戦略的撤退
「ご主人様たちー。何してるのー?」
慌てて顔を離した。
馬の下からゴモリが僕たちをのぞきこんでいる。
彼女の存在をすっかり忘れてた……
ヒアはゴモリの言葉に恥ずかしがったのか顔を伏せてしまった。
「そ、それより」
僕は慌てて話題を反らした。
「さっきのグロレンはどういうこと?」
「んー、前も言ったとおりグロレンは未練を残して精霊使いに殺された精霊。だから魔力にも憎しみが混じる。下手に感じ取ると魔力負けして精神にダメージを負うんだ。ヒアさんがやられたのもそのせい」
「でも僕は馬を走らせられるくらいに大丈夫なのに、なんでヒアはこんな……」
「魔力量の違いだよ。ご主人様はけた外れの魔力量だけど、ヒアさんは魔力がずっと小さい。その分受ける影響も大きくなるんだよー」
「やっぱり…… 私なんかよりエルはずっと才能があった。それだけ。私は気にしてない」
ゴモリの物言いを咎めようとしたけれど、当の本人のヒアは顔を持ちあげて、悲しそうな顔で笑っただけだった。
「それより、どうやったらあのグロレンを止められる?」
「……止めないでいい。それより、逃げよう」
僕の提案に対し、ヒアは掠れ気味の声で呟いた。だけど力強い意志が込められた一言だった。
「……あんなのにエルが関わることない。私と一緒に、逃げよう? エルに危ない目に合ってほしくない。今まですごく苦しんできたんだから、今回くらい苦しいことから逃げても罰は当たらないと思う」
ヒアはそこで言葉を切った。
「……だから私と一緒に、王都へ行こう。村へ帰りたくないなら、そこでやりなおせばいい」
ヒアが僕を心配してくれる、それは凄く嬉しい。ヒアと一緒にいられる、それはもっと嬉しい。だけど……
「ごめん。それはできない」
僕は首を横に振った。
「なんで……」
ヒアが目に涙をためる。月明かりに照らされて、宝石のように輝いていた。
「ドルトムントの町で思い出ができたから。リンツの村とは比べ物にならない、いい思い出が。ギルドのフリーダさん、宿のおばさん、仕事で知り合った人。色々な人と仲良くなれた。その町が危ないのに僕だけが安全なところに逃げるなんて、できない」
綺麗事とは思うけど、僕の偽りない本心だ。気に行った場所や人を見捨てておけないと思うのは、おかしいだろうか?
「ご主人様は勇敢というより、責任感が強いっていうタイプだねー」
ゴモリが感心したように頷いていた。
「でも、死んだら…… そこで終わり。さっきの数千人の軍隊は見たはず。あんなと戦うなんて、いくら味方がいるとはいっても、危険すぎる……」
ヒアが僕を心配してくれているのが痛いほど伝わってくる。
またヒアにこんな顔をさせていると思うと、自分で自分を殴りたくなる。
でも、ヒアのいうことは聞けない。
「それに、見捨てるのは嫌いだから」
その台詞を聞いたヒアは口元を押さえ、目を伏せた。
次にギュッと固く目をつむって何かをこらえるように震えている。
「ど、どうしたの、ヒア? さっきのダメージがまだ残ってるの?」
「……違う、違うの……」
ヒアの目から一筋の涙が頬を伝った。それはとめどなく続き、ヒアの目から溢れだす。
拭っても拭っても、こぼれている。堰を切ったように涙があふれ出し、止まらない。
ヒアのこんな泣き方は見たことがない。ただ、感極まったようにすすり泣いていた。
「……エルは変わってない。魔力が少なくて陰口叩かれてた私を救ってくれた時も、同じ言葉」
ヒアは目をごしごしと拭う。少しだけ腫れた目には強い決意が宿っていた。
「……そんなエルと今こうして側にいることがなによりも嬉しい。もう止めない。私はエルと戦うだけ。エルのいるところにどこまでもついていく」
ヒアは目を腫らしていたけれど、行く前よりずっとすっきりした顔だった。
「……私にも協力させて。ゴモリ」
「ありがとー! ヒアっち。でも今は戦略的撤退だよ、準備がなさすぎる」
僕たちは決意を新たにして、ドルトムントへの道を急いだ。




