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溶接工が異世界転生して、『裏波』で世界を救って帰還する話  作者: もしものべりすと


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第二十四章 退職、新たな手

退職届を提出してから、一ヶ月が経った。


 会社は慰留しなかった。

 社長は俺の決断を深く理解してくれた。

 送別会では所長が酔いながら、何度も俺の肩を叩いた。


「芝山。元気でな」

「所長も、お元気で」

「俺の家のガス管、忘れんなよ」

「分かってます」


 現場部長や他の同期、後輩たちも、口々に別れの言葉を贈ってくれた。

 驚いたのは、若手の一人が目を潤ませていたことだった。


「芝山さん。俺、芝山さんから教わったこと、忘れません」

「教えたようなことは、特に」

「いえ。あのKY活動のとき、芝山さん、いつもちゃんと最後まで説明してくれてました。他の先輩は形だけだったのに」

「ああ」

「ヘルメットの顎紐、革手袋の穴、防塵マスクのフィルター、毎朝確認して。俺、最初、面倒くさいなって思ってたんです」

「うん」

「でも、ある日、芝山さんが言ったんです。『これ、全部、過去に誰かが死んだからある決まりなんだ』って」


 若手は頭を下げた。


「俺、あれ聞いてから、ヘルメットの顎紐、ちゃんと締めるようになりました」


 俺は頷いた。

 その若手の頭に、軽く手を置いた。


「ありがとう。それを続けてくれ」

「はい」

「お前がいつか俺と同じ歳になったとき、たぶんこの決まりが、お前を生かしてる」


 俺はそれだけ言った。


 若手が深く頭を下げた。


 送別会が終わった夜、俺は十年勤めた会社の、夜の門を出た。

 振り返ると、構内の灯が煌々と点いていた。

 夜間作業の現場が、今夜も続いているらしかった。


 誰かが配管の内側に、裏波を打っているのだろう。


 俺は軽く頭を下げて、歩き出した。


 退職金で、俺は市内の郊外に、小さな倉庫を借りた。

 築四十年の、トタン屋根の古い建物。

 以前は自動車修理工場だったらしい。

 家賃は月額五万円。

 手の届く価格だった。


 中古の溶接機を二台買った。

 TIG用と被覆アーク用。

 工具類、ガスボンベ、安全装備、すべて自前で揃えた。


 看板を自分で書いた。

 黒いペンキでシンプルに二行。


『芝山溶接工房 配管修理 承ります』


 文字は達筆ではなかった。

 でも自分で書いた、と思うと不思議に誇らしかった。


 最初の仕事は、開業から三日後に入った。


 所長からの紹介だった。

 彼の家のガス管ではなく、近所の小さな町工場の配管修理。

 水蒸気配管の、フランジ部分の漏れ。


 俺は軽トラックに機材を積んで、現場に向かった。

 町工場の社長、六十代の男性が深く頭を下げた。


「ああ、芝山さん。ようこそ」

「お世話になります」

「実は、この配管、もう十年以上漏れててね。何回も修理頼んでも、結局また漏れる」

「拝見します」


 俺は現場を確認した。


 原因はすぐに分かった。

 過去の修理がすべて表面の溶接だけで、内側の処理をしていなかった。

 だから内側で結露した水分が、徐々に母材を腐食させていた。

 時間の問題で、また漏れる。


「社長」

「はい」

「これ、内側からもう一度やらないと、根本的には直らないです」

「内側、ですか」

「ええ。配管を一度切断して、内側から滑らかなビードを打ちます。それで五十年は持ちます」

「五十年!」

「ええ」


 社長はしばらく無言だった。


「芝山さん。お代はいくらになりますか」

「材料費と二日分の工賃で、十二万円です」

「十二万」

「他の業者より、たぶん高いです」

「いや、それは」


 社長は首を振った。


「五十年持つなら、安いものですよ。やってください」


 俺は頷いた。


 二日かけて、配管を切断し、開先を整え、予熱を行い、TIGで内側に滑らかな裏波を打った。


 誰にも見えない仕事。

 町工場の薄暗い古い建物の中で、俺は一人、トーチを握っていた。


 仕事を終えた時、社長が現場に戻ってきた。

 彼は配管の継ぎ目を、外側から確認した。


「綺麗なビードですねえ」

「ええ。中身はもっと綺麗ですよ」

「中身」

「内視鏡があれば、お見せしますが」

「ああ、うちにはないなあ」


 社長は笑った。


「でも、芝山さんがそう言うんなら、信じます」

「ありがとうございます」


 俺は手帳に、その日の作業記録を書いた。

 社長のサインをもらった。


 現場を出た時、夕暮れだった。

 軽トラックの荷台に機材を積み込みながら、俺はふと思った。


 誰にも見られない仕事だ。

 でも五十年後、もし誰かがこの配管を開けて、内側を見たら。

 その人はたぶん、思う。


『前にやった奴、いい仕事してたな、ってよ』


 所長の声が、頭の中で響いた。


 俺は軽トラックを運転して、工房へ戻った。


 工房を開けて二週間ほど経ったある日、見知らぬ若者が俺の工房を訪ねてきた。


 まだ二十歳くらいに見えた。

 痩せていて、引っ込み思案そうな顔つき。

 手に紙袋を抱えていた。

 紙袋の中身は履歴書らしかった。


「あの、すみません」

「はい」

「ここで職人を募集してると、聞いたんですけど」


 俺は首を傾げた。

 募集は出していなかった。


「どこで聞きましたか」

「ハローワークで。元、芝山さんの会社の所長さん、という方がご紹介を」


 所長かと、俺は心の中で呟いた。


「君、溶接できるんですか」

「いえ」


 若者は首を振った。


「未経験です。でも、配管の修理をやりたいんです」

「なんで」

「父が配管屋でした。三年前、現場で亡くなりました」


 俺はしばらく無言だった。


 若者は続けた。


「父の仕事を引き継ぎたいんです。でも、誰も教えてくれる人がいなくて」


 俺は若者を、工房の中に招き入れた。

 古い椅子に彼を座らせた。

 お茶を淹れた。


「君のお父さん、どんな仕事をしてましたか」

「水道管、ガス管、いろいろです」

「現場での事故、というのは」

「足場からの転落です」

「そうか」


 俺は自分の手帳を、机の上に置いた。


「君、この手帳、見てくれ」

「はい」

「俺、十年、毎日、現場の作業をこれに書いてる」


 若者はページをめくった。

 彼の目がゆっくりと見開かれていった。


「これ、全部、書いたんですか」

「全部、書いた」

「誰のために」

「誰のためか、分からん」


 俺は苦笑した。


「でも、書く。それが俺の仕事の一部だ」


 若者はしばらく手帳を見つめていた。

 それから深く頭を下げた。


「芝山さん、お願いします」

「うん?」

「俺、ここで働かせてください。給料、安くていいです。寝床も自分で確保します。ただ、教えてください」


 俺は頷いた。


「給料はちゃんと出す。寝床も、必要なら二階の部屋を貸す」

「いいんですか」

「ただし、条件が一つ」

「はい」

「お前も毎日、手帳を書け。一日の作業のすべてを」


 若者は深く頷いた。


「分かりました」


 俺は手を差し出した。

 若者がその手を握った。

 彼の手はまだ若く、柔らかかった。

 でも、握り返す力は強かった。


「名前、なんていう」

「鳥居、健太郎、です」

「健太郎。よろしく」

「よろしくお願いします、親方」


 親方、という響きが不思議だった。

 俺はいつか誰かにそう呼ばれる日が来るとは、思っていなかった。


 その夜、俺は新しい手帳にこう書き加えた。


『弟子、入る。鳥居健太郎。父の遺志を継ぐ若者』


 ペンを置いて、夜空を見上げた。

 窓の外、街の灯の上に、月が出ていた。


 俺はふと、ヴェントーラの夜の、二つの月を思い出した。

 あれからもう、ずいぶん経った気がした。


 それでもルクレイアの言葉が、まだ頭の中で響いていた。


『あなたの仕事を、私たちは、千年、覚えています』


 俺は微笑んだ。


 千年覚えていてくれる人がいるなら、俺はきっとここでも、いい仕事ができる。

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