第10話 天然王妃
内医院に足を運んだついでに中宮殿によることにした王。
急に立ち上がった王妃の前に王が現れた。
王妃は、慌てて上座を王に譲った。
王は、促されるまま上座につき、出てきた茶で喉を潤した。
「王妃、どうした?」
「恐れながら、長らく忘れていたことを思い出しました」
「そうか、井戸のことで何か思い出したりしたのか?」
「いえ、そうではなく……」
「焦るでない、そういう話は、話せるようになるまで時間をおくとよいだろう」
王妃は王と目が合わせられなかった。
王は再び茶を口に含んだ。
王はふと思い出したように王妃に質問をしてみた。
「そういえば、最近唐順希を見ないな。何か理由を知っているか?」
俯いたまま、だんだん表情が変わっていった。
そして、とうとう王の顔を見るのが心苦しくなったのか、ひれ伏してしまった。
「何か思い当たることがあるのか」
王妃は、ゆっくりと呼吸を整えてから声を出した。
「王様、申し訳ありません。すっかり存在を忘れておりました」
「表をあげよ。
王妃が存在を忘れるだけなら別に構わんが……」
王妃は顔を上げたが、王からは目を逸らして、しまった、という表情をしていた。
「何だその表情は?
さては何か知っておるな?」
「はい……」
そう言った後、すぐ王妃は再び王にひれ伏した。
「王様、大変申し訳ございません」
「何だ、まさか王妃……」
「はい。チョロチョロされると邪魔なので、疫病の時に封鎖して……そのままでした」
「封鎖したままだと?何をやってる?
あの場所は出入りできないよう、警備もつけたままだというのか?」
「はい……」
「早く出して、警備の者も本来の職務に就かせろ。
まったく、税金の無駄遣いだろう……」
王は天井を見てため息をついた後、王妃に顔を近づけた。
「まさか、国舅や大王大妃の指示じゃないだろうな?」
王妃はひれ伏しながら首を横に振った。
王は立ち上がり、王妃に指示をした。
「今すぐ封鎖を解いてまいれ」
「はい」
王が中宮殿を出た後、そばにいる内官に伝えた。
「側室候補の封鎖を解いた後、すぐ向かう。
今日の昼餉は、側室候補と一緒だ。準備をしておけ……」
その後、王妃は急いで唐順希の居所に向かった。
唐順希の居所
王妃がすっかり忘れていたため、未だに封鎖されたままだった。
建物の前には、警備が四人ほどおり、食事、その他必要物資を持ってくるもの以外はここには立ち寄らなかった。
物資を運ぶ女官も入れ替わりがあり、わずか数ヶ月の間に、なぜここにものを届けるのかもはやわからない状態になっていた。
外出を禁じられている唐順希は、書物を読んだり、刺繍をして過ごしていた。
色が変わりつつある木の葉を見ながら、すっかり季節が変わったと思うと同時に、いつ外に出られるのだろうかと考えていた。
王妃、いや、あの女に閉じ込められて以来何もできない。
ここには家から連れてきた付き人と、二人の女官しかいない。
この女官たちは口が硬く、何を聞いても何も話さない。
そこへ王妃がやってきたという知らせを受けた。
女官に案内された王妃が、すぐに部屋に入ってきたため、急いで上座を譲った。
唐順希の手は爪が食い込むほど、ぎっちりと握りしめられていた。
唐順希は、王妃が上座に座ったことを確認してから自分も座った。
ごく浅いお辞儀をして王妃を迎えた。その姿勢は、王妃の立場は自分のものであると言わんばかりのものであった。
王妃はその様子を見て、この女は相変わらずだ、と思っていた。
すれ違いざまの挨拶の姿勢が不敬であると、不利な噂になったにも関わらず、態度を変えない。
(ある意味気の毒な女だ……)
「唐氏、封鎖の間の勤めご苦労であった。
本日これより、解除する。
騒ぎ立てすることなく、静かに努めよ」
それだけ言って王妃は立ち上がった。
「お言葉、ありがたき幸せにございます」
唐順希はそれだけ言って、浅く礼をした。
その言葉を無視するかのように、王妃は唐順希の前を通り過ぎた後、振り返って唐順希を一瞥した。
「これより王様がおいでになる。
決してはしゃぐことなく、粗相なきよう対応せよ」
王妃はそのまま側室候補の居所を後にした。
王妃は胸の中で静かに考えていた。それにしても、あそこの女官は恐ろしいほど口が硬い。
おそらく大王大妃か国舅が回した女官であろう、と想像するのは容易なことだった。
「王様を、お迎えする準備をせよ」
唐順希は女官と付き人に指示をした。
王がここにくる喜びをかみしめると同時に、王妃に対する不快な感情が込み上げてきた。
あの女の座は本来自分のものであったはず。
あの女は後からやってくるくせに、自分のものを全て奪っていく。
なぜ私の邪魔をし、誰の許可を得て私の上に立つのだ?
とにかく気に入らない。
このままのさばらせておくわけにはいかない、必ずあの座を取り戻す。
封鎖が解かれた今こそ行動に出る時、と考え始めてから行動するまでは早かった。
付き人を呼び耳元で小さく囁いた。付き人は大きく頷き、迷うことなく建物の外に出ていった。
王がおいでになったとの知らせを受けた。
王妃に対する感情をいったん消し、王と過ごす時間を大事にしようと切り替えた。
王が部屋に来てからの態度は、先ほどまでの尊大な態度とは全く違った。
深々と礼をし、王の訪問を心から喜ぶ態度と言葉で王を迎えた。
「唐氏、これまでの勤め、ご苦労であった」
「王様よりお言葉を賜り、ありがたき幸せにございます」
「そなたを労い、今日は昼食の時間を共に過ごすぞ」
「王様の広大なるお慈悲、恐れ多くも涙が溢れるほどにございます」
二人は静かに昼食をとった。
昼食が終わり、王が去った後、久しぶりに散歩に出る唐順希。
外の風はだいぶ涼しくなり、気持ちが良い。
透き通った空の色や空気は、やがて冬になる準備をしているかのように感じた。
静かな時間だったが、王との昼食は嬉しかった。
去り際の一言も嬉しかった。
『長い間よく耐えた。
今後もそなたの忍耐力を期待しているぞ』
王の声と言葉を思い出しながら、悦に浸っていた。
自分が通り過ぎようとすると、道ゆく女官や内官たちが立ち止まり深々と礼をした。
その姿を見て、唐順希は自分に満足した。
一方、女官や内官たちの反応は唐順希が考えているものとは違った。
「まだいたんだ」
「二度と出てこないと思った」
中には、こんな者までいた。
「あの方、どなたでしたっけ?」
その頃王妃は、大王大妃と国舅に呼び出されていた。
二人の前でひれ伏す王妃。顔は床に向けたまま、このまずい状況をどうやって乗り切るかだけを考えていた。
大王大妃は呆れた表情をしていた。
誰も何も喋らないが、重たい空気が漂っていた。
「王妃、なぜ出した?」
ひれ伏したままの王妃は一瞬言葉を失った。
(えっ?なにその反応?)
「先王がお亡くなりになった今、あの者を表舞台に出す必要はないことは、王妃も知っているでしょう」
(先王の話……?)
「表をあげなさい、王妃」
王妃は言われた通りに頭を上げた。
「警備を四名つけておりました。その者を本来の職務に……」
「それは王が考えることだ」
国舅がピシャリと言った。
大王大妃の厳しい声が飛んだ。
「王妃、ぼんやりとしてどうしたのだ?」
王妃はその声に反応して再び頭を下げた。
「申し訳ございません……
まだ大王大妃様や大妃様に申し上げることはできませぬが、いくつか考えがございます」
「考え、か?」
「はい。後日いくつか案を持ってまいります。
それまでしばし猶予をいただきとうございます」
「そうかわかった。今日は下がってよい」
王妃は許しを得て、大王大妃殿を出た。
部屋に残った大王大妃と国舅は顔を見合わせた。
国舅が一言つぶやいた。
「再び暴れ出さなければよいのですが……」
「王妃となった今、それでは困る。
今は様子を見るしかなかろう」
「万一のために、備えておきます」
「そうせよ」
同じく宮廷内。
自席に座っていた朴紘範が、指でこめかみを抑えていた。




