第九章:牙を剥く「同胞」と、最悪の変装者
夏が教室に入ると、全方位から突き刺さるような視線を感じた。それを強引に無視して窓際の席に座る。
ふと前を見ると、机に顔を伏せて寝ている生徒の首筋に虫が止まっていた。夏は気になり、つい手が動く。
――パチン!
「いっ、なんだ……!? 突然叩いて、喧嘩売ってんのか!?」
飛び起きた生徒が振り返る。その頭には小さな魔族の角が生えていた。
(魔族……! くぅ……)
夏は嫌悪と葛藤しながらも、潰れた虫がついた掌を見せた。
「……虫が止まってたの。反射的に叩いちゃった。ほら」
「確かに……悪かった、すまない」
彼が気まずそうに謝っていると、一人の女子生徒がツカツカと歩み寄ってきた。
「あなた、気をつけなさい。その男は魔族と人間の混血。何をされるか分からないから、気安く話さない方がいいわよ」
「なんだと!? お前こそ、『私は勇者だ』なんていい加減な吹聴をしてる勘違い野郎じゃないか!」
(混血の少年に、自称勇者の異世界人……本当に色んな人がいる。でも、私の隣で言い争うのはやめてほしい。……案外、仲がいいのかも?)
騒ぎが大きくなったため、夏は席を立ち、他の空席を探した。すると後方の窓際で、一人の女性が激しく手招きしている。
「やっと来たわね。私はククリスの友達よ。隣に座りなさい」
「え、あ、はい。失礼します」
夏が腰を下ろすと、周囲の視線が「戦慄」に変わった。先ほどの二人までもが絶句して夏を見つめている。
「……あの、一つお尋ねしたいのですが。あなたはここのプリンセスか何かですか?」
男の問いに、隣の女性が噴き出した。
「くふ、ははは! 違うわよ、プリンセスって何よそれ! ははは、待って、面白すぎる……!」
(疲れる……まだ授業すら始まっていないのに)
ようやく笑い終えた彼女は、優雅に髪をかき上げた。
「ああ、笑った。ククリスがあなたを気に入った理由が分かったわ。私は学園ナンバー2の『シルク』。みんなが驚いているのはね、私、今までククリス以外は隣に座らせなかったからよ。……座ろうとした不届き者は、全員魔法で攻撃して追い払っていたから」
(えっ……大丈夫かな、このシルクって人、怖い……)
「怖いと思ったでしょう? 大丈夫、あなたには何もしないわ。そんなことしたら、ククリスに殺されちゃうもの」
授業が始まっても、シルクのまじまじとした視線は止まらず、夏は全く集中できない時間を過ごすことになった。
一方、別棟の教室に到着した桜と茜。
「主様と違う授業か……」
「茜、仕方ないよ。放課後には会えるんだから」
二人がそんな会話を交わしていると、食堂で声をかけてきたあの男子生徒が、息を切らして駆け寄ってきた。
「あの! 良かったら、僕たちのサークルに入りませんか?」
「あ、さっきの人。あれはサークルの勧誘だったんですか?」
桜の問いに彼が頷くと、茜が冷ややかに口を挟む。
「突然ね。転入初日の桜を勧誘して、私や主様を誘わないのはなぜ?」
「あ、それは……」
彼が言葉に詰まると、後方から眼鏡をかけた知的な雰囲気の女性が現れた。
「ごめんなさいね。この子、見た人誰にでも声をかける癖があるの。気を悪くしないで」
「そう。なら、私たちが誘われなかったのは納得ね」
茜が納得する傍らで、桜が興味深げに尋ねた。
「あの、そのサークルって何をするところなんですか? お話だけでも聞かせてもらえますか?」
桜の言葉に、勧誘の男子生徒がわずかに体を震わせる。それを隠すように、眼鏡の女性が前に出た。
「気になりますか? なら、お昼休みの前に別室でお話ししませんか? すぐに終わりますから」
「茜、いいかな?」
「私はお昼になったらすぐに主様に会いたいから、お断りするわ。主様には、桜が遅れるって伝えておけばいい?」
「うん、お願い」
「では、お昼前にお迎えに参りますね」
女性は愛想よく微笑み、男子生徒を連れて去っていった。
人気のない場所まで戻ると、眼鏡の女性の表情が一変した。
「あんた、自分の立場分かってんの? 私の手を煩わせるんじゃないわよ。あのままだとボロが出てたじゃない」
彼女は男子生徒の胸ぐらを掴むと、力任せに地面に投げ捨てた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
転がる彼に、女性は容赦なく何度も蹴りを叩き込む。
「謝る暇があるならボロを出すな! 私じゃなかったらこの程度じゃ済まないぞ。私の責任問題になったらどうするつもりだ!」
激しい暴行の末、彼女がその場を去ると、男子生徒は地面に蹲った。そこを通りかかった一人の生徒が、慌てて駆け寄る。
「大丈夫!? 先生をすぐに呼んでくるから!」
だが、助けを呼ぼうとした生徒の腹を、蹲っていたはずの男子生徒の手が貫いた。
「……けっ、役を演じるのも楽じゃねえな」
先ほどまでの怯えた様子は消え、男の口角が吊り上がる。
「だが、チルチット様が言っていた『刻印を刻んだ女』を発見した。このまま泳がせて、彼女が言う『主様』とやらを探し出す。そいつが、刻印を消せる能力者に違いねえからな」
男が死体を影の中へ放り込むと、一瞬で飲み込まれた。
次の瞬間、影の中から「殺されたはずの生徒」が何事もなかったかのように這い出てくる。
「普段通りに過ごせ」
死霊術か、あるいは擬態か。偽物の生徒は主の命を受け、音もなく教室へと戻っていった。




