第37話 智恵への依頼
碧桃楼が、喧騒な理由は、眠る身体、動く身体 ーー番外編ーー をご覧くださいませ。
数日後、昼間の碧桃楼では、白俊が眉間に皺を寄せてうつ伏せでノビていた。
疲れ切ってぐったりしていた。
早く落ち着いてくれんかのぅ、それともしばらく梅月閣に行こうか、などと考えていた。
部屋の扉を叩く音がした。状況から想像するに、やってきたのはヨリだろうと思った白俊。
誰が聞いてもやる気のない声を出した。
「どうぞ〜」
珍しくひらひらと歩いて部屋に入ってきたヨリ。
いつもの上品な姿はどこにもない。そして、白俊のそばで崩れ落ちるように座った。
無表情ではあるが、目には僅かな涙が浮かんでいた。
帳面を取り出し白俊に見せた。
"耐えられません。どうしてこうなるんですか?"
「俺も知りたいわ」
"往診を始めませんか?"
「せやけどお前、潰されるいうてたやないか」
"方法は考えます"
「ああ、そうか〜」
二人がへたっていると、扉を叩く音がした。
「どうぞ〜」
ますますやる気のない声を出す白俊。
知恵が使いでやってきた。
「お二人とも随分クタクタになっていますね」
ヨリはぼんやりしながらコクコクと頷き、白俊はさらにやる気のない声で言った。
「この状況では何もやる気にならへんわ……」
「そうねぇ。どうしたらこうなるのかしら?」
二人ともやる気がなさそうに首を縦に振った。
「そうそう、これ、往診の依頼帳」
「なんや、随分ええ時に持ってきよったな」
「私が店番始めた時から、依頼はあったわ。
往診なんてやってるのかよくわからなかったし、私には急を要する依頼かどうかがよくわからないのよ。
名前と住所しか言われないし、だいぶ集まったから持ってきたの」
「どうやって緊急じゃないこと判断したんや?」
「何言ってるのよ、急ぎかどうか聞くだけでしょ。
依頼に来る方もひどいのよね。症状を言わないんだから。
症状聞いても私にはわからないけど」
「ああ、そうか……」
「それでは、師匠に見習いさん、私はこれで失礼致します」
知恵は自分の用事を済ませてさっさと碧桃楼から出て行った。
妓女たちも馴れ馴れしいし、女主人は妓女になれとしつこい勧誘をしてくる。
人に夢を売る仕事だなんて、冗談にも程がある。人に媚び売る商売の間違いだろう。
ましてや今のあの状態。建物全体が歪んで見える破壊的な騒音、あんな中にいたらおかしくなる。
師匠や見習いさんの姿を見れば一目瞭然だ。
あんなところに長居する必要なんかどこにもない。
適雑堂に戻ると、簡素な身なりだが品の良い男性が店の前に立っていた。
知恵と目が合うと、男は丁寧にお辞儀をした。知恵も相手に合わせてお辞儀をした。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか」
「使いでまいりました」
「でしたら、まずそこの洗面台で手を洗い、口を濯いでから店内にお入りください」
店の入り口には、小さいが立派な手洗い場ができていた。
「これは……」
「手洗いや口をゆすいだ水をその辺にばら撒くのは、あまり感じがいいものではないので
特別に作った洗い場です」
「この部分は真鍮で、周りをサムルで固めています」
「なぜ、わざわざ真鍮を使ったのですか?」
「水が綺麗に流れていくため、衛生的だからです。
口を濯いだ後は、水をかけて流しておいてください」
「わかりました」
男は、手を洗い、口をゆすぎ終えてから店内に入ってきた。
知恵は男に椅子を勧めて座らせた。
「用向きを伺います」
「朴の家のおぼっちゃまの使いでまいりました。
知恵さんはいらっしゃいますでしょうか?」
「私が知恵です」
「こちらを知恵さんに直接渡すよう、言付かってまいりました」
知恵は男から紙を受け取り、広げて中を確認した。
表情を変えず最後まで読んだ後、男の顔を見て言った。
「結果は分かり次第お知らせしますが、少しお時間をいただきます。
こちらから伝える方法はどのようにすればよいでしょう?」
「定期的に確認しに参ります」
(進捗確認しにくるわけね……そつがなさすぎるわね。まぁ、あの人なら妥当か)
「分かりました。
他にも何かございますか?」
「実は、何か新しいものがないか確認してくるよう言われているのですが……」
「新しいもの、ですか
朴様のご子息は、どのようなものをご所望なのでしょう」
「特に希望はございませんが、何か珍しいものが入っていたらぜひ教えて欲しいとのことでした」
(新しいもの好きか。だからキイトル巻も喜んで買って行ったのか……
こっちには、刺激的な味がないからちょうどよかったのかもしれないわね)
知恵は男をまっすぐ見て言った。
「今なら、お菓子があります。
召し上がってみませんか?」
「えぇっ?
私が、今ここで食べるんですか」
「試食しないで買って帰り、お仕えする方がお気に召さなかったらどう説明なさるんですか?」
「いや、あの……」
「ご自身で召し上がってみてこそ、説明できると思いますよ。
少々お待ちくださいませ」
知恵は立ち上がり奥に行き、四種類の菓子を皿に盛り付けて戻ってきた。
「お一つずつどうぞ。
テングサの寄せ集め菓子です。プチプチした表面を噛むと中からトロッとした餡が出てきます」
男は、恐る恐る一つ摘んで口に入れた。
「今召し上がっているのが、基本の菓子です。外側も中の餡もキイトル水で作りました」
初めて食べる食感だったのだろう。男の表情はうっとりとしたものに変わっていった。
「お酒が大丈夫なら、次はこちらをどうぞ。
キイトル焼酎の餡が入っています」
「これは、外側が甘いのに、中は甘いだけではなくて、刺激がありますね」
知恵は、美味しそうに食べている男の顔を確認してから、更に続けて説明をする。
「今度の二つは酒のつまみにもなります」
「緑色がキイトルソウの塩漬け餡入りで、淡い桃色が生姜の甘酢漬け入りです。
どちらも表面はとうもろこしの粉を少しまぶして、外側の餡を包んでいる部分は薄い塩味をつけています」
男は、順に手に取り味わいながら食べた。
「いかがですか?」
「とても美味しかったです。
おぼっちゃまにも、ご主人様にも勧められる味だと思います」
「今、限定販売でお安くなっております。
更に、他のご家庭四軒にお伝えいただけるなら、
二組でも一組分のお値段でお売りできますよ」
「二組、買っていきます」
「お品物の準備をしてまいります。少しお待ちくださいませ」
知恵は立ち上がり、奥に行き品物の準備をして戻ってきた。
「ありがとうございました」
男は朴邸に戻った後、朴家の当主である領議政と朴紘範に適雑堂の菓子の包みをそのまま渡した。
知恵は、男から受け取った紙を眺めていた。
(さて、どうしようかな……)




