第17話 先手
唐順希は、封鎖が解除されてから、大妃の元に挨拶に行っていた。
大妃に丁寧に挨拶をした後、簡素ではあるが、品のある小箱を取り出し大妃に差し出した。
「王妃様のおかげで、封鎖中には静かに考える時間ができました」
「これは?」
「心をこめて手を動かすことの意味を、ようやく知ることができたような気がいたします。
大妃様にぜひ使っていただきたい一心で刺繍をいたしました」
大妃は箱を開け中から布を取り出して広げてみた。
「これは……美しい。
唐家の娘よ、腕を上げたな」
「己の行動を振り返り、皆の役に立つにはどうすればよいかを一心に考えた結果、できた図案でございます」
「よい心がけじゃ。
大切に使うぞ」
唐順希はここで、少し悲しそうな顔をして訴えるように大妃に伝えた。
「久しぶりに外に出て、悲しく思うことがございました」
「話してみよ」
「はい。
すれ違う女官や内官たちが、私のことを見て、ずいぶん久しぶり、まだいたのか、誰なのか、と囁く声が聞こえてまいりました」
「なんと。それは辛い思いをしたな」
「いえ、長らく外には出ておりませんでしたので、皆がそのように話すのは当然のことと思います」
「では何がお前を悲しくさせたのだ?」
「このことで……その……」
「続けて申してみよ」
「いえ、お許しくださいませ。私がこれを口にすると不敬の罪に問われるものが出るのではないかと心配で……」
「決してそのようなことはせぬ。
苦しい思いも、口にすれば楽になる。悪いようにはせぬから話してみよ」
「はい……ありがたきお言葉。
そのお言葉に甘えて申し上げます」
大妃は頷き、唐順希に話をするよう促した。
「実は……
王妃様がご多忙を理由に、封鎖していた私の居所のことをすっかりお忘れになっていた、と話す声が聞こえてまいりました」
大妃は険しい表情をしていた。
もし本当に忘れていたのなら、いくら側室候補でもその扱いには問題があると考えたのだった。
その表情を察したように唐順希は続ける。
「王妃様は、疫病騒ぎの中、王妃になられて、ご多忙だったことと思います。
まだ王室の一員ではない私のことよりも、他のことを優先するのが当たり前のことでございます。
もし私が同じ立場でしたら、きっとそのようになっておりました。
ご多忙ゆえ、私のことが後回しになるのは、理にかなっております」
大妃は憐れむような視線で唐順希を見ていた。
「中には……
王妃様が、王様を独り占めしたくてわざと私を外に出さなかった、と噂するものがおりまして……」
「その話は誠か」
「話は確かに聞こえました。しかし……
しかし、王妃様が、そのようなことをなさることがないのは、私が一番存じ上げております」
大妃はまっすぐに順希を見た。
この娘は、疫病で忘れ去れられそうな存在となっても、人を恨むことなく静かに過ごしていたのかと思うと、込み上げてくるものがあったのだった。
労うように、唐順希に声をかけた。
「封鎖され、外との接触が絶たれていた間も辛い思いをしたと思うが、
久しぶりに出てきたそなたに、ずいぶん辛い思いをさせた。
これからは、話したいことがあれば、度々こちらに顔を出すがよい。
私も時折、お前を呼ぶとしよう。何か見せたいものがあれば持参するがよい」
「大妃様……」
唐順希の目には嬉し涙が溢れていた。
「大妃様の温かいお心遣い、心より感謝いたします」
唐順希は下を向きながら、誰にも気づかれぬよう小さく不気味に笑った。
唐順希は大妃殿を出た後、颯爽と優雅に歩き自分の居所に戻った。
ところ変わって中宮殿。
王妃が静かに書物を読んでいると、付きの女官州羅宅と付き人ソヨンが部屋に入ってきた。
「二人揃ってどうしたの?」
ソヨンは少し機嫌悪そうな表情をして、王妃の前に菓子と茶を置いた。
「ソヨン、怖い顔をしているけど、何かあったの?」
州羅宅が目配せをした。それをみて王妃は人払いをした。
「さて、何かあったようだけど、どちらから話すのかしら?」
州羅宅が先に口を開いた。
「唐家のご令嬢が、大妃様にご挨拶に行ったそうです」
「そう、刺繍の贈り物でもしたのかしら」
「はい……」
今度はソヨンが話す。
「居所から出てきてすぐは、『順希様がまだいたのか』とか、『あの人誰』、という噂で持ちきりだったのですが……
大妃殿から出てきてからは、『王妃様が順希様の存在を忘れていて閉じ込めっぱなしにしていた』、と王妃様を悪くいう声が流れ始めました」
ソヨンは悔しそうな表情をした。
「それから?」
「それから、『王妃様が王様を独り占めしたくて閉じ込めっぱなしにしていた』、という話も出てきました」
州羅宅が続ける。
「さらに、『唐家のご令嬢はそんなことをした王妃様を一切責めることなく寛大なお方だ』、という話になってきています」
「そう。
『あちらの方が、王妃に相応しいのでは』、という話になったのね」
王妃は、穏やかな笑みを見せた。
「笑っている場合じゃございません。王妃様」
「いいのよ、ソヨン。忘れていたのは本当だし。
それに、出すと決めた時からこうなることはわかっていたから
そろそろ王様もいらっしゃる頃かしら。
今日は白俊も診察に来るしね」
王妃は、しばらく唐順希相手に暇つぶしには事欠かない、と考えていた。
唐尚徳の執務室に、下役が文書を届けにきた。
下役がお辞儀をして執務室を出ようとした時、唐尚徳が下役を止め入り口に控えさせた。
文書に紛れている小さな文を手に取り開いた。
"左副承旨と校理が過去三年間の漢城府と捕盗庁の記録を調べている"
文を一旦脇に置き、新しい紙を取り出し文字を書き始めた。
「これを渡しておけ」
下役は何も言わず、文を受け取り部屋から出ていった。
唐尚徳は、脇に置いた文を再び手に取り文字を眺めていた。




