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虚軌の鉄路【完結済】  作者: 山原かいな
第2章:『神話の枕木』

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【四、光の奔流】

 用地交渉の戦場に立ち込める、コンクリートの粉塵と職員たちの張り詰めた怒号。

 そのドロドロとした泥沼から垂直に立ち上がるようにして、国鉄庁舎の最地下には、あまりにも眩(まば)ゆい「希望の光」が満ちていた。


 「出た……島先生、出ました! 時速二百キロの世界です!」

 技術開発特区の実験室に、結城樺恋の歓喜の悲鳴が響き渡った。

 細身の身体を激しく震わせ、銀縁眼鏡の位置がずれるのも構わずに、彼女は最新のオシログラフが弾き出したデータ用紙を高く掲げた。

 徹夜続きで色白の肌にはうっすらと隈が浮いていたが、その眼鏡の奥の瞳は、まるで深夜の星のように純粋な熱で輝いている。

 デスクの奥から、島秀雄がゆっくりと立ち上がった。

 白髪を無造作に揺らし、いつもは険しい常識人の顔に、この時ばかりは少年のような破顔の笑みが浮かんでいた。

 「……素晴らしいな、結城。

 旧海軍の航空技術から応用した流線型のノーズが、ついに未知の衝撃波を切り裂いた。

 これならいける。

 時速二百キロで走っても、車体は浮かない」

 「はい! ブレーキの熱伝導テストもクリアで  す! 島先生の仰った通り、レジン製のディスク なら車輪を溶かさずに、確実に弾丸列車を止められます!」

 結城は興奮のあまり、真っ白な手首を握りしめて小さく跳びはねた。

 自分たちが回した計算尺のひと目盛りが、引いた線の一本一本が、いま世界初の高速鉄道という「奇跡」を、本物の鉄に変えようとしている。

 一九六四年の東京オリンピックという世界の舞台に向けて、技術の力で敗戦の焼け跡から日本を復活させるのだという、寸の曇りもない誇りが室内に満ちていた。

 そこへ、重い鉄扉を開けて、鷹見遼が静かに姿を現した。

 「鷹見先輩!」

 結城は、データ用紙を抱えたまま、鷹見の大柄な身体に向かって無邪気に駆け寄った。

 「見てください! 風洞実験も、ブレーキの耐久テストも、すべて目標値をクリアしました!

 島先生の設計はやっぱり世界一です! 

 これならオリンピックの開会式に、世界中を驚かせる最高の列車が絶対に間に合います!」 

 真っ直ぐに自分を見上げる、結城の透明な瞳。

 鷹見はただ、いつもの生真面目な先輩の笑みを顔に浮かべ、その分厚い掌で、彼女の作業着の細い肩をそっと叩いた。

 その手のわずかな強張りに気づく者は、ここには誰もいない。

 「よくやった、結城。島さん……本当に、頭が下がります」

 「いや、礼を言うのはこちらのほうだよ、鷹見くん」

 島は眼鏡を掛け直し、真面目な科学者の顔に戻って鷹見を見据えた。

 「君が『カネのことは忘れてください』と言ってくれたおかげで、私は一ミリの妥協もなく、この子の安全性を極限まで高めることができた。

 現場の職員たちも、資材や土地の確保に文字通り命を削ってくれていると聞く。

 彼らの流した汗に、我々技術畑は、最高の『成果』で応えなければならんからね」

 島の真っ直ぐな言葉を、鷹見は静かに頷きながら聞いた。

 視線を落つと、島の真っ黒に汚れた機械油の手と、結城が大事そうに抱きしめている紙の束が目に入る。

 蛍光灯の白い光に照らされたその図面は、埃ひとつなく、どこまでも綺麗だった。

 鷹見は何も言わず、ただスーツのポケットの中で、片方の拳を静かに握りしめた。

 不器用な男の背中は、地下の薄暗い影を浴びて、どこか一回り大きく、そして頑なに見えた。

 「ええ。現場の職員たちも、あなた方の成果を何よりの励みにしています。

 ……島さん、このまま突き進んでください。

 他はすべて、僕が引き受けます」

 「ああ、頼んだよ、鷹見くん」

 結城は、鷹見の広い背中を見送りながら、

 「よし、次の架線の電圧テストに入ります!」

と銀縁眼鏡を押し上げ、再び図面へと没頭していった。

 地下から地上へと上る長い階段の途中で、鷹見は一度立ち止まり、冷たい手すりに手を置いた。

 地上からは、まだ新幹線を「四馬鹿」と叩く、遠い雨の音が聞こえている。

 技術の純粋な「光」が加速すればするほど、その重力に引かれるようにして、自分自身の影がどこまでも深く伸びていくのを、鷹見は静かに感じていた。

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