第40話 急患
知恵が話を持ってきた医師交流会の会場についた白俊。
そこは街で一番大きな薬房だった。その奥座敷が会場だという。
名前を聞かれたので、「白俊」と名乗ると店の主人が出てきて迎え入れてくれた。
「これはこれは、よくお越しくださいました。お待ち申し上げておりました」
白俊は主人の表情を黙って見ていた。
(発している言葉とは、全然違う表情やな……)
案内されて通された中の様子を見た途端、少し前の記憶が蘇った。
それは、初めて内医院に行った時の雰囲気と何一つ変わらないものだった。
白俊は案内された末席に座ると、隣の医師が話しかけてきた。
「これはこれは、白俊先生。お初にお目にかかります。医師の安幸徳と申します。
以後お見知り置きを……」
「こちらこそよろしくお願いします」
白俊は当たり障りのない挨拶をした。そして周囲を観察するように見渡した。
約十名ほどの医師が参加していた。
(おもろい雰囲気やないか……)
会合が始まると、主催者がいきなり白俊に挨拶を振った。
「白俊先生。自己紹介をお願いします」
(ふっ、いきなりかい)
「白俊と申します。
本日はお招きに預かり大変光栄にございます。
大変珍しい貴重な症例の紹介があると聞き、この場に参加させていただきました。
皆様の素晴らしい技術によりどのように患者が回復していったのか、とくと勉強させていただく次第にございます。
どうぞよろしくお願いいたします」
(こんなもんでええやろ)
拍手はあったが、案の定、周囲の反応は冷たいものであった。
古参の医師たちは、白俊を警戒した目で見ている。またもう少し若い世代は、白俊の内医院の臨時医師の立場を狙っているようにも見えた。
もっとも白俊からすれば、内医院の臨時医師の立場など、むしろ誰かに渡したいくらいだったので、狙って奪いにくるものは大歓迎だった。
その後、淡々と症例の紹介がされていく。
よくよく話を聞いていると、ただの症状の紹介のように聞こえなくもなかった。
一ヶ月まえから夜だけ呼吸困難になる、昨晩も悪化した、そんな話だった。
「白俊先生は、直せますかな?」
と振られて、次々と自分の前に患者氏名と住まいが書かれた紙が置かれていく。
白俊は心の中で笑っていた。
(まさに手をつけられない患者の押し付け会やな……
失敗させて、廃業に導くっちゅうわけか)
そして、目の前に置かれた紙を手に取り一枚一枚確認していく。
そしてあることに気がついたのだった。
白俊は挙手して発言したいという意志を表明した。
「どうかなさいましたか?」
「すんまへん。
この紙に書かれた方々の病名は、なんですか?」
「白俊先生が診察なさって、ご自身で確認されるのが一番かと思われます」
「ここに書かれた患者さんは、先ほど紹介があった症例の方々だけですか?」
参加している医者たちが、白俊の質問の意図を測ろうとして互いに顔を見合わせる。
「せやったら、こんなんやっとる場合やないやろ」
「え?」
白俊の言葉を聞いた医師たちが驚いて声を当て白俊を見た。
周囲の様子を気にせず白俊は立ち上がって言った。
「新参者が最後までおらんですんまへんが、今日はこれで失礼致しますわ。
また参りますんで、今回と同じ方法でお知らせをいただけまへんか?」
そそくさとその場を後にして、碧桃楼に行った。
「ヨリ、急患や。知恵が持ってきた往診帳も持ってきてくれへんか」
ヨリは、白俊に指示されたものと、他に必要なものを手に取った。
「患者のところに行く前に、適雑堂に寄るで」
適雑堂に着くと白俊は知恵に指示をした。
「知恵、薬剤庫にある香水用の霧吹きを熱湯で消毒して米問屋に持ってきてや」
白俊は、自分の荷物箱をもち、薬剤庫に保存しておいた朝鮮朝顔のタネを潰したものと水を持って患者の元へ急いだ。
患者は適雑堂の八軒先の米問屋の主人だった。
白俊たちが到着したとき、主人は苦しそうな顔をして、肩で息をしていた。
その呼吸からは離れた距離からでもはっきりと喘鳴が聞こえていた。
「ヨリ、記録して。急いで」
ヨリは帳面を取り出し、病状の記録を始めた。
白俊は、主人の上体を起こして壁に寄り掛からせた。
白俊は家族にいつからどんな状態か、聞き出した。
「一月前から、毎晩こんな調子なんです」
「医者には診せたのですか?」
「昼には症状がないので、薬は処方できないと言われまして……」
「こうなるのは初めてですか?」
「いいえ、毎年この時期はこうなるんです。
でも、今年はいつもより症状がどんどんひどいんです……」
(季節性の喘鳴に、夜だけ悪化か……
この時期の何かのアレルギーやろな)
「ご婦人、ご主人が横にならないように、体を支えてください。
それから、盃一つと匙を二本貸してください」
家族が盃と匙を持ってきた。
ヨリは、すりつぶした朝鮮朝顔のタネと容器に入った水をに白俊に渡した。
白俊はタネの入った器に水を少しずつ入れて薄めた。
ちょうどその時、知恵が霧吹きを持ってやってきた。
「消毒終わりました」
白俊は霧吹きを受け取り、盃の中身を霧吹きの中に入れて潰したタネと水が満遍なく混ざるように振り続けた。
「ヨリご主人の顔を押さえて、大きく口をを開けて」
白俊はもう一本の匙を舌圧子がわりにして舌を押し下げた。
喉がよく見える状態になったところで、霧吹きの中身を主人の喉を目掛けて一吹きかけた。
「ご主人、苦しくても息を大きく吸って吐いて下さい」
主人は苦しいながらも、大きく深呼吸をした。
少しずつ呼吸が落ち着いていった。
「とりあえず、一命は取り留めました。
今晩は、誰かが横について様子を見てください
体は横にしないで、部屋の隅の壁に寄りかかれる場所に移動しましょう」
家族が主人の布団を部屋の隅に移動させた。
白俊と家族で主人を抱え、布団の上に座らせ、横にならないよう体制を整えた。
ヨリと知恵は片付けをしながら、人件費と道具使用料と薬剤費の計算をしていた。
「何か変わった事があったら、向かいの並びにある適雑堂までいらしてください」
「ありがとうございました」
知恵は婦人の前に立ち、申し訳なさそうな顔をして言った。
「こんなときになんですが……
治療の計算書です」
「あの……」
婦人は困惑した顔をしている。
白俊はその様子を見て、ヨリにこっそり聞いた。
「なんや、二人してふっかけたんか?」
ヨリは、まさかという顔をして首を数回左右に振った。
「ほなどうしてあないに驚いとんねん」
「こんなにお安くていいのでしょうか?」
「適正価格です」
「今、持って参ります」
その間、知恵は明細書と領収書をそれぞれ二枚ずつ用意し割印を押した。
婦人から代金を受け取り、領収書と計算書を渡した。
「ちなみに、もし差し支えなければ教えていただきたいのですが、
普段はおいくらお支払いしているのですか?」
「非常に短い診察時間に、全く効かないお薬で、この八倍の料金です」
今度は白俊が聞いた。
「お薬は何を処方されたのですか?」
「葛根湯です」
白俊はとりあえず相槌を打つことにした。
「そうですか。では、どうぞお大事になさってください」
三人は店を後にした。
適雑堂に戻ってから、知恵が疑問を素直に口にした。
「葛根湯って、あの状態になったら、もはや効かないよね」
白俊もヨリも同じタイミングでコクリと頷いた。




