第二十二章 朝礼、再び
退院から、三日後。
会社の聴聞会が、本社の大会議室で、開かれた。
俺は、退院直後の体で、会議室の入り口に、立っていた。
左肩には、まだ包帯が、巻かれていた。
工具袋の代わりに、革表紙の手帳と、所長から預かった写真の束を、ファイルに収めて、抱えていた。
「芝山さん。お入りください」
受付の女性が、扉を、開けてくれた。
会議室の正面、長机の向こう側に、五人が、並んでいた。
社長、品質管理部長、人事部長、現場部長、そして外部監査役。
長机の左側に所長。
長机の右側に園田。
俺は所長の横の席に座った。
正面の社長が軽く頷いた。
「芝山さん。ご回復、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「本日は九月十四日に発生した爆発事故について、関係者の証言を伺います。記録はすべて議事録に残ります」
社長は書類をめくった。
まず園田が立ち上がった。
「主任の園田です」
彼は声を整えた。
「九月十三日深夜、現場で芝山主任技能員と私とは、配管溶接の最終確認を行いました。その際、芝山さんは当日朝の試運転に向けて予熱処理を完了したと、報告されました」
「予熱処理を完了した、と」
「ええ。私は芝山さんを信頼し、報告をそのまま現場記録に転記しました」
俺は園田の言葉を、静かに聞いていた。
胸の奥で、奇妙な感覚があった。
怒りでも絶望でもない。
ただ、ああ、こうやって嘘をつくのかと思った。
「しかし、爆発後の調査で判明したのは」
園田は声に、わずかな震えを混ぜた。
「該当区画の予熱が行われていなかった、という事実です。芝山さんの報告は虚偽であった可能性が高いと、判断されます」
「虚偽報告、ですか」
「ええ。残念ながら」
園田は深く頭を下げた。
会議室が静まり返った。
社長が俺の方を見た。
「芝山さん。何か、反論は」
「あります」
俺は立ち上がった。
「俺の業務記録、提出させてください」
俺は手帳を机の上に置いた。
「九月十三日、午前一時三十二分、配管継ぎ手第七番、TIG初層、電流値九十アンペア、電圧十二ボルト、シールドガス、アルゴン、流量毎分十リットル、層間温度、上限二五〇度。すべて、現場規格内」
俺は淡々と、ページをめくった。
「九月十三日、午前二時十五分、園田主任現場到着。同二時十八分、翌朝の試運転を当初予定より早めて、現場朝礼後すぐに前倒しすると、宣言。同二時二十分、私、芝山陽介、予熱不足の区画があるため冷間始動には耐えられないと、進言。同二時二十一分、園田主任『お前の溶接、完璧なんだろ』と返答」
会議室の空気が、一気に変わった。
外部監査役が身を乗り出して、俺の手帳を覗き込んだ。
「同二時三十分、園田主任現場を退出。当該予熱不足区画への追加予熱処理は、実施されず」
俺はページをめくった。
「九月十三日、午前八時、現場朝礼。園田主任、所長に対し『前倒しは検討段階で、最終的には予定通りに落ち着いた』と、報告。私が予熱不足を心配したから予定通りに戻した、という構図で説明」
「ちょっと、待ってください!」
園田が立ち上がった。
「これは捏造です! いつ書いたか、分からないじゃないですか!」
「同九時、TBM-KY活動、班ごとの安全確認」
俺は構わず続けた。
「同九時三十分、廊下にて、園田主任が所長に対し『芝山は慎重なだけが取り柄。技術自体はあれですけど、現場の安全には貢献している』と、発言」
「捏造、捏造ですよ! 社長!」
園田は声を荒げた。
俺はファイルから、写真の束を取り出した。
「これは爆発後、所長が内視鏡で撮影してくれた、現場の配管の内側の写真です」
俺は写真を机の上に並べた。
配管の内側、滑らかに連続した銀色の波模様。
俺が打った裏波。
爆発の衝撃をまったく受けていない、完璧な仕上がり。
外部監査役が、写真を一枚一枚確認した。
「これは……」
「俺の作業した、すべての継ぎ目です。爆発の中心からわずか五メートルの距離にあった配管も、含まれます」
俺はファイルから、もう一枚の書類を取り出した。
「現場の自動記録装置、TIG溶接機の電源モジュールの内蔵ログです。九月十三日午前一時三十分から二時二分まで、稼働記録が残っています。電流値、電圧、稼働時間、すべて私の手帳の記述と完全に一致します」
外部監査役が書類を確認した。
彼はしばらく無言だった。
社長が咳払いをした。
「外部監査役、所感を」
「はい」
外部監査役はゆっくりと立ち上がった。
「私は過去十年、この業界で、数百件の事故調査に関わってきました」
彼の声は淡々としていた。
「その経験から申し上げます。芝山陽介さんの業務記録は、現場記録として極めて優れた水準にあります。日付、時刻、数値、すべてが自動記録装置のログと、矛盾なく一致しています」
「と、いうことは」
「捏造の可能性は限りなく低い、ということです」
外部監査役は写真を、もう一度手に取った。
「むしろ、捏造を疑うとすれば、こちらでしょう。爆発後の現場記録改竄の有無。それから九月十三日の朝礼前後の、複数の証言の整合性。私はそちらを徹底的に洗い直すことを、提案します」
会議室が再び静まり返った。
社長が、俺と所長に向き直った。
「芝山さんの爆発当日の作業区画、無事だったと所長から報告を受けています」
「はい。すべての継ぎ目、内視鏡で確認しました」
所長が頷いた。
「芝山が担当した区画は、爆発の中心五メートル以内であっても、一切の損傷がありません。同じ現場の他の区画と、明らかに品質が違います」
所長は深く息を吐いた。
「私は四十年、現場を見てきましたが、ここまで精密な仕事はほとんど見たことがありません。芝山の溶接技術は、社内で最高水準と断言できます」
会議室の中で、誰かが息を呑んだ。
俺は頭を下げた。
所長の言葉は、初めて彼の口からはっきりと聞いたものだった。
胸の奥で、十年の疲労がようやく、ゆっくりと解けていく感じがした。
社長が深く頷いた。
「芝山さん」
「はい」
「あなたの仕事を、会社は改めて認めます」
社長は頭を下げた。
「これまでの会社の評価が不適切であったことを、私の責任においてお詫び申し上げます」
俺は頭を下げ返した。
声は出なかった。
園田は椅子に座り込んでいた。
顔色が白くなっていた。
彼の目が、机の上の俺の手帳を見ていた。
俺の、誰にも読まれないと思っていた手帳。
今、それが会議室の長机の中央で、すべての人の視線を集めていた。
会議室を出る時、俺は園田の前を通り過ぎた。
彼は何も言わなかった。
俺も何も言わなかった。
ただ俺は手帳をファイルに戻した。
ファイルを胸に抱えた。
そして所長と並んで、廊下を歩いた。
所長がぽつりと呟いた。
「芝山。お前の仕事、ちゃんと見てる人間がいるんだぞ」
「はい」
「俺と、お前自身と。それから、まあ、もしかしたら、配管の神様みたいなのも、いるかもしれんがな」
所長は笑った。
俺もつられて笑った。
会議室を出た時、廊下の窓から、午後の光が差し込んでいた。
その光が、俺のファイルに当たった。
ファイルの中の手帳が光を受けて、温かく輝いた気がした。




