第十五章 闇夜をさまよう魂
神殿の地下、聖堂の脇室は、白い大理石で囲まれた、清潔な空間だった。
長机が二つ、向かい合わせに並べられている。
その上に、紙束、紙束、紙束。
俺の手帳の全冊。ルクレイアの集めた神殿記録。宮廷魔導士団員の出入記録。保管庫の操作記録。
俺は、机の中央に座り、すべてを、目の前に広げていた。
夜は、まだ深かった。
処刑予定の夜明けまで、あと、四時間。
「結合師どの。何から、始めますか」
ミナが、向かいの席に座った。
ルクレイアは、隣の長椅子で、シスター・エリスの治癒を受けて、横になっていた。
まだ動ける状態ではないが、意識は、はっきりしていた。
「まず、保管庫の温湿度の変化を、時系列で並べます」
俺は、神殿の記録を、時刻ごとに切り分けた。
修復完了直後、保管庫の湿度は、四十パーセント。標準値だった。
その三時間後、五十五パーセント。やや上昇。
六時間後、七十二パーセント。明らかに、換気が止まっている。
九時間後、九十一パーセント。完全に密閉状態。
十二時間後、九十四パーセント。最大値。
十五時間後、急激に四十パーセントへ低下。換気孔開放、と推定。
俺は時刻表を眺め、首を傾げた。
「換気孔は、最終的には開放されている」
「ええ。ですから、宮廷魔導士団は、『換気孔は開放した、湿度は管理した』と主張できるんです」
ミナが頷いた。
「でも、致命的だったのは、密閉状態の十二時間です。この間に、水素割れが、進展した」
「その十二時間、誰が、保管庫の換気孔を、操作していたか」
俺はもう一つの記録を、机に広げた。
宮廷魔導士団員の出入記録。
神殿が独立して計測している、王城内の人員出入記録だった。
保管庫の換気孔は、扉とは別系統。
専用の機構を、特定の人間が操作する必要がある。
その時間帯、保管庫の換気孔機構に近づいた人物は、たった一人。
「カルツェル団長、本人」
俺は呟いた。
ミナが、目を見開いた。
「副団長、ではなく」
「ええ。本人が、夜半過ぎに、保管庫の換気孔を、自分の手で閉鎖していました」
俺はその記録の上に、自分の手帳の控えを重ねた。
俺が副団長に依頼した、換気孔開放要請の控え。
日付、時刻、署名、文書の写し。
すべて、書いてある。
「俺は、副団長に、開放を依頼した。副団長は『書面通り対応する』と回答した。しかし、実際に換気孔を操作したのは、団長本人で、彼は閉鎖した」
「それは、明確な、妨害行為ですね」
「ええ」
俺はペンを取って、整理した時系列を、清書し始めた。
夜半、二十一時三十分。換気孔、初期開放(団員Aによる)。
夜半過ぎ、零時十五分。カルツェル団長、保管庫に入室。
零時二十分。換気孔、閉鎖(団長本人による操作)。
夜半、三時五十分。湿度九十一パーセントに到達。
明け方、五時。湿度九十四パーセント。
明け方、六時。換気孔、再開放(団員Bによる、表向きの記録上の開放)。
すべての時刻、すべての操作者、すべての記録の出典。
俺はそれを、一枚の紙に、まとめた。
現代日本の品質管理で、不具合報告書を書くのと、同じ手順だった。
「結合師どの」
ルクレイアが、長椅子の上から、声を上げた。
「あなたは、こういう作業を、現場で、毎日、行っていたのですね」
「ええ。事故調査の手順は、現場では、基本中の基本です」
「分かります。だからあなたは、これだけの記録を、残し続けてきた」
ルクレイアは、ゆっくりと起き上がろうとした。
エリスが慌てて、彼女を支えた。
「ルクレイア様、動いてはいけません」
「いえ、シスター。これは、私の仕事です」
ルクレイアは、長机に、自分も座った。
「結合師どの。あなたの清書、私が、王宮の正式な書式に、書き直します。神殿の押印、辺境伯家の押印、両方を加えれば、王に提出する公文書として、完成します」
俺は頷いた。
夜明けまで、あと、二時間。
俺たちは、書類を仕上げ続けた。
ルクレイアの羽根ペンが、王国の正式な書式で、流麗な文字を綴っていく。
その横で、ミナが、俺の手帳を、ページごとに整理し、付箋をつけていく。
エリスが、神殿の押印を、丁寧に、押していく。
窓の外、空が、ゆっくりと白み始めた。
書類が完成した時、夜明けは、すでに近かった。
俺は書類の束を抱えて立ち上がった。
「ルクレイア様、ミナさん、エリス様」
「はい」
「これから、王の前に、出ます」
「私たちも、参ります」
ルクレイアは、自分の鎧を、エリスの治癒の力を借りて、装着した。
ミナは、ギルドの正式な制服に着替えた。
エリスは、神殿の最高位のシスター長の装束を、纏った。
四人で、夜明けの王城へ、向かった。
道中、ルクレイアが、俺に、囁いた。
「結合師どの。一つ、お聞きしてもいいですか」
「どうぞ」
「あなたは、何故、最後まで、自分の手帳を、書き続けたのですか」
俺はしばらく、考えた。
答えは、簡単には、出なかった。
「分かりません」
俺は正直に答えた。
「ただ、書かないと、自分が嘘になる気がして」
「嘘」
「自分が、ちゃんと、仕事をした、っていうことを、誰も覚えていなかったら、たぶん、俺自身も、それを信じられなくなる気がしたんです」
俺は、夜明けの空を、見上げた。
「それで、書いていました。誰にも読まれなくても」
「結合師どの」
ルクレイアは、俺の腕に、自分の手を、軽く重ねた。
「あなたの記録は、嘘になんて、なりません。あなたが書き続けたから、今私たちが、ここを歩いているのです」
俺は、胸の奥で、何かが満たされていく感覚を覚えた。
長い、長い、十年の時間が、ここで、ようやく誰かに、報われた。
城門の前で、衛兵が俺たちを止めた。
俺は、一歩前に出て、はっきりとした声で、告げた。
「結合師、芝山陽介。聖剣修復事件の真相について王に、直接、上奏したい」
衛兵は、迷ったような顔をした。
その背後で、新しい人物が、現れた。
王城の、宰相だった。
「結合師どのか」
「はい」
「王が、お待ちです」
宰相は、俺たちを、城内へと、招き入れた。




