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眠る身体、動く身体 ーー世子嬪(王太子妃)候補たちは井戸に落ちたーー  作者: 明日葉


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第36話 鼻に抜ける味

碧桃楼は、何一つ状況は変わらず、今日も喧騒だった。

白俊は今日もノビ切ってグテんと横になっていた。

白俊の部屋では、ヨリも壁に寄りかかりぐったりしながら、知恵の持ってきた往診帳を眺めていた。

ヨリは文字を書いた帳面を白俊の方に向かって滑らせた。

白俊は近くに滑ってきた帳面を眺めてヨリに答えた。

「この中から金になりそうなところに往診に行けと?」

白俊はうつ伏せに寝っ転がりながら、器用に帳面をヨリの方へ滑らせて返した。

「恨まれるからやめとけ言うとったやないか?」

二人は帳面を滑らせて会話をしている。

ヨリの帳面を受け取ると、妓楼内で響き渡る音に負けないよう、白俊が声を出して帳面を読んでいるのだった。

「どれどれ、話したいだけのやつがいるやと?

 そういうところには、医者は行きたがらないってか、ほぅ……

 ここで聞き込みも一緒にしてこいってことやな。

 ところで、ヨリはどうするんや?」

ギコギコギギギーと鳴っている不快な音と、ガチャーンという不協な音が鳴り響く。

二人はうんざりした顔をする。

「どないしたら、こうなんねや」

ヨリは寄りかかった姿勢から、とうとう上半身をそのまま横に倒れていった。

ただ左右に何度か首を振るだけだった。

「庶民のところに行くやて?」

ここで白俊はしばらく考えた。

「ああ、そうか。

 貧困層の庶民は、普通の医者は手ェ出さんから恨まれることもないっちゅうことか」

白俊が帳面を滑り返そうとした時、まだ読んでない文字があったことに気がつく。

「今回は、ぎょうさん、字書いたな。

 なんや、庶民も意外といろんな情報持っている、か

 往診しても恨まれないように、医師の交流会に参加できるようあたってみる?

 なんや、そんなツテあるんか?

 お前はすごいんやな」


そこにいつの間にか朴紘範が立っていた。

帳面を滑らせて会話しているところをずっと見ていたらしい。

「二人とも、何をやっているのですか?」

「ああ、校理殿、この喧騒な中、よく普通にしていられますね」

「確かに強烈な音ですね。

 でも、耳元でなっているわけではないので、まだ耐えられるのでは?」

「もう何日も続いとります。

 正直、辛いですわ……」

ヨリも不思議な姿勢で寝転がりながら、コクコクと頷いている。

朴紘範はため息をついたあと、白俊のそばにいった。

「事後報告で恐縮ですが、知恵さんにお仕事を頼みました」

「ああ、そうですか。

 知恵がやると言えばええですわ」

そこに知恵が使いでやってきた。

「師匠はまだ転がってるんですか?

 あれ、見習いさんも……」

「あ、知恵どうしたんや」

「校理殿からお仕事を頂きましたので、遂行します、と報告に来ました。

 それと、陽漢の医師交流会に参加して欲しいという依頼がありました」

交流会の日時が書かれた紙を卓の上に置いた。

「では、私はこれで失礼します」

知恵は三人にお辞儀をして、さっさと帰った。


朴紘範はその様子を見て、苦笑した。

「その交流会に参加したら、他の医師たちが『ここに行くとええ』いうたところへ是非行けやと?

 多分押し付けられる、ってヨリ、なんやこれ?」

白俊は体を起こした。

「お前、それ、助からんやつちゃうか?」

朴紘範が口を挟んだ。

「それは白俊殿のお得意分野では」

「なんですか、校理殿まで。

 ん?ヨリの帳面にはまだ文字が書いてあるな……

 必ずしもそうではない、得意分野やと?」

「死が見える症状なら、庶民は頼みに来ませんし、両班も隠しますよ」

「え?ほんまですか?」

「特に両班は隠したがります。有力な家ほどその傾向が強いです。

 家の評判に関わることですから、そうした話が外へ漏れることを何よりも嫌います」

「この時代に医者が匙投げとうなる病ってなんや?」

ヨリは床を軽く叩き、帳面を戻してください、という姿勢をとる。

まだ起き上がる気になれない白俊は、帳面を滑らせてヨリに返した。

そんな様子を見ながら、朴紘範は白俊に言った。

「むこうでも、完治が難しい病気なら、色々ありますよね。坐骨神経痛とか、顔面神経痛とか、アトピー性皮膚炎とか」

「制御して症状を抑える病気やな……

 せやけど、それだけやのうて、手の施しようのない状態の患者が回ってきたら嫌やな」

「そういうのは医者も話しませんよ。

 万一話したことがバレたら自分の首も危ないですからね」

白俊は腕を組んで考えた。

「ところで、校理殿、何か用事があったんですよね」

「先ほど、知恵さんにお仕事を頼んだと申し上げたと思いますが……」

「ああ、そうでしたな。わかりました」

白俊は部屋の中を見回した。

「ん?さっき知恵がおったような気いしたんやけど……」

「用件を伝えてさっさと帰りましたよ」

「ああ……

 なんやあいつ、冷たいな」

白俊は、きちんと座り朴紘範と向き合った。

「校理殿、往診を始めることはどう思われます?」

「目的はなんですか?」

「情報集めと、生活費稼ぎですわ」

白俊は、一番の目的を省いて答えた。朴紘範は静かに笑いながら答えた。

「目的があって、やりたいと思うお気持ちがあるなら、私は止めませんよ。

 昼間のこの惨状から逃げ出すためだけだったら、往診を選ばずに他の妓楼に行くのではありませんか?」

白俊は押し黙った。

(なんやこの男。こっちの考え見透かしとるんとちゃうか……

 恐ろしいやっちゃな)


「では、私はこれで」

朴紘範が碧桃楼から出ていくと、多少静かになっていた騒音が、また激しくなった。


白俊は再びノビて突っ伏して、ヨリと帳面を滑らせながら、会話を続けていた。


「陽漢の医師交流会……

 ヨリ……とりあえずここ行ってみるわ。

 俺らの往診、それからな」


碧桃楼が、今日も喧騒な理由は、眠る身体、動く身体 ーー番外編ーー をご覧くださいませ。

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