第8話 サシ飲み
左副承旨尹怜は、承政院の自席で承政院日誌の確認をしていた。
先例の調査、と称して過去三年間の日誌の総点検をしているところだった。
先日、取り寄せておいた漢城府と捕盗庁の当時の日誌と照らし合わせながら作業を行なっていた。
そこへ弘文館校理朴紘範がやってきた。彼は宮中の疫病騒ぎの後、承政院知製教(王命による文書の作成を行う役職)の役も兼務することとなったため、承政院に出入りしても何ら不思議はない存在だった。
朴紘範は、尹怜の席の前に来て文書を渡した。
尹怜は頷いてその文書を受け取った。代わりに、机の上にある過去の日誌を指差し、無言で目を通せという仕草をした。
朴紘範はその場で尹怜の指示に従い日誌に目を通した。彼は物凄い速度で日誌の頁をめくり、短い時間で全ての日誌を確認した。
尹怜は眉を顰めながら、黙ってその様子を見ていた。
朴紘範は一通り日誌の確認を終えると、尹怜に言った。
「これらの資料は先にこちらに来たのですね。
文書を届けるときにまた参ります」
そう言って承政院を後にした。
朴紘範が去った後、尹怜は椅子にもたれかかり、顎に手を当て考えた。
(校理も取り寄せていたか。それはまぁいいが、あの速さはなんだ?ただ眺めただけだったのか?)
頭の中で、過去の記憶を手繰り寄せてみた。
(元々そうだったか?)
(……いや、違う。時間をかけて丁寧に見るやつだ)
尹怜はそう考えながら、先日妓楼にいった時の様子を思い出していた。
そうして、朴紘範が、見習いの書いた年表を見たのはわずかな時間だったにもかかわらず、ほぼ再現していたことを思い出した。
(むこうから来た奴の能力か……今度聞いてみるか)
そして三年前の辰の月の記録をじっくりと読み返していた。
そしてとうとう見逃せない記述を見つけたのであった。
尹怜が退庁する時、偶然朴紘範と会った。
「今帰りか?」
「はい」
「今日はよく会うな」
「そうですね」
「今日はこの後時間はあるか?」
「ええ」
「うちに来い」
「わかりました」
そんな会話をして二人は別れた。
尹怜は自宅に戻ると、使用人に自分の書斎に食事を二人分用意し持ってくるよう伝えた。
しばらくすると、朴紘範が手に土産を持ってやって来た。尹怜が迎えると、彼は手に持っていた包みを尹怜に見せた。
「適雑堂で、珍しい酒とつまみを買ってきました」
尹怜の眉間に皺が寄ったが、まずは書斎に朴紘範を案内した。
二人が書斎の席につくと、食事が運ばれてきた。簡素ではあるが、彩りもよく工夫を凝らした料理だった。
「何を買って来たんだ?あそこは開店休業状態だろ」
「ええ、ですから、適度に様子を見ておかないとダメなんですよ」
「どういうことだ?」
「おや、左副承旨殿はご存知ないのですね。適雑堂はやる気のない雑貨店ですが、ここ陽漢の流行の最先端でもあると言われているんですよ」
「は?」
「疫病騒ぎの時に、お香が流行ったでしょう。左副承旨殿が今でも首や腰元にかけてるやつです」
朴紘範はそう言って尹怜の香袋を指差した後、自分の首と腰にかかっている香袋を見せた。
「これがどうかしたのか?」
「これは最初適雑堂が売り出したんですよ。初回限定で売られたのはわずか十個でした。
この売り方が、金持ちを刺激しましてね。適雑堂限定品は自慢の品なんですよ」
「あいつら……そんなに高い値段で売ってたのか?」
「我々のは非売品だから、もっと自慢できますよ。
もっとも、この非売品を持っている我々がダシに使われてたわけですけどね」
朴紘範は穏やかに笑いながら言った。
「今日は、白俊殿から酒をいただいたので持って来ました。
試しに作ってみたら美味しかったから飲んでみてくれとのことです」
「一体、何の薬を飲ませる気だ?」
「薬ではありません。ただの焼酎です」
「ただの焼酎なのになんで試飲を頼まれるんだ?」
「キイトルソウを漬け込んだそうです」
「またあの雑草か?!」
「今では左副承旨殿も美味しそうに召し上がっておられるではありませんか」
「うっ…」
「何でも、白俊殿が、焼酎で体の中も消毒できると思う、と言う客の言葉を聞いて思いついたそうです。
もっとも酒なので飲みすぎは良くないのですが……寝る前に少しだけ飲む酒の試作品だそうです。
むこうにもあるでしょう。薬用酒というのが。アレの類だそうです」
「また毒味をさせるのか?」
尹怜は呆れたように言った。
「白俊殿が実際に飲まれたそうです。飲みすぎても二日酔いにならなかった、と言ってましたね。
試しに飲んでみましょう」
そう言って朴紘範は焼酎を盃に注いだ。
尹怜は仕方なく飲んだ。朴紘範はその姿を確認してから横を向いて口元を隠して焼酎を飲んだ。
尹怜の表情が一瞬緩んだのを朴紘範は見逃さなかった。
「ほのかに甘くて美味しいですね」
「これは……酔い潰れるまでやめられない酒の一種じゃないか?
陽漢の町中を酒の中毒患者で溢れさせたいのか、あいつは?」
「酒屋で売るのではなく、薬として売ると思いますよ」
尹怜はわずかに口角を上げた。
二人は食事をしながら、他愛もない話をしていた。
尹怜は焼酎をもう一口飲んだところで、朴紘範を見た。
「ところで校理、お前は何か見つけたのか?」
尹怜は、相変わらず歯に衣着せぬ物言いで朴紘範に尋ねた。




