【四、光と影のすれ違い】
「鷹見先輩! これ、島先生に提出する風洞実験の最新データです!」
結城樺恋は、抱えた大きな図面を落としそうになりながら、弾んだ声で地下廊下を駆けてきた。
東大工学部を首席クラスで卒業し、女性初の技術キャリアとして入庁した彼女は、重油の匂いが充満するむさ苦しい地下にあって、そこだけ切り取られたように眩しかった。
すっきりと通った鼻筋に、どこかあどけなさを残した端正な顔立ち。
細身の身体には少し大きすぎる作業着の袖を無造作にまくり上げ、その奥からのぞく手首は驚くほど白く、華奢だった。
真面目さを絵に描いたような銀縁の眼鏡の奥で、知的な瞳がパチパチと輝いている。
その瞳には、この国の未来を自分たちの手で切り拓くのだという、寸の曇りもない「純白の光」が宿っていた。
「……ああ、結城。
夜遅くまで苦労をかけるな」
鷹見はいつもの生真面目な先輩としての顔に戻り、不器用な笑みを浮かべた。
彼女のような若い技術者が連日、徹夜で計算尺を回し、真っ当な技術の汗を流して積み上げている努力。
それこそが、この計画の誇るべき「正しさ」だった。
「苦労だなんてとんでもないです! 時速二百キロを超える世界なんて、誰も見たことがない未知の領域ですよ?
そんな奇跡のプロジェクトに、設計の初期から関われるなんて……私、本当にここに入れて良かったです!」
結城は興奮を抑えきれない様子で、眼鏡の位置を指先でクイと直すと、図面の束をぎゅっと胸に抱きしめた。
「世間の新聞やラジオは、私たちの計画を『現代の四馬鹿』だなんて叩いています。
でも、鷹見先輩や十河総裁が、私たちの図面を本物の鉄路にするために、表で命がけで戦って希望を守ってくれている。
だから私たち現場は、何の心配もなく世界一の列車を作ることだけに没頭できるんです。
本当に、感謝しています!」
その無垢な言葉が、鷹見の胸の奥をキリキリと締め付けた。
胃の腑が、酸っぱい熱を帯びて焼けるように痛む。
(結城。お前たちが信じているその『未来』は、まだ、俺とオヤジが国を騙し討ちにするために作った、真っ赤な大嘘の書類なんだ。
この嘘を嘘にしない為、そして迅速に物事を進めるために、俺は今から、世の中の『闇』を覗きに行くんだよ……)
本当のことは、口が裂けても言えなかった。
鷹見は、結城の眩しすぎる笑顔と、その白い肌から視線を外すようにして、彼女の小さな肩をそっと叩いた。
鷹見の大きな掌が、彼女の細身の肩を包むように。
「君たちが世界一安全な列車を作ってくれると信じているから、俺たちも戦えるんだ。
これからの展開は何も心配しなくていい。他はすべて、僕が片付ける」
「はい! お任せください!」
結城は眼鏡の奥の瞳をいっぱいに輝かせ、元気よく敬礼のようなポーズをとると、憧れの島技師長が待つ技術開発室の鉄扉の向こうへと、弾むような足取りで消えていった。
静まり返った地下廊下で、鷹見は一人、冷たいコンクリートの壁に背を預けた。
彼女の、あの曇りのない「綺麗な世界」を守るためなら、自分の手など、どれだけ泥にまみれても構わない。
胸の中で、不穏な覚悟が完全に黒く凝固していく。
鷹見はスーツの襟を正し、黒い革鞄を強く握り直すと、庁舎の階段を上って雨の地上へと向かった。 向かう先は、川崎の場末。
大嘘の数字を本物のセメントと鉄に変えるための「牙」――あの冷酷な男のもとへ




