05 アブキール会戦
その知らせを現地の農民から聞いた時、ドゼーはわが耳を疑った。
何と、イギリスのシドニー・スミス提督の艦隊が、オスマン帝国の陸軍をエジプトへと運んできた、というのである。
「ほんとうか」
「正義のスルタンに嘘なんてつくもんかい。こいつぁ、ナイルの河口に行った倅の話じゃ」
その老いた農民の息子は、作物を河口の市場に卸しに行ってきたばかりだという。
ドゼーは直ちにナポレオンに知らせを飛ばし、みずからの師団に移動の準備を命じた。
「急げ。このままでは、フランスに帰れなくなるぞ」
ちなみに、ドゼー師団のこの移動をイギリスやオスマン帝国に密告する者はいなかったという。
それだけ――ドゼーの「正義のスルタン」としての治政が素晴らしかったのであろう。
かくしてドゼーは上エジプトからナイル河口、アブキールへと向かった。
だが会戦の場に間に合うとは思っていない。
「おそらくボナパルトは、この機を待っていた」
ドゼーは、間に合わなくてもいい、こういう圧力を与えることが大事だと思っていた。
そう思える、貴重な将帥だった。
実際、この知らせを受けたナポレオンは、すでにエジプトに戻っており(フランスへの帰還をもくろんでいた)、すぐにアブキールへと急行した。
*
この時、イギリス海軍シドニー・スミス代将によって連れて来られたオスマン帝国陸軍指揮官、サイード・ムスタファ・パシャは、ロシア帝国軍との戦いを経験しており、歴戦の良将であった。
「フランスがエジプトを攻めた時の戦術は、方陣による密集射撃と聞く」
ムスタファは、ならばと、アブキールに要塞を築き、そこで二重の防衛線を設置して、フランス軍を待ち受け、その防禦の戦いにおいて、フランスを撃破する作戦を採った。
オスマン帝国軍は二万。
対するや、フランス共和国軍は七千七百。
勝負は見えたかに思われた。
*
一方のナポレオンは、ムスタファの作戦が有効であると認めたが、弱点があることも看破した。
「オスマン帝国もまた、エジプトからすると余所者だ」
そもそもが、オスマン帝国の支配からエジプトを解放するというのが、フランスの大義名分だった。
エジプトのマムルークや農民からすると、侵略者であることに変わりない。
ゆえに、その要塞の設営も順調に行かず、二重の防衛線も、まだ外側の方は未完成だった。
「速戦し、一戦にして屠る」
ナポレオンはそう宣言し、麾下の猛将、ジョアシャン・ミュラに最前線を任せた。
ミュラは勇躍して攻め入り、あっという間に外側の防衛線を突破した。
だがそこまでで、内側の防衛線は堅く、撤退を余儀なくされた。
「よし、ここからだ」
ミュラは麾下の騎兵隊を待機させ、しばらくオスマン帝国の出方を待った。
すると、オスマン帝国は内側の防衛線から出てきて、地に伏していたフランス軍の負傷兵を突き刺し、切り刻んだ。
……オスマン帝国軍がこの頃におこなっていた「やり方」で、フランス軍はこれに知悉していた。
「かかれ」
すでにミュラの隣に、葦毛の馬に乗ってやって来ていたナポレオンはそう命じた。
ミュラは驚異的な速度で攻めかかり、オスマン帝国軍が内側の防衛線を閉じる隙を与えず、そのまま本営テントにいたムスタファを捕まえた。
この時、ミュラはサーベルでムスタファの指を二本斬った。
一方のムスタファは、拳銃でミュラのあごを撃った。
……これにより、オスマン帝国軍は「もう駄目だ」と叫び出し、アブキール湾に停泊中のイギリス艦隊に向かって逃げ出した。
「見ろ。やはり、オスマン帝国軍にとってもエジプトは敵地。一敗地に塗れれば、逃げるしかない」
オスマン帝国軍のある者は溺れ、ある者は逃げたが、すぐに降伏した。
この時、オスマン帝国軍は当初の二万のうち、二千が戦死、四千が溺死、捕虜千五百、行方不明二千という、結果に終わった。
一方のフランスは、七千七百のうち、死傷者は千にとどまった。
フランス――ナポレオンの圧勝である。




