第7話 噂と疑問
その日、白俊は久しぶりに自宅に戻った。
この自宅は店舗も兼ねている。疫病の件で、当時世子だった王に呼び出された時に、ヨリが所望した滞在先だった。
今なら、なぜヨリが店舗も兼ねた家がいいと言っていたか、なんとなく理解できる気がする。
そう思っているところ、早速客が来た。
週に一度来る男だ。店の入り口に準備した打ち水で手を洗い、口を濯いでから入ってきた。
「先生、お支払いに来ましたよ」
「トルモクさん、まいど!」
「先生、この店の名前、本当によく合ってますね」
「ん?なんやそれ」
「みんなやる気のない雑貨店、って言ってるんですよ。適当雑貨堂、略して適雑堂」
「売るもんなんも置いとらんからなぁ」
「たまに売ってますよね。ほら、貴重なお香と香袋とか……」
「ああ……そういやそんなもんも置いとったことありましたな」
白俊は苦笑する。たくさん売ると値崩れするとかで、金持ちだけに少しだけ売った疫病対策の小物だった。
「あれもキイトルソウなんですよね。食べても美味しいし、薬にもなるし、食べ頃を逃したらお香にもなるし、本当に不思議な草ですよね」
「ほんまやな」
「次は何を売るんですか?」
白俊は腕を組んで思わず考え込んでしまった。
「うーん、そうやなぁ…何がええやろな?」
「ここから出るものは流行するからみんな楽しみにしてるんですよ」
「それなら、考えてみますわ」
「今の私の商売も、ここが起点になっていますからね。本当に感謝しかありませんよ」
ここで少し間を置いてから白俊はトルモクに聞いてみた。
「陽漢の井戸って、よく枯れるもんですか?」
「ええ、枯れることはありますよ」
「枯れたら、どうするもんなんですか?」
「近頃では、人が誤って落ちないようにしっかり蓋をしますね」
「近頃は?」
「ええ、三年前に立て続けに事故があったんですよ」
「事故?」
「良家のお嬢様が転落して亡くなる事故が、三、四件、いや五件だったかな、まぁそのくらい事故があったんですよ」
「まだ、小さい子供やったんですか?」
トルモクは首を横に振って続けた。
「それが違うんですよ。十六、七歳だったそうなんですよ。確か一人は身投げだったとか……
当時は話題になりましたねぇ、枯れてる井戸だから見張りは置けないとかで、蓋をするっていう方向になりましたよ。
あ、土を埋めてた時期もありましたね……」
白俊は、頭の中では妓楼で聞いてきた話のことだろうなと思いながら黙って話を聞いていた。
「ところで、次に売るものは何か考えてるんですか?」
「何がええかなぁ」
「宿の女将さんも楽しみにしてますよ」
「まぁ、考えときますわ」
「じゃ、また来週来ますね」
「ほな、おおきにな」
白俊は、とりあえず水を飲んだ。それからしばらく考え込んだ。
(自殺や事故って、どないして決めたんや?)
しばらくすると、宿の女将がやってきた。
白俊とヨリが陽漢にやってきた時にしばらく滞在してお世話になった宿の女将だ。
いろんな経緯があり、宿の土地はヨリが購入し、現在は賃貸で宿を経営しているため、家賃を払いに来たのだった。
「おかみさん、まいど」
「先生、こんにちは。最近ヨリさんはどうしたんですか?」
「所用で別のところにおりますわ」
「そうですか。たまには顔を見たいもんだねぇ」
「伝えときますわ」
「ところで、おかみさんのところは、水はどうしてはるんですか?」
「近くの井戸から汲んでますよ。お客さんが誤って落ちたりでもしたら大変ですからね」
「誤って落ちる?」
「ええ、三年前に年頃の女の子が立て続けに井戸に落ちる事故があってね」
「連続ですか?」
「そうなんだよ、五件もあったんだよ。
身投げした子もいてね、ちゃんと理由があったって聞いたよ」
「理由?どないしましたん?」
「なんでも、婚約した方がとても人気のある方だったんですよ」
「へぇ、見た目ですか?」
「見た目だけでなくて、家柄もですよ。そんなもんだから、婚約後もいろんな家の方がうちは側室にという要望がひっきりなしにあったらしいんですよ」
「ほぉ、家柄ですか」
「そうですよ、領議政様の御家門ですからねぇ」
白俊はここで黙る。自殺とされている女性と繋がったからだ。
「側室を希望する家の中に、亡くなったお嬢様をよく揶揄っていた男性の家の女性がいたんですよ。
お嬢様がその女性に苦手意識を持っていたらしいんですけどねぇ」
「そんなんが、身投げの理由になるんですか?」
「結婚っていい印象ありますけどね、女の方は色々不安になるんですよ〜」
「そういうもんなんやね……」
「先生、たまには食事でもしにきてくださいよ、お一人でも、ヨリさんと一緒にでも。待ってますからね」
「わかりました。近いうちに行きますわ」
「じゃあまた来ますよ」
「ほな、おおきにな」
その後、店の前の通りでキイトルソウを使った食べ物の屋台の仕事を紹介した者数名が立て続けにやってきた。
井戸の話を聞くと皆同じようなことを言っていた。
トルモクとは違う場所でキイトルソウ饅頭(餃子)を売っている者は、疫病で宮廷が封鎖になった後、風邪予防に興味を持っている人が多いという話も置いていった。
キイトルソウのチヂミを売っている者は、風邪予防に焼酎を飲むようにしたと言っていた。手を綺麗にするなら、体の中から綺麗になるでしょう、という話をしていた。
白俊はこの話には苦笑せざるを得なかった。
白俊は、ふと適雑堂の店番を置きたいと思った。
金や情報が絡むから、誰でもいいわけではない。
こういうことを頼みやすいのは、むこうにしかいないな、と考えていた。
その後、庭のキイトルソウを刈り取り、丁寧に洗って干した。ふと顔を横に向けると、焼酎の甕がいくつかあるのに気がついた。
そのうちの一部を小さな甕に移し替え、先ほど洗ったキイトルソウを一掴み入れて、再び保存した。
家の中の作業をしながら白俊は訪問してきた人たちの話を思い出していた。
(五件って言ってたな。尹志宇、朴美香、金民娥、申英理)
(もう一人はいったい誰や?)




