第四章:交錯する思惑と、偽りのアプローチ
血塗られた部屋の中、アイリーンは返り血を浴びた顔のまま、画面越しのチルチットへ冷ややかに告げた。
「まぁ、仕方ないわね。結界の解除だけは手伝ってあげるわ。ただし、それ以外のくだらない手助けはしない。あなたが何を考えているかは知らないけれど……私の『獲物』には手を出さないことね」
アイリーンの言葉に、チルチットは目を細めて不敵に笑う。
「ほう? 獲物、ということは……アイリーン、お前も近いうちに何か企んでいるな。なら、俺の狙いだけを話しておこう。俺の目的は、異世界人専用の『奴隷の刻印』を消し去ったであろう人物の捕縛。そして、その刻印を刻んでいた茜という女の捕縛だ」
その言葉を聞いた瞬間、アイリーンは驚愕に目を見開いた。
「刻印を消すですって……? 冗談でしょう」
「冗談で、俺がわざわざそんな学園に赴くと思うか?」
チルチットの声音は真剣そのものだった。
アイリーンは言葉を失い、内心で激しく思考を巡らせる。
(茜って子は、確かあの試験の時にいた子……。なら、もしかして、あのシルクと模擬戦をした『夏』という子が、刻印を消せる張本人なの……!?)
押し黙るアイリーンの様子を怪しんだのか、チルチットが釘を刺す。
「変なことは考えるなよ、アイリーン」
「考えてなんかないわ。……また実行できそうになったら連絡ちょうだい。バイバイ」
アイリーンは素っ気なく返すと、パチンと指を鳴らした。その瞬間、目の前にいた通信係の魔族の身体が呆気なく弾け飛び、同時にチルチットとの通信も遮断された。
アイリーンが手をパンパンと叩くと、部屋の影から二人の男子生徒が姿を現し、彼女の前に恭しく跪いた。
「お呼びでしょうか、アイリーン様」
アイリーンは艶然たる笑みを浮かべ、そのうちの一人に歩み寄る。
「夏という人物の情報を集めて、私に報告しなさい。それと、チルチットの配下がすでにこの学園に潜伏しているわ。彼らにバレないように、慎重に集めるのよ」
アイリーンが自身の唇に妖艶に手を触れながら命じると、指名された生徒は顔を真っ赤に染めて身を震わせた。
「アイリーン様……! りょ、了解しました……!」
二人の生徒は心酔した様子で、そのまま音もなく姿を消した。
残されたアイリーンは机に腰掛け、邪悪な愉悦に震える。
「ふふふ……刻印を消すことができるなんてね。情報を集めるようには言ったけれど、私自身も一つ手を打って、直接確認するとしましょうか。……そうね、まずは桜や茜と『お友達』になることから始めましょう」
その頃、通信を切ったチルチットの傍らには、一人の幼い女の魔族が控えていた。
チルチットは苦虫を噛み潰したような顔で呟く。
「アイリーンめ……あの女、絶対に何か企んでいるな」
主の言葉に、幼い女の魔族が冷徹に同意した。
「間違いなくそうでしょう。でしたらチルチット様、この私めが、今学園に潜伏させている手下と『能力』で入れ替わり、現地で様子を見てまいりましょうか?」
チルチットは手を顎に当て、考え込む。
「ふむ……。確かにお前の能力は、あらかじめ『死の刻印』を刻んだ相手を任意に殺害し、お互いの位置を転移させる能力。学園の様子を探るには適している。だが……」
チルチットが躊躇うのを見て、幼き魔族は毅然と一歩前に出た。
「チルチット様、今回の作戦は今後、あなたの大きな力となります。刻印を消す人物など、本来はあり得ない存在。それをみすみすあの女に手渡してしまっては不味いのです。だからこそ、私めが行く必要があります。それに……あの女が本当に約束通り、学園の結界を解除するとも限りませんから」
合理的な進言に、チルチットもようやく重い腰を上げた。
「……分かった。お前がそこまで言うのであればな。だが約束しろ、絶対に無理はするなよ」
「仰せのままに」
女の魔族が不気味に微笑み、足元に禍々しい魔法陣を展開する。
次の瞬間、彼女の姿はその場から掻き消えた。
それと同時に、学園の敷地内で『死の刻印』を刻まれていた魔族の手下が突如として絶命し、その死体と入れ替わる形で、幼き魔族が密かに学園内へと降臨したのだった。
「……ここが学園。死んだ手下から情報を吸収したから、ある程度は分かるわね」
潜入を果たした幼い魔族の女は、周囲を見回して冷たく呟いた。その瞳には、子供らしからぬ狡猾な光が宿っている。
「先ずはそうね、あのチルチット様の奴隷であったあの女の確認と……藤拓海という人物を利用するという作戦を引き継ぐとしましょうか」
そう方針を決めると、彼女はその場から音もなく離れ、茜たちがいるであろう教室へと向かって歩き出した。
その頃、教室では茜と桜が二人で肩を並べていた。夏がククリスたちの元へ行ってしまった後、茜はどうしても不安を拭いきれず、桜に問いかける。
「桜、ご主人様は本当に大丈夫だと思う?」
桜は少し考え、小さくため息をつきながら答えた。
「……分からない。とりあえず、信じるしかないわよ」
「そう、よね……」
茜がさらに何かを言いかけようとした、まさにその瞬間だった。
ゾクッ、と茜の全身を突き刺すような、猛烈な悪寒が走った。
(えっ? 何、今の……凄く嫌な感じ……! この感覚、あの……刻印を刻まれていた時の……!)
肌が粟立つような底知れぬ恐怖に襲われ、茜は慌てて辺りを何度も見渡した。しかし、教室内にはいつもの生徒たちがいるだけで、目立った不審者は見当たらない。
「茜? どうしたの?」
突然怯えだした茜の様子に気づき、桜が心配そうに顔を覗き込む。
茜は冷や汗を拭いながら、無理に笑顔を作って首を振った。
「……いや、何でもないわ」
その様子を、教室の外の物陰からじっと見つめている者がいた。
茜を確認し終えた、あの幼い魔族の女である。彼女は歪んだ笑みを浮かべ、愉悦を噛み締めるように低くくすくすと笑った。
「チルチット様の奴隷の分際で、楽しそうにしてるわね。くくく、大丈夫よ、またチルチット様の奴隷となるのだから。今は存分に楽しむといいわ」
茜を怯えさせたことに満足した彼女は、すっと視線を廊下の奥へと向けた。
「さて、確認もできた所だから、次は藤拓海という人物と接触してみましょうか」
不気味な足音を忍ばせながら、幼き魔族の女はその場から静かに立ち去るのだった。




