第九章 古代魔導機関の修復
試験会場は、王城の地下一階、古代魔導機関の保管庫だった。
石造りの広間。中央に円形の作業台。
そこに、直径五十センチの円盤型試料が、静かに置かれていた。
俺は両手を腰に当てて、しばらくその試料を見つめていた。
古代の結合師の仕事。
五百年の歳月を経て、それは確かに劣化していたが、構造の美しさは、損なわれていなかった。
螺旋管の継ぎ目に施された溶接ビードは、波が滑らかに連続していた。
現代の俺が見ても、感心するほどの仕上がりだ。
ただ、長年の振動と熱変化で、ビードの一部に微細な疲労亀裂が走っている。
俺の仕事は、その亀裂を、一度完全に削り取り、新しい裏波を打ち直すことだった。
会場には、王、宰相、宮廷魔導士団の幹部たち、そして辺境伯家からはルクレイアと、彼女が信頼する数名の騎士が立ち会っていた。
俺は作業を始める前に、見学者全員に頭を下げた。
「これから、強い光と火花が出ます。直接見ると目を焼きます。皆様、こちらの遮光板の後ろから観覧してください」
俺は事前にドガラム経由で発注していた、簡易遮光板を提示した。
会場の壁際に並べる。
「火花が飛びます。乾いた布や紙、油類を、作業台から五メートル以内に置かないでください」
「それから、シールドガス代わりに不活性魔素を充填します。地下空間で酸素濃度が下がる可能性があるので、扉を開放したまま、見張りを一人、出口に立たせてください」
俺の現場慣れした口調に、王と宰相が、顔を見合わせた。
カルツェルは鼻で笑った。
「異邦人どの。我ら宮廷魔導士団に、その程度の注意は不要だ。早く本番を始められよ」
「申し訳ありません。これは作業の一部です」
俺は譲らなかった。
ルクレイアが横から、はっきりとした声で言った。
「結合師どのの指示に、全員が従ってください。これは王城の安全に関わる手順です」
彼女の言葉は短かったが、効いた。
全員が、遮光板の後ろに移動した。
俺は深く息を吸い、作業に入った。
まず、ヤスリと回転式の研削具で、亀裂部分を削り取る。
削り取った断面の内部、酸化していた部分を完全に除去する。
切削痕を確認し、母材の組織を観察する。
「炭素当量、おそらく〇・五前後。予熱、一二〇度で十五分」
俺は独り言のように呟きながら、ドガラムから借りてきた火炎魔石を点火し、母材の周辺を温めていく。
サーモクレヨンを走らせ、目標温度に達したのを確認する。
「層間温度、上限二五〇度。シールドガス、流量確保」
雷魔石を電源とした即席アーク機を起動する。
遮光面を下ろし、トーチを母材に近づける。
青白い光が、爆ぜた。
会場の見学者たちが、息を呑む音が、遠くで聞こえた。
俺は集中していた。
光と、音と、溶融池の挙動だけが、世界のすべてだった。
古代の結合師が遺したビードに、俺の新しいビードが繋がる。
五百年の時を超えて、職人の手と手が、繋がっていく。
不思議な感覚だった。
俺はこの試料の、最初の作り手の名前も顔も知らない。
でも、その人がここで何を考え、どんな手順で作業したか、ビードの跡を見れば、ある程度は分かる。
仕事は、言葉なしで会話する。
多層盛りに入った。
一層ごとに層間温度を確認し、必要があれば冷却を待つ。
誰も急かさなかった。
ルクレイアだけが、俺の作業ペースに合わせて、見学者たちに静かに状況を伝えていた。
「現在、第三層。層間温度確認中。十分後に第四層へ」
彼女の声は、現場監督のそれだった。
最後の仕上げ層が完成した時、外はすでに夜明け前だった。
俺はトーチを置き、汗を拭いた。
体は疲れ切っていたが、達成感は深かった。
冷却を待ち、表面のスラグを除去し、外観検査を行う。
ビードの形状、余盛、止端、すべて、想定通り。
アンダーカットなし、オーバーラップなし、ピット痕なし。
「完了しました」
俺はそう告げて、作業台から下がった。
宮廷魔導士団の若手が、震える手で、円盤の中央に魔石を装着した。
誰もが、息を詰めて、その瞬間を待っていた。
魔石が、光った。
円盤が、低く唸り、回転を始めた。
五百年、停止していた古代の魔導機関が、もう一度、動き出した。
「……動いた」
誰かが、呟いた。
「動いている、五百年ぶり、に……!」
会場が、騒然となった。
宰相が壁にもたれて崩れ落ち、両手で顔を覆った。
王は無言で、立ち上がった。
立ち上がったまま、しばらく動かなかった。
俺は作業台の片付けを始めた。
工具を一つずつ、工具袋に戻す。
それが、俺の仕事の最後の仕事だ。
片付けの途中、足音が近づいた。
俺は顔を上げた。
目の前で、ドガラム以外の全員が、膝を、ついていた。
王も、宰相も、騎士たちも、宮廷魔導士団の幹部たちも。
ただ一人、カルツェルだけが、青ざめた顔で、立ち尽くしていた。
「結合師どの」
王が、初めて口を開いた。
その声は、震えていた。
「あなたの仕事を、王国は、王国の名において、認める」
俺はゆっくりと頭を下げた。
頭を下げながら、俺は奇妙なほど、冷静だった。
俺がやったのは、現場で何百回もやってきた、ただの修復だ。
なのに、ここでは、王が膝をつく。
胸の奥で、所長の声が、もう一度、聞こえた気がした。
『十年後にあれを見た奴は、絶対に思うぜ。前にやった奴、いい仕事してたな、ってよ』
所長、と俺は心の中で呟いた。
五百年後にも、誰かは、思ったみたいですよ。
会場の隅で、カルツェルがゆっくりと踵を返し、無言で出ていった。
その背中を、俺は遠目で見送った。
ルクレイアが、俺の隣に立った。
「結合師どの」
「はい」
「次は、聖剣ですね」
俺は頷いた。
「ええ。次は、聖剣です」




