03 イギリス方面軍仮司令官
ドゼーは南に向かった。
イギリス方面軍、という名前にそぐわず、任地は南仏、イタリアとなるらしい。
「北海を征くのかね? 不可能だ」
フーシェの回答は、簡にして要を得ていた。
海運国家にして、一大海軍国家。
それがイギリスであり、そのイギリスの「わが海」である北海、ドーバー海峡を行くなど、不可能に等しい。
「……それこそ、上古の獅子王ルイ八世ぐらいの勢威がないとな」
フーシェは自嘲めいたセリフを口にする。
かつてのカペー朝の王、ルイ八世はイングランドのジョン王に戦争をしかけ、イングランドに攻め入ったことがある。
この頃のカペー朝は、ルイ八世の父・フィリップ尊厳王、子・ルイ九世(聖王ルイ)と、綺羅星のような統治者に恵まれている。
今――革命政府はそうではないという、フーシェの自嘲である。
「というわけで南か」
ドゼーは、南仏をめざすことにした。
結局のところ。フーシェに踊らされているような気がする。
実月十八日のクーデター、あのクーデターに際して、もし、フーシェの執務室に入り浸っていなければ、参加させられていたのかもしれない。
あるいは、貴族出身のドゼーは、排斥対象とされてしまっていたのかもしれない。
その恩を返せ。
とは、フーシェは言わなかったが、ドゼーの矜持が、このまま守られたまま、というのは善くないと判じた。
ゆえに、南仏――軍港トゥーロンに向かった。
*
トゥーロン。
この港湾都市は四年前、王党派とイギリスとスペインに占領されており、革命政府が攻囲戦を展開した。
それは、砲撃の点をめぐっての争いで、最後にはナポレオンがその点を奪取し、英国艦隊らを追い払って勝利したという。
「げんかつぎか」
軍人にはありがちなことだ。
あの日勝ったのは軍靴を右から履いたおかげと言って、左から履いてしまったのを履き直す。
この日生き残ったのは穴の開いた軍帽をしていたから、また敢えて穴を開けるとか。
……そういうげんかつぎをすることを、ドゼーは否定しない。
「だから『イギリス方面軍』とやらも、イギリスに勝つために、このトゥーロンを本拠地にするつもりか、ボナパルト?」
そう、ドゼーは見抜いていた。
フーシェがなぜ自分を匿い、『イギリス方面軍』司令官に仮任命したのかを。
それは――フーシェと太いつながりのあるナポレオンが、人を欲したからだ。
戦場において、あるいは戦場それ自体を任せる人を。
なぜだがドゼーには、それがわかった。
「それともうひとつ。このドゼーをイギリスに当てる。そういう風に思わせておいて……何かする気だ、あの男は」
この頃、フランス国内外において、「有名な将軍」となると、ナポレオンやオッシュ、それにドゼーである。
他にもいろいろといるが、とにかくドゼーは、少なくとも国外からも注目を集める軍人のひとりではあった。
それゆえに、「ドゼー、イギリス方面軍司令官に仮任命」というニュースは、おそらくはイギリス国内にも伝わっている。
「隠れみの、か」
他ならぬナポレオン自身がレオーベン条約を締結したため、イタリア戦線、ドイツ戦線は落ち着きつつある。
であれば対仏大同盟の一雄であるイギリスをたたくための「何か」をするつもりなのだろう。
「それはいったい、何か」
ドゼーの軍人としての好奇心が頭をもたげた。
もしかしたら、レオーベン条約からつづく、カンポ・フォルミオの和約、ラシュタット会議など、その辺も目くらましなのかもしれない。
「さて、ボナパルトは何をねらっているのか」
イギリスに対する攻撃につながる「何か」であることは間違いない。
それはいったい何なのか。
ドゼーはトゥーロンでブイヤベースを食べながら、そんなことを考えていた。
しかし、食べ終えてトゥーロンの司令部に戻ると、すぐにその答えが出た。
「辞令だと?」
パリからの特別便によるその書簡の封を、ドゼーは無造作に破って、中を見た。
思わず、吹きそうになった。
奇想天外だとわかっていて、こんなことをする奴はいない。
ところが、いないと思っていたそいつこそ、ナポレオン・ボナパルトだった。
「エジプトだと?」
古代ギリシャやローマの帝王にでもなったつもりか。
ドゼーは転任先の司令官に会ったら、そう言うことにした。
エジプト遠征軍司令官――ナポレオン・ボナパルトに。




