第一章:魔王の衰弱と、冬の守護
冬と魔王エリーズ・クレアは、レオルドリッチ、サザレの二人と別れ、海路からバイーンを目指すために船乗り場へと向かっていた。
道中、あれほど執拗だったクレアが、不思議と口づけを求めてくることはなかった。
(あれ以来、キスを求められることはなくなったな。……いや、別に求めているわけじゃないけど)
冬がそんなことを考えている時、隣を歩くクレアもまた、同じことを考えていた。
(冬は接吻を嫌っている。無理やり奪うこともできるが、それでは冬との関係が悪くなってしまう。……思えば、あの万全勇者・奏にも軽はずみに接吻して酷く説教されたな。異世界人とこちらでは考え方が違うのだろう)
重苦しい沈黙が続く中、冬がようやく口を開いた。
「エリーズ・クレアさん。あの……ここから船乗り場までは、まだかかりますか? 地図だけじゃ距離感が分からなくて」
「『クレア』と呼んで。フルネームは好きではないの。……それに、妾が復活したと知られれば冬にも危険が及ぶから」
クレアは短く答え、視線を先へと向けた。
「そうね。あと半日といったところかしら」
(半日……。もうだいぶ歩いてるのに、まだかかるんだ。夏、大丈夫かな。無茶して奴隷になんてされてなきゃいいけど……)
心配そうに顔を曇らせる冬の頭を、クレアが優しく撫でた。
「お主の双子の姉が心配か?」
「……うん。私と同じ状況でこちらに送り込まれたなら、何の能力も貰っていないはず。そんな状態で、もし一人ぼっちだったらと思うと……」
「確証はないが、大丈夫だ。お主がそんな顔をすると妾も悲しくなる。だから今はバイーンに急ごう。……それとも、妾が元気を出させてやろうか? 接吻して」
冬は顔を赤くして、その手を払った。
「クレア……ありがとう。でも、どさくさに紛れてキスを求めないで! もう、知らない!」
早足で歩き出す冬。その背中を見つめながら、冬は「彼女は本当に平和を望んでいたんだな」と、クレアの優しさを再確認していた。
対するクレアは、内側に秘めた限界を必死に隠していた。
(……やはり接吻は無理か。だが、どこかで力の補充をせねば。今は妾の魔力を放出して魔物を遠ざけているが、それも限界だ。こんなにも……力が吸い取られているなんて。あの男、一体何者なのだ……)
限界が近い体に鞭打ち、クレアは冬の後を追った。
しばらく無言のまま歩き続けていた冬は、ふと違和感を覚えた。
(おかしい……これだけ歩いて、一度も魔物に出会わないなんて。何でだろう?)
尋ねようと後ろを振り返った瞬間、冬は息を呑んだ。
ついてきていたクレアの顔色が、病人のように真っ白になっていたのだ。
「クレア! 具合でも悪いの?」
「大丈夫……。このまま、行きましょう……」
強気な言葉とは裏腹に、クレアの体は糸が切れたように崩れ落ちた。そのまま意識を失うクレア。
「クレア!!」
冬は叫び、必死に周囲を見渡した。休ませられる場所を探すと、幸い近くに洞窟を見つける。冬は小さな体でクレアを抱え、必死に洞窟の奥へと運び込んだ。
だが、クレアを横たえた瞬間、洞窟の暗闇から地を這うような低い唸り声が響いた。
「……まさか、魔物の巣なの? どうしよう、このままじゃ二人とも……」
絶望が襲うが、冬は震える手でサザレから受け取った短剣を抜いた。レオルドリッチたちの戦い方を必死に思い出す。
闇の中から現れたのは、全身が傷だらけになった一頭の巨大な「竜」だった。
(……無理だよ。竜なんて、本の中でしか見たことない。クレア、夏……)
膝が震え、涙がこぼれそうになる。それでも、冬は短剣を構え直した。
それを見た竜が、低くしゃがれた声で言葉を発した。
『弱き者よ。なぜ、そこの魔王を庇う? 見たところ、お前は人間だろう』
冬は驚愕した。竜が、人の言葉を喋っている。
『私は、強大な魔力が近づいてくるのを感じていた。かつて知った、魔王エリーズ・クレアの魔力を。……死んだと聞いていたが、生きていたのだな。弱き者よ。その女を引き渡すなら、お前は逃がしてやろう』
冬は恐怖に震えながらも、問い返した。
「……引き渡したら、クレアはどうなるの?」
『決まっている。其奴を殺し、我が血肉に変える。……私は、もう長くない。強い者の命を喰らわねば生きられぬのだ。私には、生きねばならぬ理由がある。……だから、そいつを渡せ』
竜の眼光が、獲物を狙う鋭さで冬を射抜く。
絶体絶命の窮地。冬は、意識を失ったクレアを守るように、その前に立ちはだかるのであった。




