第十九章 世界の裏側
地の底からの軋み音は、丸一日続いた。
最初は要塞の地下だけかと思われたが、夜になって、王都からの伝令が急報をもたらした。
王都の地下、古代魔導機関群がすべて同時に、不穏な振動を始めている。
俺たちは要塞の防衛を兵士たちに任せて、ヴェントーラに戻った。
ドガラム老人の鍛冶場で、神殿のシスター・エリスが緊急の文献解読を行った。
古代の神殿に伝わる、結合師たちの遺した文書。
五百年前、最後の結合師が、子孫のために残した警告の記録。
エリスはそれを声に出して、読み上げた。
『世界の表は、金と銀と石で、彩られる』
『世界の裏は、火と鉄と汗で、繋がれる』
『裏の繋ぎ目が、五百年に一度、衰える』
『その時、結合師たちは、世界の裏側に、降りていく』
『裏側の波を、もう一度打ち直すために』
「これは何を意味しますか」
ルクレイアがエリスに尋ねた。
「分かりません。比喩のようですが、文字通りの記述にも読めます」
エリスは首を振った。
ドガラム老人が独り言のように呟いた。
「儂の祖父はこう言っておった。世界には、表側と裏側がある、と」
「裏側」
「ああ。地下深くに、世界を支える巨大な金属の脈が走っておる、と。結合師たちは五百年に一度、その脈の継ぎ目を打ち直すために、地下に降りた、と」
俺は立ち上がった。
「ドガラムさん。場所は分かりますか」
「儂の祖父が口頭で伝えた。王都の真下、深さ五百メートル。古代の竪坑が一本、走っておる」
ドガラム老人は地図に印をつけた。
俺たちは即座に、王都に向けて出立した。
馬車の中で、誰もが無言だった。
王都の地下、王城の真下に、確かに古代の竪坑があった。
石造りの蓋が五百年、誰にも開けられないまま放置されていた。
俺たちは王の許可を得て、蓋を開けた。
暗い、深い、垂直の竪坑。
壁に螺旋状の階段が刻まれていた。
降りていけと、言わんばかりに。
「結合師どの」
ルクレイアが俺の腕を、軽く握った。
「私もご一緒します」
「いえ、ルクレイア様」
俺は首を振った。
「これは結合師の仕事です。一人で行きます」
「危険です」
「結合師の仕事はいつでも、一人なんです。誰にも見えない場所で、誰にも見られない仕事をする」
俺は彼女の手を、優しく外した。
「ルクレイア様。あなたは上で、王国を守ってください。もし俺が戻ってこなくても」
「結合師どの」
「俺の仕事の記録は、すべて神殿に残してきました。万一の時は、ドガラムさんが引き継いでくれます」
ルクレイアの目に、涙が滲んだ。
彼女は聖剣を、自分の腰から外した。
「これをお持ちください」
「いえ、聖剣はルクレイア様の」
「いいえ。これはもともと、結合師の手で作られたものです。結合師の手に戻すべきです」
彼女は聖剣を、俺の手に握らせた。
その手がわずかに震えていた。
「結合師どの。一つだけお聞きしてもいいですか」
「はい」
「これが終わったら、あなたは元の世界に戻られるのでしょう」
俺はしばらく答えられなかった。
答えは自分の中に、すでにあった。
でも、それを口にするのは思ったより辛かった。
「……分かりません。でも、たぶん戻ります」
ルクレイアは頷いた。
「あなたの世界にはあなたの仕事が、残っています。誰かにそれを伝えてください」
「ルクレイア様」
「あなたの仕事は、私が千年覚えています」
彼女は微笑んだ。
涙をこぼしながら、微笑んだ。
「だから行ってください。世界の裏側で、最高の仕事をしてください」
俺は頷いた。
工具袋を肩にかけ直し、聖剣を腰に差した。
雷魔石、火炎魔石、不活性魔素、すべての予備を背負った。
竪坑の入口で、俺は振り返った。
ルクレイアが、ミナが、エリスが、ドガラムが、立っていた。
全員が深く、頭を下げていた。
「行ってきます」
俺はそれだけ言った。
螺旋階段を降り始めた。
最初の百メートル、二百メートル、三百メートル。
壁に古代の彫刻が施されていた。
歴代の結合師たちの、名前と業績。
俺の知らない人々の、知らない仕事。
でも、その仕事の重みは伝わってきた。
彼らも俺と同じ、職人だったのだ。
四百メートル、四百五十メートル、五百メートル。
螺旋階段が終わった。
目の前に広大な空間が広がっていた。
高さ五十メートル、幅、見えないほどの広がり。
その空間の中央を、巨大な銀色の金属脈が走っていた。
太さ十メートル以上。直径が、東京の地下鉄トンネルくらいある。
それが地平線まで続いていた。
古代の結合師たちが五百年前、世界の裏側に走らせた、巨大な接合構造体。
世界の魔導機関を、根底で繋ぐ巨大な脈。
その脈の、根元の継ぎ目に、深い深い亀裂が走っていた。
長さ、二十メートル。
俺の人生で見たことのない、最大の溶接箇所。
俺はしばらく、その亀裂を見つめていた。
胸の奥で、笑いがこみ上げてきた。
誰にも見えない世界の裏側で、世界で一番大きな溶接の仕事が、俺を待っていた。
所長、と俺は心の中で呟いた。
俺、世界の裏側で、裏波を打ちます。




