第20話 金民娥
白俊は、ヨリがシャープペンシルをしまう前に王妃に言った。
「付き人の話を聞きたいんやけど……お使いで外に出ることできるんか?」
「外に出るのは無理よ。でも、話を聞く時間なら作れるわ。
なんならこの後聞いていく?」
「せっかくやからそうしよか。ヨリ、ええか?」
「いいわ。そうしましょう」
「王妃様、密談できる空間作れますか?」
「ここがその部屋よ。王様がお帰りになったらソヨンを呼びましょう」
「頼みますわ」
ヨリがシャープペンシルをしまった。
止まっていた鳥が動き出し、外の風の音も僅かに聞こえてきた。
控えている女官たちも動き始めた。
王は軽く咳払いをして話し始めた。
「これから王妃の診察だな。白俊、よろしく頼むぞ」
王がそう言うと、白俊とヨリはひれ伏した。王はそのまま立ち上がり中宮殿を後にした。
白俊は、一通り王妃の問診らしいことを行なった。
「普段から、王妃様の様子を見ている方にもお話を伺いたいのですが、どなたかお話を聞ける方はいらっしゃいますか?」
「ええ、いるわ。ソヨンだけを呼んできて」
王妃は、外に控える女官たちに聞こえるように言った。
ソヨンが部屋に入ってきた。
「ソヨン、人を下がらせてちょうだい。私の体調に関わることだから」
「かしこまりました」
ソヨンは、外にいる女官に一言告げて再び中に入ってきた。
王妃はソヨンに、白俊とヨリの近くに座るよう指示をする。
ソヨンは素直に指示に従って座った。
「ソヨン、白俊医師は、気持ちが安定しない私のために診察に来たの。
だから、そうなったきっかけについて、あなたからも話してくれないかしら?」
「かしこまりました。王妃様」
白俊が穏やかな声で話を始める。
「ソヨンさん、ですね。よろしくお願いします」
ソヨンは白俊とヨリに向かって礼をした。
「これから伺うことは、王妃様の治療のために記録はしますが、王妃様の治療のために必要なことですので、正直にお答えください。
医者には、患者の秘密を守る義務がありますので、特に必要のない限り第三者には伝わりません。
それから、あなたから話されたということも伝わりませんから、ご安心ください」
「わかりました」
ソヨンは神妙に答えた。
「王妃様は、いつ頃から、不安定な気持ちになられた、とお考えですか?」
「三年前の辰の月の頃からです」
「どのように変わったのでしょう。できるだけ具体的な行動を教えて下さい」
「急に暴れ出したり、泣き叫んだり、物を投げて壊したり、部屋の隅で震えていたりすることが日常になりました」
「その前までは、どんな感じだったのですか?」
ヨリは、ソヨンの話す速度に合わせて記録をとり続けている。
「とても穏やかで、お優しい方でした」
「他には?」
ソヨンは姿勢を正して、はっきりと言った。
「徹底的に教育されておりましたので、非常に優秀でございました。
揀択で有力候補と言われていた人のうちのお一人でした」
「ほう、そうなんですね」
「はい。錦城金氏のお嬢様が優勢、というウワサでした」
ソヨンは自信を持って正々堂々と言った。
「ほう……」
「ところで、仲良くしていた方は覚えていますか?」
「申英理様のところに行きたがっておいででした」
ヨリはここで一瞬顔を上げた。
ほんの一瞬、懐かしむような表情をしたが、すぐに帳面に目をむけ文字を書き続けた。
「理由はわかりますか?」
「同じくらいの年頃のお嬢様方がお近くにいらっしゃるのと……」
ソヨンは王妃を僅かにみた。
「ソヨン、構わず続けて」
「わかりました」
ソヨンは白俊に向き直り、再び話し始めた。
「申英理様の婚約者の尹怜様が王様のご学友だったので……
その……、申英理様の近くにいれば、王様にお目にかかる機会も多い、とおっしゃってました」
「実際、申英理さんとは、仲が良かったんですか?」
「申英理様は、お嬢様を拒みませんでしたし、見ている限りは、仲良くされていたと思います」
「他の歳の近いお嬢様たちとはどうだったんですか?」
「仲良くされていたと思います。
お嬢様、失礼しました。王妃様は、人当たりもよかったので、他の家のお嬢様方と衝突することはありませんでした」
「そうですか」
白俊は、少し考えて、質問を変えてみることにした。
「三年前の辰の月ごろから、急に性格が変わったような行動をするようになったのは、何がきっかけだったとお考えですか?」
「それは、その……」
ソヨンはとても言いづらそうな表情をして言い淀んだ。
「ソヨン、続けていいわよ」
「はい……
井戸に、落とされたからだと思います」
「ソヨンさんは、その時ご一緒ではなかったのですか?」
「いいえ、私は奥様のお使いに出ていました」
「そうだったんですね。
ところで、王妃様の変化は、ウワサになったでしょう?」
「いいえ。国舅様が、お嬢様の名誉のために、徹底的に隠されていました。
それに……」
「それに?」
ソヨンは、周囲を見回すようにしてから、白俊に少し近づいてから言った。
「屋敷内では、もともとそういう人であったかのように扱われていました。
でも、時々、本来のお嬢様に戻ることはありました。
時間が過ぎることによって、そのような時間も増えてはいきました。
運よく状態が落ち着いているときに、揀択が行われたため、世子嬪候補として宮廷に上られました。
しかし、宮廷にはいってからも、暴れたり、泣き叫んだりする行動はございました。
池に落ちるまでは」
「最近の王妃様の様子は、ソヨンさんから見てどうですか」
「そのような行動はすっかり影を潜めましたが、時々物思いに耽っていらっしゃることがございます」
「それは昔からあったのですか?」
ソヨンは、しばらく考えていた。
「よくわかりません。でも、あまりなかったように記憶しています」
「わかりました。ありがとうございました」
ソヨンは白俊とヨリに軽く礼をして王妃の方を向いた。
「ソヨン、長い時間ありがとう。もういいわ」
「はい」
ソヨンは、王妃に深く頭を下げて部屋から出ていった。
白俊は王妃を見て言った。
「今日の診察は、ここまでとします。
今のところ特に問題となるような所見はございません。
疲れがたまらぬよう、肩の力を抜かれると良いかと存じます。
お好きなお茶などを飲まれるのもよろしいかと思います。
次回の診察は、一月後にします」
白俊とヨリは、王妃に礼をして中宮殿を後にした。
白俊は、大王大妃殿から出てきたであろう唐順希の後ろ姿を目にした。
以前のコソコソと物陰から何かを監視しているような振る舞いとは異なり、優雅に颯爽と堂々として歩いていた。




