01 実月(フリュクティドール)十八日のクーデター
一七九五年。
ストラスブール対岸、ケール要塞。
フランス革命軍、ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー将軍はこの要塞での戦いで多大な功績を上げた。
それは、ちょうどイタリア戦線で活躍しているナポレオン・ボナパルトなる将軍に比肩さるべきもの、と革命政府にも認識されていた。
しかし。
「レオーベン条約?」
当のナポレオンが勝手にオーストリアとの条約を結んでしまった。
これにより、ドイツ戦線でオーストリアと戦っていたドゼーらは、いわば肩透かしを食らったようなかたちになった。
当時――一七九七年の当時、フランス革命政府は第一次対仏大同盟という各国の脅威にさらされており、中でもオーストリアとの戦いは激戦を極めた。
兵力不足、糧食不足、給料不払い、汚職、裏切り……ドイツ戦線は「特に」というほど、敵ではなく「味方」との争闘がすさまじかった。
「でも、私たちは勝った」
一時はケールを落とし、そしてそのケールを失ったが、ドイツ戦線のフランス軍は善く戦った。
オーストリアが名将・カール大公を投入してきたほどに。
それでもドイツ戦線でフランス軍は戦って、戦って。
フランスを守りつづけた。
しかし、その間に――イタリア方面から、ナポレオン・ボナパルトが、まるでドイツに押された分、押し返しているかのように、進撃をつづけた。
それは元々、フランス革命政府の軍事指導者、ラザール・カルノーによる「ピンサー作戦(オーストリアを二本の刃で断ち切る作戦)」によるものだったが、このナポレオンの動きが凄まじく、それはオーストリアの首都ウィーンに迫るほどであった。
「これは、たまらぬ」
オーストリアは音を上げ、ナポレオンとの講和に応じた。
この講和が問題だった。
フランス革命政府――ならびに、ドイツ戦線で戦って来た将兵にとっては。
「何なんだ、あいつは」
トゥーロン。
ヴァンデミエール。
カスティリオーネ。
それらの戦いで勝利を挙げた男、ナポレオン・ボナパルト。
それは赫赫たる武勲であり、文句を言うつもりもない。
だが、ドイツ戦線の方だって、勝利はあった。
「そう、たとえばケール」
ドゼー自身が活躍した戦いである。
そういう勝利があるにもかかわらず、ナポレオンはそういう戦いをしり目に、イタリア戦線が「薄い」ことをいいことに、どんどんウィーンへと近づいていった。
「結果、レオーベン条約だ」
これではドイツ戦線は踏み台ではないか。
憤懣やるかたないドゼーは、パリに行くことにした。
このようなやり方をは――つまりは革命政府の許しを得ない、独断専行である。
「パリはそれを認めているのか。認めざるを得ないのか。そうだとしても、何らかの譲歩は引き出してやる」
ドゼーは、レオーベン条約を撤回させたい。しかし、国と国との間のこと――今さら元に戻せないこともあると知っている。
だからせめて、それができなかったら、戦いの成果を「横取り」されたドイツ戦線の将兵に、報いてやりたいと思っていた。
*
パリ。
ここでドゼーはラザール・カルノーを訪ねたが、「忙しい」のひとことで、面会を断られた。
「何だと言うんだ」
仮にもカルノーは、陸相あるいは戦争相といわれる立場である。そのカルノーが、将軍(師団長)であるドゼーの面会を断るとはいかがなものか。
憤懣やるかたないドゼーが政庁を辞そうとすると、あるひとりの――貧相な男と出くわした。
男は書類を多く抱えており、ちょうどそれを取り落としたところだった。
ドゼーがそれを拾うと、すまないと言って、謝意を示した。礼はいいと言ってドゼ―が去ろうとすると、
「カルノーなら、もう会えないと思った方がいい」
と、ささやいた。
思わずドゼ―が振り向くと、小男は何と、政庁の執務室のドアを開けていた――「警察卿」と木札をぶら下げたドアを。
「ようこそ、ドゼ―将軍。書類を――見ないようにして拾ってくれたことを感謝するよ。さ、来たまえ」
警察卿の執務室の主――つまりは警察卿、ジョゼフ・フーシェは、ドゼ―を手招いた。
*
ジョゼフ・フーシェは、割愛するが、この激動の時代を常に、「勝者の側に立って」生き抜いてきた、稀有の人物である。
のちの史家、シュテファン・ツヴァイク曰く、「のらりくらりした爬虫類的人物」。
その警察卿フーシェが、何を思ったか、ドイツ戦線の英雄、ドゼ―に対して、同室しろと言っている。
「……入らないのかね? この出会いは偶然だ。しかも、部下たちは今、出払っている。だから書類をみずから運んでいたわけだが……まあいい、その書類を拾ってくれた礼ぐらいは、しようじゃあないか、ドゼー将軍?」
やたら疑問形で、撥ね上がる感じで語尾を強調する奴だ。
まず、ドゼーが思ったのは、それであった。
「礼と言うと」
何をしてくれるのか、と言いながら、ドゼーは警察卿の執務室に入った。
その背後で、執務室のドアは、ぱたんと閉じた。
どうやら、そういう風に作られているらしい。
「ドゼー将軍、君がわざわざパリに来て、そしてこの政庁を訪う――それだけで、軍務について不服があり、それを申し立てる相手は、カルノーだと知れる」
「つまり警察卿、貴方は私がドゼーだと知っていた……と」
「……聡い男だ。ボナパルトもそのような感じで、人の言葉からいろいろなものを推量する」
フーシェからすると、革命政府の――特に軍務に就く者については、すべて顔かたちに至るまで覚えていると言った。
特にドゼーぐらいの高位の軍人だと、肖像画もある。
ドゼー自身は妹に、絵画なら自由の象徴を描けばいい、フランスにはそれだけあればいいと言ったと伝えられているが。
「ボナパルト……」
「彼に興味があるのかね? 目下、イタリア戦線で忙しいみたいだが」
会ってみたい、ということはある。
しかし、今は、カルノーに物申す方が先だ。
ドゼーがそう言うと、フーシェは首を振った。
「そのボナパルトのせいで、彼は今、フランスにいない」
「何だと? どういうことだ?」
簡単なことだ、とフーシェは答えた。
のちに実月十八日のクーデターといわれるたくらみが、この時、進行していた。
かいつまんでいうと、バラスら総裁政府の総裁は、葡萄月の叛乱を鎮圧し、権力を握った。
しかし、王党派が徐々に勢力を増し、選挙により多数を占め、しかも王党派に同情的な――ピシュグリュという男が議長になったため、もう一度軍事的な行動を起こそうとしていた。
「そこでバラスはまたボナパルトを頼った。葡萄月のように」
葡萄月の叛乱は、バラスがボナパルトに命じて叛徒――王党派を鎮圧して、総裁となった。
今ふたたび王党派が盛り上がろうとするのなら、こちらも今ふたたび、とバラスは考えた。
「それゆえ、ボナパルトは麾下のオージュローをパリに差し向けた、というわけさ」
フーシェは、彼らしくなく、肩をすくめた。
つまりはそれだけくだらないことだ、という意味らしい。




