【三、猟犬から狼へ】
鷹見が作ってしまった「猟犬」は、国鉄の崩壊を余所に、誰も想像し得なかった恐るべき進化を遂げようとしていた。
国鉄庁舎が弾劾の嵐で大揺れするその日の深夜、鷹見は川崎の新築された一等地にある、高層オフィスの最上階を訪れていた。
ガラス張りの自動ドアをくぐると、そこにはかつての闇市の泥臭さは微塵もなかった。
受付には仕立てのいい制服を着た女性社員が並び、廊下をすれ違うのは、一流大学を卒業したばかりであろう物腰柔らかな若き社員たちだった。
彼らは一様に、新興企業「陣内開発」のバッジを胸に輝かせている。
総役長室の扉を開けると、中央に位置する重厚なマホガニーのデスクに座っていたのは、陣内厳であった。
線の細い、色白の端正な顔立ち。前髪の隙間から色素の薄い瞳を不気味に輝かせた男は、かつての荒々しい極道の身なりを完全に捨て去り、英国製の最高級の三つ揃えのスーツを完璧に着こなしていた。
ヤクザを匂わせる雰囲気など微塵もない。
それがかえって、この男の底知れぬ異質さを際立たせていた。
「よぉ、鷹見の兄貴。
国鉄のオヤジさん、いよいよ御用箱行きらしいじゃねぇか」
陣内はくつくつと喉を鳴らして笑い、デスクの上に、一枚の巨大な日本地図を広げた。
そこには、今回開通する東海道だけでなく、山陽、東北、上越へと網の目のように伸びる「未来の計画線」が、赤インクで不気味に描き込まれていた。
「陣内……、お前その地図はなんだ、この会社は何だ。
川崎や横浜の土地をどうやって転がした」
鷹見の低い問いかけに、陣内は細い指先でデスクの上の「都市計画法の解説書」と、数十社に及ぶダミー会社の登記簿をトントンと叩いた。
「兄貴、国鉄の用地課から金をむしり取るなんてなぁ、小悪党のやることだよ」
陣内は薄い唇を歪めて笑った。
「新幹線の新駅がどこにできるか、あんたから流れてくる情報を元に、俺は半年前からペーパーカンパニーを五つ立ち上げた。新駅予定地の周辺にある、今は何もないただの田んぼや荒野――そこを所有している百姓どもに、
『この土地は数年後に国から強力な農地指定が入って売れなくなる。
今なら我が社が、将来の損失補填を含めて相場より一割高く買い取る』
と、偽の都市計画書を見せて回ったのさ。
土地の法律なんて1ミリも知らねぇ百姓どもだ。
みんな泣いて感謝しながら、二束三文の広大な土地の権利書を俺の会社に差し出してきたぜ」
陣内はゆっくりと煙草に火をつけ、優雅に紫煙を燻らせた。
「その土地が、新幹線の駅工事が始まった途端にどうなったと思う?
駅の周りは商業地として一等地になり、地価は十倍、二十倍じゃ利かねぇ。
俺は国鉄からは一銭も取っちゃいねぇよ。
国鉄には綺麗な顔のまま駅を造らせ、その周囲の都市開発の利権を、俺の会社が合法的に丸ごと手に入れたのさ。
一発の銃弾も使っちゃいねぇ。
すべては、あんたの敷いてくれた新幹線のレールのおかげさ。
その原資を、俺はすべて次の『本番』へぶち込む」
陣内は細い指先で、日本地図の中央、まだ見ぬ地方の山々を強く叩いた。
「新幹線が一本走るだけで、日本中の金と土地が狂ったように動き出す。
これからは『列島改造』の時代だ、兄貴。
国鉄の次のプロジェクト、山陽新幹線のルートと、それに伴う地方開発の公共事業……。
そのすべての裏地上げを、今度は俺が『陣内開発』の名の下で、合法的な不動産王として仕切らせてもらう。
ヤクザの看板なんて、もう重くて邪魔なだけさ」
鷹見は、息を呑んだ。自分は国家の大義のために、陣内という猟犬を「飼い慣らし、利用している」つもりだった。
だが、それは傲慢な錯覚に過ぎなかった。
この男は、刺青という過去の記号を捨て、スーツという現代の鎧をまとい、国家のシステムそのものを巨大なテコにして「猟犬から狼王とも言うべき怪物」へと完璧に脱皮して生き残ったのだ。
「あんたがどれだけ綺麗なままでいたくても、この列車の車輪は、俺たちみたいな人間の欲望を燃料にして回るんだよ、鷹見の兄貴」
陣内は底なしの闇のような笑みを浮かべ、鷹見の真面目な顔を覗き込んだ。
「これからもよろしく頼むぜ、国鉄の番人さんよ。
あんたが影で泥水をすすり続ける限り、俺の会社は日本中でどこまでもデカくなる」
自分が親友の人生を終わらせ、土地を持っていただけの普通の人を破滅へ導き、仲間の血と汗と涙を注ぎ込んでまで守り抜いた新幹線。
その線路が伸びるたびに、この陣内という怪物が肥大化し、日本全国の土地を侵食していく。
鷹見は激しい敗北感のなか、何も言えず、ただポケットの中で拳を壊れるほどに握りしめた。
新幹線という夢の裏で、もう、この冷徹な男との「共生」を、一生続けていくしかないという孤独な呪いが、鷹見の肩に重く伸しかかっていた。




