02 乾いたギロチン
実月十八日、クーデターが起きた。
まず、議長のピシュグリュが、利敵行為を問われた。
これは――ナポレオン・ボナパルトが提出し証拠に基づく弾劾である。
「……よし、やれ!」
この証拠を元に、総裁バラスは議長のピシュグリュをはじめ、議会の王党派は軒並み逮捕した。
そうでなくとも、ナポレオンのよこしたオージュローや、ヴァンデ戦役を制したオッシュなどの八万の軍を用意している。
……王党派はひとたまりもなかった。
バラスはさらに、彼と距離を置く総裁──バルテルミー、カルノーの身柄の確保も狙った。
みずからの党与を総裁につけるためである。
「バルテルミー、捕らえました」
「カルノーには、逃げられました」
オッシュとオージュローの二人からその報告を聞き、バラスは満足そうにうなずいた。
要は、総裁の席さえ空いていれば、それでいい。
捕らえる捕らえないの差はあるが、バラスはそれでよしとした。
「バルテルミーや王党派は、カイエンヌに送れ」
フランス領ギアナにあるその地は風土病があり、送られた人々はそれで死んだ。
それゆえ当時、その風土病のことを「乾いたギロチン」と呼んだ。
*
「乾いたギロチン、か」
いつの間にやらフーシェの執務室に屯するようになったドゼーはそうつぶやいた。
何だかんだ言って、この痩せぎすの青白い顔をした男──フーシェは、こういう時の嗅覚に優れ、この実月においても、巧みに生き抜き、つまりは勝者の側についていた。
「乾いていないギロチンよりは、ましなのではないだろうか」
フーシェは無表情だった。
ドゼーはそののっぺりとしたところに不気味さを覚えた。
こいつは何なのだ。
いかにもわれ関せず焉という雰囲気を漂わせながら、その実、実月十八日のクーデターの情報戦を導いたのは、この男である。
「ドゼー、君も警察卿執務室にいたおかげで」
「それ以上、言わないでくれ」
警察卿フーシェの言葉を、ドゼーは片手を上げてさえぎる。
クーデターの影響は、軍にも及んでいる。
そういう影響がドゼーのところまで来なかったのは、警察卿の輩だと思われていたからである。
だがドゼーは不本意である。
そもそも、カルノーに物申そうと来たのに。
「カルノーの行方を知っているからと」
「知ってはいる」
にべもない回答。
いつものジョゼフ・フーシェだ。
つまりはドゼーは一杯食わされた。
カルノーの「行方」を餌に、フーシェはドゼーを留め置いた。
警察卿執務室に。
「……で、そろそろその知っていることを教えてもらおうか」
「外国だ」
あいもかわらずの無表情。
ドゼーは殴りかかろうとする自分を押さえるのに必死だった。
「……外国って、どこの国だ」
「それを知ったところで、もはや意味をなすまい?」
「…………」
ぎり、とドゼーは歯ぎしりした。
確かに今のカルノーに文句を言ってもしょうがない。
総裁であるうちだったら、まだわかる。
譲歩を引き出し、ドイツ戦線の将兵に報いることができた。
「ある情報によると」
こめかみをとんとんとしながら、フーシェが言った。
イギリスの可能性がある、と。
ドゼーは思った。
釣りだな、と。
「その情報の情報源は」
「秘匿されている」
「ほんとうなのか」
「可能性だ」
このつかみどころのないフーシェは、嘘は言っていないが、それだけで、すぐ煙に巻いて来る。
そうかと思えば、思いもよらぬところから、奇襲をしてくる。
「そういえばボナパルトだが、あの国を何とかしろと言っていたな」
「ボナパルト」
レオーベン条約の立役者。
そもそものドゼーのパリ行きの「理由」である。
「ボナパルトはトゥーロンであの国と戦った。かなりてこずったそうだが、そのてこずる相手を何とかしろと言う」
この頃のナポレオンは、イタリア遠征を成功裡に収め、さらなる勲を求めていた。
対仏大同盟は、オーストリアが抜けたため、骨抜きになっている。
であれば、ヨーロッパ諸国を矢面に立たせ、ただひとつだけ海を隔てて狡猾に振る舞うあの国を討つべきだ。
「さて、ちょうど、あの国を攻める、というくわだてがある」
何でもないことのようにフーシェは言った。
その割には、けっこうな大ごとで、たとえば艦隊が要る。
「そうだろう警察卿、あの国――イギリスを攻めるとなると」
「まあ、そうだ」
軍事は管轄外だ、とフーシェは肩をすくめた。
管轄内のドゼーの方は、その黒い目をしばたたいた。
「……ふむ」
その時、いたずらめいた光が、黒い目に宿った。
何か、よからぬことを思いついた顔だ――フーシェはその人生経験から、悟った。
「そのイギリスを攻める、イギリス方面軍か? この私が司令官になりたいのだが、どうだろうか」
ドゼーの満面の笑顔に、さすがのフーシェもため息をついた。




