第41話 良薬
適雑堂に戻った後、白俊とヨリは知恵から渡された往診帳と自分が渡された患者氏名票を照らし合わせた。
白俊が受け取った患者氏名票に書かれたものは、全て知恵の往診帳に書かれていた。
「知恵、往診の依頼をしてきたのは、どんな奴やった?」
知恵は、白俊とヨリに食事を出しながら答えた。
「二人いたわ。一人は痩せてて背の低い年配の男。もう一人は、背丈は私と同じくらいでぽっちゃりした中年の男。
二人とも、下男のような身なりをしていたわ」
「今度そいつらがきたら、俺のところに直接くるよう言ってくれんか?」
知恵は首を縦に振った。
翌日、白俊は朝食もそこそこに、氏名票と木箱を持って出かけた。
ヨリと知恵は顔を見合わせた。
「見習いさん、何か聞いてますか?」
ヨリはただ首を横に振るだけだった。
そこへ、米問屋の夫婦がやってきた。
「いらっしゃいませ」
知恵が、店の前で手洗いと口濯ぎをお願いしようとしたら、言われる前からやっていた。
「これはいいですね。洗いに使った水が周りに飛び跳ねないからうちにも欲しいですね」
と夫婦で会話していた。
「洗面台と言います。使った後は、水を回し入れて流していただけると助かります」
米問屋夫婦は知恵に指示された通り、水を回し入れていた。
知恵は話が長くなりそうだと判断し、二人を客間に案内した。
ヨリがお茶と菓子を夫婦に出した後、知恵と自分の前にも同じように置いた。
「昨晩はありがとうございました」
夫婦は二人揃って礼を言い、頭を下げた。
「治療のお礼として、今年とれた新米を持ってまいりました」
ヨリは首を横に振り受け取るなという合図をした。
「治療費は昨晩いただいております。
お金も受け取っているのに、このような高級なものはいただけません
師匠が怒ります」
夫婦は変わるがわる話す。
「今まで症状の出る夜に診察してくださる先生もいらっしゃらなくて本当に困っていたんです」
「昨日は特に苦しかったのですが、先生のお薬で、本当によくなりました。
あのお薬は本当は高いんですよね?」
知恵はヨリを見る。ヨリは文字を帳面に書いていた。
「先生、昨日の薬と、霧吹きを使った理由を説明してください」
知恵はヨリに話しかけるとき、あえて先生、と言う言葉を使った。
この場ではそれが相応しいと判断したのだった。
ヨリが知恵に帳面を見せたので、知恵は代読をした。
「こちらは、白俊師匠の愛弟子のヨリ先生です。
声が出せないので、私が代わりに説明します」
続いて、ヨリの方を向き、ヨリが頷くのを確認してから、代読を続けた。
「昨日の薬は麻黄と同じような効果のある国産のものです。
霧状にしたものを吸うことで腫れてしまった喉や胸の炎症を抑えるために使いました。
丸薬や水薬として摂取すると呼吸困難になる可能性があるので、炎症が治るまで待ちました」
「そうだったんですか……」
「お薬が必要な時には、必ずお知らせください。
ご自身で判断して使うのが一番危険ですから、必ずお伝えした使い方をしてください」
夫婦は真剣に話を聞いて頷いている。
「咳が出ないようにするには、風邪をひかないようにするのが一番です。
キイトルソウのお茶が予防効果がありますので、ぜひ毎日何度も飲んでください」
二人は、わかりやすい説明に満足したようだった。
知恵は、ヨリの代わりに説明をした後、お茶を飲むように伝えて自分も飲んだ
「冷めても美味しいお茶です。ぜひお飲みください」
ヨリも笑顔でお茶とお菓子を勧めた。
ゆっくりとお茶を飲みながら、お菓子を食べていると、婦人がボソッと話し始めた。
「この街も、随分変わってしまいました。
私たちは、幼い頃から、この辺りに住んでいたんですが、
昔はもっと賑やかだったんですよ」
「今は、空き店舗も多いようですが……」
「ここはもともと、申賢演とゆかりの深い土地で、皆が楽しく生活できるようと、いろんなお店があって賑やかだったんですが……」
ヨリはその話を聞くと、指先でチマをギュッと握りしめた。
「三年前にお亡くなりになってから、急に様子が変わりました」
「悪質な金貸しにあった店からなくなっていったんですよ」
「悪質な、金貸ですか?」
「ええ、本来はお金を借りる必要のないお店だったんです。
利息はないから頼むから借りてくれと……」
「断りきれなかったいくつかの店が借りてしまって、約束と違う金額を返さなければならないことになり、店を畳んで街から出て行きました」
「今思えば、井戸の事故が起きる前から、金貸しはあったのかも知れない。そんな気がしてなりません」
そう言って夫婦揃ってため息をついた。
「井戸っていうのは?」
「この商店街の向こう端からは、両班の屋敷が続いています。
両班屋敷の入り口にお住まいの両班が、そこまで敷地を広げたんです」
「屋敷の拡張工事とかのせいで井戸が四つ枯れましてね。
そこに年頃の両班の女性が落ちてお亡くなりになったんです」
知恵はヨリの方を向いた。ヨリは表情を変えず、冷たい視線で黙って夫婦を見つめながら話を聞いている。
指先は先ほどより力強く握られていた。知恵はその指先の様子まで見てしまった。
「自殺だの、事故だの言ってるんですが、あのお嬢さんが自殺なんてするとは思えません」
「それに、事故って言ったって幼い子供じゃないんだ。そんなに簡単に転落するとは思えませんよ」
「その、お嬢様方っていうのは?」
「尹志宇お嬢様と、朴美香お嬢様です。
申賢演様のご息女でいらっしゃる申英理お嬢様のご友人です」
「三人とも、とても良いお嬢さまでね。
申英理様のことはいろんな噂もありましたが、でも本当にいい方々だったんですよ」
「尹志宇様は婚約が決まったと喜んでおいででしたし、朴美香様も縁談があったというお話でした」
「申英理お嬢様は、お屋敷内で惨殺事件が起きた時、唯一逃げ切れたというお話でしたが……
今じゃどこで何していらっしゃるのか……」
「……お元気でお過ごしだとよろしいのですが」
ヨリの表情はさらに険しい表情になっていた。静かに立ち上がり盆を手に取り奥に入っていった。
夫婦はさらに話を続けた。
知恵は、ヨリの様子を目で追いながら心の中で思っていた。
(やっぱり、申英理の話になるといなくなる……)




