表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
溶接工が異世界転生して、『裏波』で世界を救って帰還する話  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/25

第二章 朝礼の刃

午前八時。

 現場事務所前の広場に、作業員が円陣を組んでいた。


 所長を中心に、ヘルメットを被った三十名ほどが集まっている。

 俺は一番外側の列に立っていた。いつもの位置だ。


「今日の試運転、予定通り十時から開始する」


 所長の声が広場に響く。

 俺は耳を疑った。

 通り、と言ったのか。


「ちょっと待ってください、所長」


 声を発したのは、円陣の真ん中、所長のすぐそばに立っていた園田だった。

 胸に「主任」の腕章。

 主任といっても俺と同じ年次で、ただ昇進が早かっただけの男だ。


「予定通りで、間違いないですよね? 念のため、確認です」


 園田は所長を見上げて、爽やかな笑みを浮かべている。

 所長は怪訝そうな顔をした。


「お前、昨夜、前倒しだって言ってなかったか」

「いや、それは検討段階の話で、最終的には予定通りに落ち着きました。芝山が予熱不足を心配してたんで、念のため、ね」


 俺は、目の前が暗くなる感覚を覚えた。


 昨夜、園田は確かに「前倒しする、所長には報告済み」と言った。

 俺はそれに対して「予熱不足だ」と進言した。

 今、園田はそのやり取りを「前倒しを慎重派の芝山が止めたから、予定通りに戻した」という構図にすり替えている。

 報告したのは自分の気配り、止めたのは自分の判断、という空気で。


「そうか。芝山、ご苦労」


 所長は俺に目を向けて、頷いた。

 俺は頭を下げた。

 何も言えなかった。


 いつもこうだ。

 園田は俺の言葉を吸い上げて、自分の手柄に変換する。

 俺はその変換を、黙って見ているしかない。

 反論する言葉を持っていない。


 TBM-KY活動が始まった。

 危険予知活動。今日の作業に潜むリスクを、班ごとに洗い出す。


 俺の班は、配管系統の試運転立会いだった。


「危険源は、火気、感電、酸欠、それから――」


 俺は淡々と挙げていく。

 誰も真剣には聞いていない。

 毎朝の儀式だ。慣れてしまえば、形だけのものになる。


 でも、形だけだからこそ、俺は丁寧にやる。

 ヘルメットの顎紐をゆるめてないか、革手袋に穴は開いていないか、防塵マスクのフィルターは新品か、足元にケーブルは絡まっていないか。


 すべて、過去に誰かが死んだから定められたルールだ。

 ルールの背後には、必ず、誰かの血がある。


 班員の若手が指差し呼称をする。


「予熱、確認、ヨシ!」

「シールドガス残量、ヨシ!」

「アース、確実、ヨシ!」


 声は明るい。

 俺は最後尾で、自分の手帳を開いていた。


 昨夜、園田が前倒しを宣言した時刻。

 俺が予熱不足を進言した内容。

 園田が「だっせえ心配性」と笑った台詞。


 すべて、書いてある。

 日付と時刻つきで。


 誰のために、と問われても答えられない。

 ただ、書く。

 書かないと、自分の存在が嘘になりそうな気がして。


 活動が解散になり、各班が現場に散っていく。

 俺がトイレに立ち寄った帰り、廊下の角を曲がろうとして、足を止めた。


「――芝山が予熱を確認してくれたからな、まあ、間違いはねえと思いますよ」


 園田の声だった。

 所長と話している。


「ま、あいつ、慎重なだけが取り柄ですから。技術自体はあれですけど、現場の安全には貢献してます」

「お前、よく見てるな。芝山のこと」

「同期ですから。あいつには、現場で頑張ってもらわないと困るんです、こっちも」


 俺は壁に背を預けて、息を吐いた。


 あれですけど、と園田は言った。

 技術自体は、あれですけど、と。


 胸の奥で、何かが冷たくなっていく。

 それは怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ、知っているものだった。

 もう何年も、何度も、味わってきた感情だ。


 俺は廊下の角を曲がらず、別のルートで現場に戻った。

 園田と顔を合わせたら、たぶん、何かが切れる。


 現場に戻ると、班員の若手が俺を見て、駆け寄ってきた。


「芝山さん、聞いてくださいよ」

「どうした」

「園田主任、試運転の立会い、自分でやるって言い出してます。芝山さんを外せって」

「……なんで」

「『芝山は心配性すぎて、現場の士気が下がる』って」


 若手は怒っていた。

 俺は微笑んでみせた。


「いいよ、別に。試運転は園田の判断だ」

「でも、予熱不足の区画、芝山さん、把握してますよね」

「資料は園田に渡してある」

「あの人、たぶん、読んでないですよ」


 若手はぼやいて、頭を抱えた。

 俺は彼の肩を軽く叩いた。


「読んでなくても、書いた事実は残る。それでいい」


 その時、十時を告げる構内放送が流れた。

 試運転開始の合図だ。


 俺は配管系統の図面を広げ、最も危険度の高い区画――昨夜、予熱が足りなかった継ぎ手のある場所――をもう一度確認した。

 園田はすでに、試運転の立会い位置についている。指揮卓を任されたのが嬉しいのか、得意げな顔だ。


 俺は図面を畳んで、立ち上がった。


 胸騒ぎ、というには曖昧で、確信、というには根拠が薄い。

 でも、何かが、ずっと喉に引っかかっている。


 俺はヘルメットを締め直し、現場に向かった。

 予熱不足の区画は、構内のいちばん奥、配管の盲端に近い場所にある。


 歩きながら、俺は無意識に、手帳のページを指でなぞっていた。


 十時三分。

 俺が問題の区画に到達するより、ほんの少し早く、構内放送が告げた。


「ライン圧、上昇開始。予定圧まで、五分」


 俺は走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ