4 横着者の話
都市を覆う蒸気から突き出た高楼。その屋上には庭園が広がり、色とりどりの鳥が囀っている。驟雨兵団の出資者であるノヴァーク卿の住まいだ。ワインをちびちびと飲みながらチェスに興じるノヴァークは五十過ぎ、堅物の銀行員といった雰囲気だ。向かいに腰掛けたセレネ兵長は、明るい金髪の精悍な女性で、獣の耳と尾を持っている。彼女は狐の獣人だった。
「影泥棒? 妙なものを盗む輩もいたものだ。アンドリューも災難だな」
「彼以外に三名が被害に合っています」涼やかな声で兵長が言った。「〈影術師〉系統の役柄を持つ者の仕業でしょう。ネンボ上等兵を調査に向かわせました」
「今に始まったことではないが、これ以上、冒険者の評判が地に落ちるのは困るな。かつての英雄たちが、なんという有様だ」セレネが駒を動かすのを見て、ノヴァークは少し考えた後、「おや、これは詰んでいるのじゃないか?」
兵長は黙って頷く。卿は息を吐いて、ワインを一口飲んだ。
「まあ、もはやそういう時代なのかもしれぬな。冒険の必要がない世界がそこまで来ていると感じるよ」寂しげな口調でノヴァークは言った。「このまま帝国が魔道技術を発展させれば、いずれ魔界を恒久的に封鎖する方法が発見されるやも知れん。魔物と怪異が都市より駆逐されれば、冒険者たちはどこへ行ったらよいのだ」
「由々しき事態ですね」駒を片付けながら、さして危機感を抱いているわけでもない調子でセレネは答える。
「そういえば、例の転生者とやらはどうだった? 鑑定士を向かわせたそうだが、前世の記憶を保持しているというのは真か?」
「恐らくは。風生まれと見まごうような小柄で童顔な少年でしたが、深いフェイトを保持しています。そして昨日、この街にもう一人の異界人が現れたそうです」
「二人目がやって来たのか? その少年に便乗して詐称しているのではあるまいな」疑わしげに言うノヴァーク卿。
「現在安宿に滞在しているようで、そちらも鑑定士が見たところ、確かに転生者だったようです。ローギルの加護を受けていたということです」
「ほう。何年ぶりかな、加護持ちは。ルドウィグ司教が知ったらさぞ喜ぶだろうな」
ルドウィグはモーンブルワークにおける、〈数多の剣の教会〉の代表者だ。もとは従軍司祭の寄り合いだった彼らは、今日では国中で冒険者の武具を祝福し、傷を癒し、ときには祓魔屋ギルドとともに悪霊やアンデッドを放逐する。混沌を司るローギルの信徒である司教は、信仰する神に似合わず理知的な男だが、突発的に己を痛めつける修行に走ってはそのたびに「真理を見た」などと口走るエキセントリックな面もある。
「あるいは彼らが、この時代につかわされた英雄ならばよいのだが。再び冒険者たちすべてを英雄たらしめる存在ならば」
酔いに任せてか、ノヴァークは夢のようなことを呟いた。
兵長はそれはありえないだろう、と思いつつ、そうであるように、と黙って頷いた。
そのあと、屋敷内は急に騒がしくなった。兵長も面倒そうに下へ降りて行き、ノヴァーク卿が三十分ほどワインを飲んで待っていると、セレネが戻ってきた。
「何事だね?」
「大変なことになりました」そう言いつつ、兵長はワインを注いで飲もうとしている。
「何が大変なのだ。説明したまえ」
「例の影泥棒がらみの話です。そして異界人たちも関わっています」
兵長の内心をノヴァーク卿は察した。セレネは外見から想像できぬほど横着だ。街で起きた何事かを話すのが面倒なのだ。
四の五の言わず話すように、と命ずると、彼女は面倒そうに口を開いた。誰か他の人物が説明してくれればいいのに、と思いながら。