第十四章 完全なる喪失
処刑前夜になった。
牢の中で、俺は藁の上に座り、目を閉じていた。
ルクレイアが昼間、もう一度面会に来た。
神殿の記録の分析が進んでいる、もう少しで犯人特定の証拠が揃う、と。
彼女の声は、確信に満ちていた。
でも、時間が、足りなかった。
処刑は明朝、夜明けと同時に行われる。
今夜のうちに、決定的な証拠が王の前に提出されなければ、俺は、燃やされる。
俺は静かに、自分の人生を、振り返っていた。
高校を卒業して、専門学校で溶接を学んだ。
最初に勤めた小さな鉄工所で、親方に怒鳴られながら、ビードを引く練習をした。
二十歳でJIS溶接技能者の基本級を取り、二十二歳で専門級、二十五歳で全姿勢溶接の認定。
それから現場一筋で、十年。
配管の中の裏波だけは、誰よりも、丁寧に打ってきた、と思う。
給料は、低かった。
彼女は、いなかった。
友達も、少なかった。
でも、毎晩、自分の手帳を開いて、その日の作業を書いていた時間は、嫌いじゃなかった。
その時間だけは、誰にも邪魔されない、自分だけの時間だった。
それが、俺の人生の、すべてだ。
処刑されても、たぶん、後悔は、少ない。
ただ、ヴェントーラ村の人たちと、もう少し、話したかった。
ドガラム老人に、もっといろんな技を見せたかった。
ルクレイアに、もっと、ありがとうを、言いたかった。
そんなことを思っていた、夜半過ぎ。
牢の外で、戦闘の音がした。
剣が打ち合う音。怒声。倒れる音。
俺は立ち上がった。
「結合師、どの……!」
声と共に、廊下に倒れ込んできたのは、ルクレイアだった。
肩から、腕にかけて、深い斬り傷。
鎧が、血で赤く染まっていた。
「ルクレイア様!」
俺は鉄格子に駆け寄った。
彼女は鍵を、震える手で差し込み、俺の牢を開けた。
「逃げてください。ヴェントーラへ」
「あなたは、どうしたんですか」
「神殿で、証拠を、揃えていました。帰り道、宮廷魔導士団に、襲われました」
ルクレイアは床に座り込んだ。
俺は彼女の腕を支え、出血箇所を素早く確認した。
深い、けれど、致命傷ではない。
応急処置をすれば、間に合う。
「ルクレイア様、動かないで」
俺は腰の工具袋から、止血ガーゼと包帯を取り出した。
ヴェントーラの森で、ミナを助けた時と同じ、現場の応急処置。
「結合師どの。神殿の記録、これを」
ルクレイアは、震える手で、紙束を差し出した。
血で汚れた羊皮紙。
神殿の温湿度詳細記録、宮廷魔導士団員の出入記録、保管庫の換気孔操作記録。
犯人を特定するための、決定的な証拠。
「これを、王に届けてください」
「あなたが、届けるべきです」
「私はたぶん、この傷では、間に合いません」
ルクレイアの声が、薄れていった。
俺は彼女を抱きとめた。
鎧の下で、彼女の体は、思ったよりずっと、細かった。
「動かないで、ルクレイア様」
「結合師どの……」
「動かないで、お願いだから」
俺の声が震えた。
胸の奥で、何かが決壊した。
逃げるつもりは、もうなかった。
逃げて、ヴェントーラに帰って、ひっそり暮らす。
それが、ルクレイアが俺に望んでいた選択肢だったろう。
でも、俺は、もう逃げたくなかった。
俺の仕事を、ちゃんと見ていてくれた人を、ここに残して、逃げるのは、嫌だ。
俺は止血を続けながら、ルクレイアの耳元で、囁いた。
「ルクレイア様。俺たぶん、ここに、残ります」
「だめ、です……」
「いえ。残ります。あなたが集めてくれた証拠を、俺が、王の前に、出します」
「捕まれば、火刑、ですよ」
「でも、それが職人の仕事の、最後だと思うんで」
俺は、彼女の頬を、軽く撫でた。
「ありがとうございます、ルクレイア様。あなたが俺の仕事を、信じてくれて。読んでくれて」
ルクレイアの目から、涙が、一筋、零れた。
彼女は、何かを言いたそうに、口を開いた。
でも、傷の痛みで、声が出なかった。
その時、廊下の奥から、新しい足音が、響いてきた。
「結合師さま!」
ミナの声だった。
彼女は、白い長衣の女性を一人、連れて、走ってきた。
長衣の女性は、神殿のシスターだった。
「シスター・エリス。早く、ルクレイア様を」
ミナが叫ぶと、エリスと名乗ったシスターが、ルクレイアの傷に手をかざした。
「治癒、施します」
白い光が、ルクレイアの傷を、ゆっくりと包み込んだ。
血が止まり、皮膚が、内側から、再生していく。
俺はその光景を、息を詰めて見ていた。
「結合師どの」
エリスが、俺に向き直った。
「神殿は、あなたの味方です」
「神殿が」
「私たちは、ずっと、宮廷魔導士団のやり方を、危険視してきました。今回の聖剣修復で、彼らがあなたを陥れた事実は、神殿として看過できません」
エリスは深く頭を下げた。
「あなたを、神殿に保護します。脱獄ではなく、神殿への正式な避難として、王の前に、すべての証拠と共に、出頭します」
俺は頷いた。
「ありがとうございます。でも、その前に、一つだけ」
「何でしょう」
「俺の手帳と、ルクレイア様が集めてくれた記録、すべて神殿の中で、もう一度整理させてください」
エリスは、不思議そうに、俺を見た。
「整理、ですか」
「ええ。職人の仕事は、結果だけじゃなく、手順を見せることが大事です。王の前に、俺が一つ一つ、説明します。誰にでも分かるように」
ミナが頷いた。
「結合師さん、それは私も、手伝います」
俺は深く息を吐いた。
牢の中で、絶望していた数時間前の自分が嘘のようだった。
俺の手帳は、誰にも読まれない記録じゃ、なくなった。
今、複数の人間が、それを武器にしようとしている。
ルクレイアが、再生しかけた腕で、俺の袖を、軽く掴んだ。
「結合師どの」
「はい」
「あなたの仕事を、信じています」
俺は深く頷いた。
「俺も、自分の仕事を、信じます」
その時、初めて、俺は、心の底から、そう、言えた。




