第九章:寄生する絶望、師匠の奥義
いまだ目覚めぬ桜の傍らで、私は祈るように師匠の帰りを待っていた。
「師匠が負けるなんてあり得ない。……お願い、早く戻ってきて」
その呟きに応えるように、桜がゆっくりと目を開けた。彼女は私の顔を見るなり、言葉を溢れさせた。
「夏……ごめんなさい。ごめんなさい、私……!」
「謝らなくていい。全部、あの刻印のせいよ。……もう、貴方は自由だから」
桜が自身の背中に触れ、あの忌まわしい脈動が消えたことを悟ると、彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。
「うぅああぁぁぁ……! 私は、私は……!」
私は声を上げて泣きじゃくる桜を抱きしめ、その頭を優しく撫でた。
「辛かったね。でも、もう大丈夫だから」
「――気持ち悪いな、お前ら。反吐が出る茶番だぜ」
宙から降ってきた冷酷な声。私は怒りに肩を震わせ、声の主を睨みつけた。
「何故ここに……? 師匠はどうしたの!」
「あのハクレンか? 奴なら胸を貫いて始末したよ。おい、それより聞いてんのか屑奴隷! さっきみたいに捕まえろ。……さもなくば、こうだ!」
魔族が指を鳴らし、刻印を発動させようとする。しかし――何も起きない。
「なっ……発動しないだと? どういうことだ!」
驚愕した魔族は一瞬で私たちの前に現れ、私を殴り飛ばした。辛うじて防いだが、その隙に彼は桜の服を引き裂き、その背中に剥き出しになった真実を目にする。
「刻印が……解呪されているだと?」
魔族の目が、ぎらりと私を捉えた。
「お前か……? だが、くくく、こりゃあいい。あの呪いを解ける人間を捕まえたとなれば、俺の位も上がる。おい女、この屑奴隷を殺されたくなければ大人しく従え」
「師匠がお前なんかに負けるはずがない。桜を離しなさい!」
私は地面を蹴り、一気に距離を詰めた。赤い鞘から引き抜いた刃が、魔族が桜を掴んでいない方の腕を鮮やかに切り落とす。
「やってくれたな……。なら、この屑奴隷には最高の苦痛を与えてやるよ」
後方に飛び退いた魔族は、懐から細長い羽虫のような「寄生ワーム」が入った瓶を取り出した。彼は桜の足に爪で傷をつけ、そこへワームを放り込んだ。
「いぎゃあぁあぁあ!!!!」
桜の叫びが響き渡る。ワームは傷口から体内へと侵入し、彼女を激痛の渦に叩き落とした。
「寄生ワームだ。体内を荒らし回り、俺の指示一つで心臓を食い破り、脳を破壊する。……お前が俺の腕を切り落としたから、こうなったんだぜ?」
「……桜を解放して」
震える声で頼む私を嘲笑うように、魔族が指を動かす。そのたびに桜が絶叫を上げた。
「辞めて!!」
「なら、頼み方があるだろう? 俺の元に来い。妙な真似はするなよ。俺に何かあれば、ワームが即座に心臓を突き破るように命じてある」
私は唇を噛み締め、刀を捨てて魔族の元へ歩み寄った。
「いい子だ。動かれては面倒だからな。――『バインド』!」
再び黒い輪が私の四肢を拘束する。
「約束通り、桜を……ワームを解放してよ!」
「誰が解放するなんて言った? お前ら、魔族を舐めすぎなんだよ」
魔族は桜を蹴り飛ばすと、私の背に跨り、目の前で苦しむ彼女を見せつけた。
「二度と逆らえないよう、お前らの心に刻んでやるよ。異世界人がこの世界でまともに生きられるなんて思うな」
(何で、こんな目に……。異世界人が何をしたの? 壊したい。魔王も、魔族も、私たちを虐げる全てを壊せる力が欲しい。……何で、私に力をくれなかったのよ。理不尽だ……!)
絶望が私を飲み込もうとしたその時、背後の魔族が驚愕して飛び退いた。
「何だと……!? 胸を貫いたはず。何故生きている、ハクレン!!」
そこには、衣服を自らの血で赤黒く染めた師匠が立っていた。
「師匠……!?」
ハクレンはよろめきながらも私の拘束を解き、弱々しく、だが力強く微笑んだ。
「はぁ、はぁ……。すまぬ。ワシが遅れを取ったばかりに……酷い目に遭わせたの。大丈夫じゃ……今度こそ、始末する」
「ダメだよ師匠! これ以上は身体が……!」
「心配するでない。……すぐに終わらせる」
ハクレンが刀を抜き、突き抜けるような構えをとった。空気が、一瞬で凍りついたように静止する。
「――奥義、デス・スタブ」
言葉が終わるより早く、ハクレンの姿が消えた。
魔族が反応することすら叶わぬ速度で、ハクレンの刃がその心臓を貫通した。背後にあった瓦礫が凄まじい衝撃波で吹き飛ぶ。
「俺が……反応……できなかった……嫌だ、死にたくない……うがあぁああぁ!」
断末魔と共に、魔族は塵となって消滅した。
静寂が戻る中、ハクレンはゆっくりと刀を納め、ふらふらとした足取りで私の元へと戻ってきた。その体は、今にも崩れ落ちそうなほどに限界を迎えていた。




