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溶接工が異世界転生して、『裏波』で世界を救って帰還する話  作者: もしものべりすと


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第二十三章 真実の連鎖

聴聞会から二週間が経った。


 外部監査役の調査は、思った以上の速さで進んでいた。

 俺の手帳の記録、現場の自動記録、所長の証言、これらを基に、過去の作業記録が徹底的に洗い直された。


 その結果、明らかになった事実は、爆発当日の予熱省略だけではなかった。


 過去三年間、園田が自分の管理した複数の現場で、安全関連の手続きを省略していたこと。

 そのうちの何件かは、俺が事前に進言していたが、握り潰されていたこと。

 俺の手柄として記録されるべきだった溶接案件が、園田の名義で本社に報告されていたこと。

 園田が自分の昇進のために、現場の写真と業務記録を繰り返し不正に流用していたこと。


 すべて俺の手帳に書いてあった。


 誰にも読まれないと思って書いていた、十年分の記録。

 それがすべて、証拠になった。


 会社は正式に、園田を懲戒解雇とした。

 さらに外部監査役の報告を受けて、検察に書類を送った。

 業務上過失致傷、虚偽報告、業務上横領。

 俺の知らない刑事的な手続きが、進んでいるらしかった。


 俺はその間、自宅療養を続けていた。


 寝室の机に、爆発で泥にまみれた手帳と、新品の手帳とを並べて置いていた。

 新品の方には、まだ何も書いていなかった。

 書く気が起きなかった。


 会社からは聴聞会後、何度か呼び出しがあった。

 昇進の打診、表彰、社外発表の依頼、研究機関からの取材、いろいろなものが舞い込んできた。


 俺はそのほとんどを断った。


 ある日の午後、所長が自宅まで訪ねてきた。

 例によって、缶コーヒーを二本抱えていた。


「芝山。具合は、どうだ」

「もう大丈夫です。来週から現場、復帰します」

「そうか」


 所長は玄関先で、缶コーヒーを開けた。

 俺は自宅の狭い玄関ホールに、彼と並んで立っていた。


「芝山。会社、お前を技術主任に上げたいって言ってるぞ」

「聞きました」

「指揮卓だ。現場でトーチを握る代わりに、若手を指導する立場になる」

「ええ」

「お前、引き受ける気は」


 俺はしばらく、缶コーヒーを見つめていた。


「所長」

「ああ」

「俺、たぶん現場に戻りたいんです」

「現場?」

「指揮卓じゃなくて、トーチを握る現場に」


 所長はしばらく無言だった。


 俺は続けた。


「俺、十年、配管の中の裏波だけ打ってきました。それだけしかできません。指揮卓に上がっても、たぶん何もできません」

「お前、そう言うと思った」


 所長は笑った。


「お前は、そういう男だ」

「はい」

「ただ、なあ、芝山」


 所長は缶コーヒーを啜った。


「お前の技術を若手に伝えてほしい、という話もある」

「伝える」

「俺はもうすぐ定年だ。お前みたいな本物の現場屋が教えなければ、誰が若手に何を伝えるんだ」


 俺は缶コーヒーを両手で握った。


「所長。一つ相談、いいですか」

「ああ」

「俺、会社、辞めようと思ってるんです」


 所長は俺の顔を見た。


「辞めて、どうする」

「自分の小さな工房を作りたいんです。配管修理、専門の。中古の溶接機を一台置いて、近所の小さな仕事を受けて」

「徒弟、取るのか」

「もし来てくれる人が、いたら」


 所長はしばらく無言だった。

 それから缶コーヒーを飲み干し、空き缶をゴミ袋に入れた。


「芝山」

「はい」

「お前、いい職人になったな」


 所長の目が赤かった。


 俺は頭を下げた。


「所長のおかげです」

「いや。お前は自分一人で、ここまで来た。俺はただ、見てただけだ」

「見ていてくれた、それが大きいんです」


 所長はふっと笑った。

 彼は玄関を出る前に、もう一度振り返った。


「芝山。工房を開いたら、教えろよ。最初の客は俺だ」

「分かりました」

「配管修理、まあ、俺の家にガス管の古いやつが一本あってな。あれ、ずっと気になってたんだ」

「やります。退職金で機材揃えたら、すぐに」

「ああ。じゃあ、また」


 所長は玄関を出ていった。


 扉が閉まった。


 俺はしばらく、その場で立ち尽くしていた。


 胸の奥で、何かが長い時間をかけてゆっくりと溶けていく感じがあった。

 十年分の、誰にも読まれない手帳の、その重み。

 誰にも認められないと思っていた、一人の現場の十年。

 それがようやく、誰かに認められた。


 その日の夜、俺は新品の手帳の、最初のページを開いた。

 ボールペンを握った。


 最初の一行を書いた。


『退職届、明日提出予定。新工房、計画開始』


 久しぶりの、ボールペンの走る音。

 夜の自宅の静けさの中で、その音だけが響いていた。


 書きながら、俺は思った。


 誰のために書いているか、もう分からなくなっていた。

 でも、書く。

 それが俺の仕事の一部だ。


 窓の外、二つではなく、一つの月が空に上がっていた。


 ふと、俺は思い出した。

 ヴェントーラの夜の、二つの月の銀色の光を。

 ルクレイアの瞳の強さを。

 ドガラム老人の震える手を。


 あれは夢だったのかもしれない。


 でも、と俺は思った。


 夢だとしても、あの夢を見たから、俺は今ここにいる。

 誰にも見えない裏波を、最後まで打ち続けることができる。


 それで、十分だ。


 俺は新しい手帳にもう一行、書き加えた。


『誰にも見えない仕事を、続ける』


 ペンを置いた。

 寝室の明かりを消した。


 眠りに落ちる前、俺の頭の中で、所長の声がもう一度響いた。


『十年後にあれを見た奴は、絶対に思うぜ。前にやった奴、いい仕事してたな、ってよ』


 所長、と俺は心の中で呟いた。

 そう思ってもらえる仕事を、これからも続けます。

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