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06 霧月(ブリュメール)十八日のクーデター

「すまないがドゼー、頼みがある」


 そら来た。

 ドゼーはアブキール会戦のあと、そのまま北上し、ナポレオンに会った。

 すると案の定、フランスに「帰る」相談を受けた。


「置いていくのか」


「ああ」


 置いていくのは、将兵である。

 ナポレオンは、当初の構想では、エジプトで善戦し、支配を確立し、姉妹共和国を成立させ、それからフランスへと舞い戻るつもりだった。

 その際、エジプトを任せるのがドゼーである。

 ドイツ戦線の英雄であり、一度はイギリス方面軍司令官に仮任命された男である。

 だからこそ、単なる「置き物」ではなく、「代理人」としてエジプトに在る、という計画だった。


「ところが、いきなりこのアブキール湾でわがフランス艦隊がなくなってしまうとは、予想がつかなかった」


 ナポレオンは苦虫を噛み潰したような表情をした。

 別に勝つとは思っていないが、良くて引き分け、悪くとも、ある程度勢力を残しての負けになると思っていた。

 そこを、ホレーショ・ネルソン提督に打ち砕かれたのは大きい。


「だが今、シドニー・スミスの奴が、オスマン帝国軍を連れてくるという手を使った」


 このオスマン帝国軍を撃破すれば、イギリスの邪魔をすることができる。

 海軍重視のイギリスが、他国の、それも歴戦の陸軍の部隊を連れてきたのは、やはり、エジプトにフランスがいると、不都合なのだ。


「されど、オスマン帝国のムスタファは破った。さしものイギリスも一歩引いた姿勢でいることだろう」


 ナポレオンはこの機にフランスへ帰るという。

 そして、か(・)ね(・)て(・)か(・)ら(・)定(・)め(・)て(・)い(・)た(・)と(・)お(・)り(・)、ドゼーをエジプトに残す。


「ドゼー、君がいれば、フランスはエジプトを保持したいと思われるだろう……そのためだ、そのために君を連れて来た。いてくれるか?」


 その問いは、残酷だった。

 ドゼーは軍人だ。

 命令されれば諾(ウイ)と言ってうなずくしかない。

 しかし、命令ではなく問いだ。

 ドゼーみずからの意志を問うている。

 みずからの意志で、残れと言っている。


「……やろう」


 ドゼーとて、ここでイギリスにとって邪魔者が居続けることの意味を知っていた。

 ここにドゼーがいれば、イギリスはエジプトから目を離せなくなる。

 つまり、イギリスはフランス本国に対し、やれることがなくなって来る。


「僕はこの隙にフランスを取る」


 ナポレオンのねらいは、実にこれにあった。

 へたにイギリスに干渉されると、だからこそのエジプト遠征であり、今、ネルソンによりそれは潰えたものの、まだイギリスの目をエジプトに傾注させるという目的は果たしている。


「ちょうど警察卿(フーシェ)が密使を送って来た。シエイエスがクーデターを目論んでいるらしい、と」


 抜け目のない警察卿は、フランス――パリにおける政界の動きを要所要所でナポレオンに伝えていた。

 そして今、革命の一雄であるシエイエスがバラスら総裁政府を倒す腹積もりであることを教えてくれた。


「この機を逃がさず、フランスを取る」


 ……のちに霧月(ブリュメール)十八日のクーデターといわれる動乱を制し、ナポレオンは統領政府を樹立し、その統領(コンスル)となった。

 それは、(もくろみどおりではなかったとはいえ)エジプト遠征により、イギリスをはじめとする諸外国の干渉を排除することができたおかげなのかもしれない。


*


 ドゼーはエジプトに残った。

 かれは、ただ守りに徹することはなく、上エジプトに盤踞していたムラード・ベイを撃破している。


「これでよし。イギリスの手先になりそうな奴は、これでつぶした。あとは……」


 今やドゼーは、「ナポレオンが何をするか」というのを基本にして、行動を決するようになっていた。

 ナポレオンには、それだけの「何か」があった。

 横柄で傲慢で、自信過剰で、間違えても誤魔化して、それでいて平然としている――厭な奴だが、「何か」あった。

 ドゼーはそれに惹かれている自分を感じた。


「あとは……待つのみだ」


 フランス本国との連絡と補給が途絶え、兵たちはそちらが原因でばたばたと倒れている。

 病気の流行もある。

 このままでは、エジプト遠征軍は、もってあと一年かどうかだ。


「ボナパルト。君は、どうしているのだろうか」


 なぜ、こんなに惹かれるのだろうか。

 辛い日々だが、その疑問が頭について離れなかった。

 そのため、ドゼーはその辛さに耐えることができたのかもしれない。


「何かあるからだ」


 何かとは、何だ。

 嫌な奴だというのはわかっている。

 わかっているが、彼(ナポレオン)は、それだけではない。

 そもそも、最初に嫌な奴と思ったのは、何か。


「それは……レオーベン条約」


 オーストリアとの最前線――ドイツ戦線の功績を、一朝にして奪う、講和条約。

 それは、イタリア戦線という、ドイツ戦線からすると「見せかけの戦線」によってなされた。

 カスティリオーネの戦いをはじめとする、数々の戦い――勝利によって。


「……そうか」


 ドゼーは気づいた。

 それは、自分がやりたかったことなのだ、と。

 大規模なはさみうちを演じ、敵国を手玉に取って、おのれの勝利を最大限に生かし、目に見えるかたちで決着をつける。


「……こういうことをやりたかった」


 ドゼーは、ドイツ戦線でこういうことをやりたかった。

 しかし、ナポレオン・ボナパルトという男はおそらく最初から――イタリア遠征を渇望していたというから――こうすることを望み、やり遂げたのだ。


「それができる男を、私は尊敬する」


 そしてまた、おそらくはパリでもまた、同じようにおのが望みをかなえていることだろう――ドゼーはそう思った。

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