第十章:老兵の遺志、繋がれる希望
ふらふらと、自らの血で地面を濡らしながら戻ってくるハクレンに、私は叫びながら駆け寄った。
「師匠!」
ハクレンの体は、すでに限界を越えていた。彼は膝をつき、弱々しく笑った。
「夏よ……ふぉふぉふぉ、ワシはもう、ここまでのようじゃ。お主の成長を、最後まで見届けられぬのが、唯一の心残りか……。夏、桜のことを頼む。ワシが死んだら……」
「師匠! もういい、喋らないで! すぐに誰かを呼んで助けてもらいますから!」
「無駄じゃ……この場所の生き残りは、もうお主と桜のみ。ワシのことはもう良い。何度も言うが、桜を頼む。ワシが死んだと知れば、あやつは自分を責めて、自殺するやもしれん……。だから、夏。お前さんが、桜の拠り所になってやるのじゃ……がはぁっ!」
激しい吐血が、ハクレンの口から溢れ出した。
「師匠、死なないで! 私はまだ、教わりたいことがたくさんあるの! 私が……私がもっと強ければ、師匠も桜も守れたのに。ごめんなさい、私が弱いせいで……!」
泣きじゃくる私を、ハクレンは最後の力を振り絞って抱きしめた。血に汚れた手で、優しく頭を撫でてくれる。
「大丈夫……よ……夏は……強く……なれる。夏と桜……共に過ごせて、楽しかったぞよ……。鈴、今、ワシもそちらへ行く……」
腕から力が抜け、師匠は静かに、その生涯を閉じた。
「師匠ぉぉぉぉぉ!!」
私の叫びが、火の海と化した街に空虚に響き渡った。
しばらくして、ようやく桜が目を覚ました。
「……体内を暴れ回っていた感覚が、消えた? あの異物の感触がない。どうして……?」
立ち上がった桜の目に、ハクレンの遺体を抱きしめて座り込む私の姿が映った。
「夏……。もしかして、ハクレン様が、解決してくれたのですか?」
腫れ上がった目で桜を見つめる私の表情から、彼女は全てを理解してしまった。
「ああ……ハクレン様が亡くなった? 私の、私のせいで……!」
「違う。桜のせいじゃない! 悪いのは魔族よ! ……いいえ、あんな刻印を作った魔王よ!」
「……違う、私が刻印を刻まれなければこんなことにならなかった。全部、私が悪いのです。夏、もう私を殺して……!」
「何でそうなるの! 悪いのは魔族や魔王なの! 桜、貴方が死ぬことなんて、ハクレンも私も望んでない! それでも死にたいって言うなら、私は貴方を縛り上げてでも止めるから!」
二人の間に重い沈黙が流れる。しかし、その静寂を破るように、多数の足音が近づいてきた。
現れたのは、眼鏡をかけた知的な女性と、武装した一団だった。女性はハクレンの遺体を見て、沈痛な面持ちで呟いた。
「もう少し、早く出発していれば……。すみません、ハクレン殿」
「誰ですか? 師匠の知り合いですか?」
私が警戒を露わにすると、彼女は丁寧に頭を下げた。
「師匠、ということは貴方が。私は平等平和学園の教師、マルコス・フライドです。貴方をお迎えに参りましたが、まさか、このような惨劇に……」
ハクレンが言っていた学校の先生。私たちは、マルコスたちの手助けを受けながら、街の処理を進めることになった。
ようやく事態が落ち着き、用意されたテントの中でマルコスが口を開いた。
「……さて、何があったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
私は桜をチラリと見て言葉を詰まらせたが、桜自身が震える声で告白を始めた。
「……私が招いたのです。刻印によって操られ、魔族を引き入れ……ハクレン様の食事に、毒を盛りました……」
マルコスは机の前で手を組み、厳しい表情を浮かべた。
「またか……。ならば桜、君は再犯の可能性がある。行動監視をつけ、保護地域に搬送します」
「あの、それなのですが……」
私は周囲の兵士たちを気にしながら、マルコスに合図を送った。彼女は察したように、周囲の者たちに席を外させ、警戒を命じた。
「これで大丈夫ですか?」
「はい。マルコスさんは信頼できると思うので話します。桜の刻印は、私が解呪しました。もう操られることはありません」
「……はい?」
マルコスが呆然とする中、桜が背中を見せ、確かに刻印が消えていることを証明した。
「あり得ない……。解呪は不可なはずなのに。……夏さん、もし解呪を頼めば、今すぐできますか?」
マルコスの真剣な眼差しに、私は力強く頷いた。
「できます。刻印に苦しんでいる人がいるなら、やります!」
「少し待ってください。すぐにお連れしますから」
マルコスは驚きと希望を瞳に宿し、急ぎ足でテントを後にした。




