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風に傾ぐ子  作者: 莉翠
第一部
1/25

0:森詞―織祀守ノ詩

 ── 森殿(しんでん)構文管理部

     (しん)() 序文「(しき)()(もり)ノ詩」



 まことしき森に音ありて

 音、(りつ)を孕みて流れたり


 律、歪めば森たちまちに病み

 森、病めばひとら言の葉を失う


 ゆえに()を設け、香満たし

 ゆえに(うつわ)を選びて、律通す


 いかに風満ち、鳥鳴けど

 その耳、唯だ森の底を聴く


 いかに人呼び、声欲せど

 その口、ひとたびも応えず


 唯だ、名を抱かず

 唯だ、戒に殉じ

 唯だ、律を通し

 唯だ、森を澄ます


 その器、「(しき)()(もり)」と称し

 その身、森殿にて座す



 織祀(しき)(まも)りは森の()

 語るなかれ、織祀の身に

 求むるなかれ、その声を


 律に生まれ、律に仕え

 律に還るものなれば──



 ***



 朝の香は、昨夜の残り香と混じりあいながら、ゆるやかにそのかたちを変えていた。


 香炉の小さな火がわずかに揺れ、薄布のあいだから漂う甘やかな気配が、森殿(しんでん)全体に静かに広がってゆく。



 香が変わるとき、それは音としてもわかる。


 わずかな熱の気流が空間を撫でるように移動し、香草の配合によって、空気の“重なり”が違ってくる。


 湿り、渦、届き方。

 耳が聴いているのではない。ただ空間が、“朝”のはじまりを告げている。



 やがて、外廊から衣擦れの音。


 付き人の足取りは迷いがなく、呼びかけもない。

 そのまま音なく膝を折り、部屋の中央に立つ少年の前に正座すると、厳かに一礼してから白の(こう)()を整え始めた。


 左の袖が、右へ。

 襟が合わせられ、紐が結ばれ、裾の襞が少しだけ正される。



 織祀(しき)は“見”ない。

 “織祀”であるかどうかに関わらず、幼子の視界は生まれた時から閉ざされていた。


 けれど、彼はどこに何があるかを、すでに”知”っている。

 香の満ち方と、足音の響き、布の張り具合──それらが空間の輪郭を描き出す。

 この場において、“見る”という行為はただの形式に過ぎなかった。



 付き人の手がすっと離れ、衣の布音が小さく後ろへ動く。


 織祀は自ら歩まない。

 手が伸び、布越しにそっとその指を取られ、導かれる。


 歩幅は一定。

 (わたどの)の板は冷たくも、どこかしめり気を帯びていて、朝のうちはまだ、香よりも木の匂いが強く残っている。



 香の間へ。



 敷居を越えると、空気の層がまた変わる。

 香炉はすでに焚かれ、中央の敷布の位置は整えられていた。


 足元が軽く促され、彼は静かに膝を折る。

 背をまっすぐに、両手を膝上に揃え、南に向かって座す。



 付き人の気配が一歩、二歩と下がる。

 足音は遠ざかり、やがて完全に空気の流れから消える。


 残されたのは、香。

 そして、香の中で変化する森の“律”。



 静かだった。


 鳥の声が、森のどこかでひとつ鳴き、また遠くで応える。

 境の結界を風が揺らし、枝の擦れが微かに応える。


 背後のわたどのの向こうを、人が渡ってゆく。

 衣の音。

 どこかの部屋を掃き清める箒の音。


 けれどここには、それらのどれも、干渉しない。

 律が正しく保たれているかぎり、織祀はただ、そこに“在る”。



 手を動かすこともない。

 声を発することもない。

 その在り方が、そのまま森の安定を支えるのだと──そう定められている。



 時間の区切りはない。

 空が明るくなるのも、香が薄まるのも、誰かが告げるものではなかった。


 けれど、音の重なりが変わった。

 香の層が緩やかに崩れ、風の吹き方がわずかに横に傾く。

 香と音と気配が、すべての世界だった。



 また、遠くの廊に、衣の音が戻ってくる。

 音で分かる。


 歩幅、力のかけ方、香に触れたときの空気の濃さ。

 それはさっきの付き人と、同じ足音だった。



 何も語られないまま、またその手が差し出される。

 織祀は立ち上がり、そっと手を預ける。


 の香へと、空気がまた、切り替わっていった。

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― 新着の感想 ―
こんにちわ~ 早速使いこなしてて、流石ですわ。 しかも宣伝を忘れない! 愛が深すぎるっうううっ 織祀ちゃん、ここは怖くないかな? もう慣れたかな。 悪ガキ集団が来るまで、おばちゃんが毎日来るからね~…
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