第四章:変幻自在の刃と、刹那の神速
試合開始の合図と共に、夏は意識を研ぎ澄ませた。脳裏に去来するのは、師・ハクレンの厳しい声だ。
(戦闘で大切なのは、まず相手を観ること。敵の呼吸、重心、視線……それを見極めてこそ、次の一手が見える)
夏は腰を落とし、迎撃の構えを取る。
(……もっとも、師匠の攻撃は速すぎて見ることさえ叶わなかったけれど。ククリスがどれほどの怪物かは分からない。でも、やるしかない。鈴さん、師匠に鍛えてもらった成果を見せるんだ!)
対するククリスは、微動だにしない夏を見て口角を上げた。
(意外と落ち着いているじゃない。一気に攻めてくるかと思ったけれど……なら、こちらから仕掛けさせてもらおうかな)
思考が消えた刹那、ククリスの姿がぶれた。
踏み込みの一歩で間合いを盗んだククリスが、鋭い一閃を放つ。夏はそれを剣の腹で受け流すと同時に、流れるような動作でカウンターの刺突を繰り出した。
だが、ククリスは夏の腕を支点にするように跳躍。空中で放たれた鋭い蹴りを夏が辛うじて回避すると、二人は再び距離を取った。
「中々にやるね、夏」
「……ククリスこそ。あの体勢から蹴りを出せるなんて、余裕だね」
夏は再び構え直し、じりじりと相手を観察する。ククリスはその様子を見て直感した。
(なるほど、私の動きを待って合わせる「後出し」の狙いか。なら、読みようのない動きで攪乱すればいいだけのこと)
ククリスは重心を極端に低くし、剣を片手でぶらりと下げた。
(何……あの構え? 隙だらけに見えるけど……!)
夏の警戒が最大に達した瞬間、ククリスは手にした剣を投擲の如く夏へ投げつけた。予期せぬ攻撃に夏は反射的に回避するが、その瞬間にククリスの姿を見失う。
「どこ――!?」
「こっちだよ」
背後に回ったククリスは、投じた剣をいつの間にか回収し、上段から振り下ろしていた。間一髪、剣を交差させて防ぐ夏。
「はは、やるね! なら、次はこれならどう?」
ククリスは楽しげに笑い、さらに型に嵌らない変幻自在の連撃を繰り出していく。
「……あの人、強い。動きが全く読めないスタイルだわ」
観戦室の茜が、拳を握りしめて呟いた。隣に立つマルコスが静かに応じる。
「ククリスに決まったスタイルなどない。変則の極みで相手を翻弄し、思考を停止させる。あの子相手に見切りを狙うのは相性が悪すぎるわ。……もっとも、あの手加減をしているククリスにあれだけ対応できていること自体、ハクレン様の指導の賜物でしょうね」
だが、戦況は残酷だった。翻弄され続ける夏は、守勢に回る一方で決定的な隙を見出せない。
ククリスの目に、冷めた色が混じり始めた。
「うーん……期待外れ、かな。もっとやれる気がしたんだけど。……もういいや、飽きたから終わらせるね。残念だけど、情報の約束は無し、かな」
その瞬間、ククリスから放たれるプレッシャーが膨れ上がった。
(この感覚……師匠が本気で打ち込んでくる時と同じだ。終わらせに来てる。なら――)
夏は腹を括った。ここで退けば終わりだ。
(防戦はここまで。攻撃に転じなきゃ勝機はない! 私にはまだ、師匠が褒めてくれたスピードがある。あの神速には届かなくても……今、出せる全てを!)
夏は剣を腰だめに低く構えた。
ククリスの目が細まる。
(何か変わった? ……でも、もう遅いよ!)
ククリスの姿が消えた。一瞬で眼前に現れ、処刑のような一撃が振り下ろされる。
だが、次の瞬間。ククリスの剣が捉えたのは、残像だった。
「いない!? どこへ――」
ククリスが驚愕の声を上げた時には、夏は既にその背後へと回り込んでいた。
「もらったぁ!!」
夏の神速の横薙ぎ。だが、ククリスもまた怪物だった。紙一重でその刃を躱すと、次の瞬間には夏の喉元に剣先を突きつけていた。
「……私の、負けです」
夏が剣を降ろすと、ククリスは誰にも聞こえないほどの小声で耳元に囁いた。
「……私ね、今ので完全に背中を斬られてるの。真剣なら致命傷だった。夏、あんたのそのスピード……本物だよ。……楽しかった。約束通り、聞きたいことは教えてあげる」
ククリスは満足げに微笑み、剣を収めた。
「あんたとなら、いつか本気でやり合えそうだ。頑張って強くなって、また私を楽しませてよね」
観戦室のマルコスと係員だけが、その一撃の真実に気づいていた。
(あの踏み込み……ハクレン様の姿が重なった。神速と呼ぶにはまだ遠いけれど……)
(面白い弟子を取ったものね、ハクレン)
係員が心の中で呟いたその名の意味は、まだ誰も知らない。




