こし、首を下げ王の足元を見ていた。都提調は、
「はい、ここに」
といい、白俊のそばへやって来た。
「白俊、そなたには内医院勤務を週に一度命じていた。
しかしながら此度、隔週に減らす。問題ないな、都提調」
白俊は頭を下げながら、誰にも見えないように密かに口角を上げて微笑んでいた。
内心、これで魑魅魍魎な組織から徐々に離れていくことができる、そう考えていたところだった。
「都提調、内医院に心の不安定を診るのが得意な医官はおるか?」
「皆知識はありますが、専門というには少々……」
「わかった。では白俊が適任だな」
白俊は頭を下げながら、何だそれは?と考え始めた。王はさらに続ける。
「都提調、もう一つ聞く。薬膳茶を淹れるのがうまい医官はおるか?」
「さぁ、それはどうでしょう……そのようなことを特別に学んで医官になるものは少ないかと」
「では、それも白俊が適任だな」
白俊は、頭を下げながらしっかりと怪訝そうな表情をしていた。
「内医院に勤務しない週は王妃と公主のところへ行ってくれ」
白俊は思わず頭をあげて文句を言いそうになった。
「よいな、白俊」
白俊が断りを入れようとする前に王が発言した。
「白俊、断るでないぞ。余が一晩考えに考えた命だ。直ちに受けよ、よいな」
「王様の命を拝命し、真心を込めて責務を全ういたします」
白俊はそう言うよりほかがなかった。
白俊の内医院での仕事は隔週に減ったが、減った分は王妃と公主の診察で宮廷にくることには変わりはなかった。
(朴紘範、騙しやがったな……)
同じ頃、中宮殿では、読書をしていた王妃が急に立ち上がった。
王妃付きの女官である州羅宅と付き人のソヨンが王妃を見つめる。
「あ、いっけない。すっかり忘れてたわ……」
「王妃様」
「どうかなさいましたか」
州羅宅とソヨンは同時に声を出した。
「唐順希……
王様になんて言おう……」
王妃は、完全にやらかしてしまった、どうしよう、という視線を二人に投げかけた。




