第206話 私はそんな大馬鹿者だ
話し合い当日。
幸いにも隠世堂が動くことはなく、万化亭の補修や情報収集は順調に進んでいた。つまり絶好の話し合い日和というわけである。
人払いをし、護衛にイェルハルドを置いた蒼蓉は数日ぶりに父親の部屋へと足を踏み入れた。その様子は子が親を訪ねるようなものではなく、まるで会談相手に会いに来たかのようだ。
申佑も徐々に体力が回復し、今日はベッドではなく話し合いのために持ち込んだイスにつくという。
服装も蒼蓉を出迎えた時には寝間着から着替え終え、紺色の長袍に身を包んでいた。長袍の裾には銀色の糸で装飾が施されており、そのシンプルさが落ち着いた高貴な雰囲気を醸し出している。
テーブルは円形で、並んで座る蒼蓉と柚良の向かいに申佑、蒼蓉たちの後ろにイェルハルドが立つ形で落ち着いた。
室外の扉の前にも影の中から腕利きの者――ベンスが配置されていたが、防音魔法が展開されているため蒼蓉たちの会話が耳に入ることはない。
ここまで厳重な体勢を敷いているのは父子の話し合いの場という体裁ではあるものの、その会話に大旦那の遺書とその内容についてが含まれるからである。
今までも触れてはいたものの、対策をしておいて損はない部分だ。
(それに蒼蓉くんのお母さんの件に触れると呪いについても話すことになるから、万化亭の弱味を外に漏らすわけにはいかないってことなんだろうけど……)
お義父さんが更に緊張しそうな雰囲気かも、と柚良は心の中で冷や汗を流した。
情報漏洩の危険は少ない。その点に関しては安心できる。
しかし父子が腹を割って話すにはあまりにも重々しい雰囲気だった。
そこで口火を切ったのは蒼蓉である。
「さて、まずはどういうつもりで遺書を残したのか教えてほしいですね。封印前にボクに直接託すことは可能だったと思うのだけれど。もしくは口頭で言っても良かったんじゃないですか」
三日前の様子と比べると随分と落ち着いた声音だったが、必ず答えてもらうという威圧感があった。
申佑もそれを感じたのか案の定固まってしまったものの、以前の逃げるための沈黙ではなく答えを見つけるために思考している沈黙だった。
恐らく蒼蓉は申佑の素の性格を知らないため、熟考していると素直に受け取っているかどうかはわからないが急かさずに答えを待っている。
柚良は「これはもしや蒼蓉くんも歩み寄ろうとしているのでは?」っと期待を込めてチラッと彼の横顔を見たが――違う。
蒼蓉は見ようによっては穏やかに思える笑みを浮かべていたが、完全に敵の弱点を見極める目をしていた。
(で、でもこれは想定内! お義父さんとの作戦会議中に蒼蓉くんが取りそうな態度の予想として出たし! シミュレーションもしたし大丈夫なはず!)
蒼蓉なら父親への怒りを抑えるためになにをするだろうか?
そんな想像から導き出されたのが『万化亭の若旦那として振る舞って平常心を保つ』というものである。
申佑も自分なら似たようなことをすると言っていたので実に似たもの親子だった。
だが今回、申佑は大旦那の演技を引きずって話すわけにはいかない。
自分の言葉で説明はなくてはならない。
それをわかっているのか申佑の沈黙は長かったが、ややあって口を開いた。
「書いてあったことは、その、本心だ。しかし私は……直接伝える勇気がなかった」
「へえ、随分と及び腰だ。退場する前に少しでも心証を良くしておきたいからこれを読めと命令すれば良かったのに」
いつもみたいにさ、と蒼蓉はにこにこしている。
申佑の周りが汗をかくオノマトペだらけになっているように見えるのは柚良の目だからこそだろう。蒼蓉からは不機嫌になって黙り込んだように見えたかもしれない。
蒼蓉から事前に遺書を渡さなかったことを責められるシミュレーションもした。
しかし実際に責められると上手く言葉にできないのか、柚良がハラハラするような間が開いている。見ればイェルハルドも珍しく顔に出ていた。
蒼蓉はイスに座ったまま足を組む。
「それにわざわざあんな隠し方をしなくっても誰かに預けるなりできたんじゃないですか? あんな強力な隠蔽魔法まで用意して回りくどいことこの上ない」
「……自分の暗部をお前たち以外に見られたくなかった。これは、……こ、これは」
申佑は呼吸を早めながら冷や汗を垂らす。
これだけ動揺するのも大旦那ではなく息子に辛く当たった不甲斐ない父親として接しようとしているからだろう。
申佑がやってきたこと自体はそう褒められたものではないため、向き合おうとしているだけで褒めるのは甘すぎる。だからこそ柚良も助け舟は出さなかったが、心の中では応援していた。
そして――それと同時に蒼蓉の精神状態も気になっている。
今の蒼蓉はきっと我慢に我慢を重ねていることだろう。今回は申佑があまりにもあんまりだったため、柚良はそちらに比重が傾いた形で手を貸したが、蒼蓉のことが心配でないわけではない。
(そもそも私の件で疲弊してたからなぁ、本当はもっと時間を開けたほうが良かったんだろうけれど……)
隠世堂のせいで休まる暇もないのだ。
柚良が頭を悩ませている中、目が泳いで上手く言葉にできないでいる父親の姿を見て蒼蓉もようやく様子がおかしいことに気がついたのか眉根を寄せて凝視する。
「……こ……これは私が臆病者で、卑怯者だからだ」
「――なるほど?」
「封印は人間としては死ぬのと同義だった。だからこそ、最後に……蒼蓉、お前に伝えられるだけのことを伝えたいと思ったんだ。し、しかし隠してきた自分のことを伝えるのは、とても怖いことだった」
蒼蓉はなにを言ってるんだという顔をしたが、申佑はせっかく紡げた言葉を止めまいと必死に話し続けた。
「私はお前に嫌われたくなかった」
「そもそもボクはあなたを好いてませんけどね」
「……」
「ボクが遺書で不思議に思ったのは、大旦那の座を明け渡すつもりなら封印直前にしてしまえばよかったのにわざわざ成人まで待ったことです。普段のあなたから考えるとあまりにも非効率的だ」
それが、と蒼蓉は緑色の両眼に暗い影を落としながら申佑を見つめて言う。
「ボクに嫌われたくなかったから、なんて理由……信じられると思いますか? だってさっきも言った通り、ボクはあなたを好いていませんよ。それはあなたが一番よくわかっているんじゃないですか」
「……」
「もしわかっていなかったのなら、あなたは相当の大馬鹿者だ。あれだけ厳しく接して母をも見捨てた父親を無条件に好いていると思ってたってことですからね」
蒼蓉の言葉に完全に押し黙ってしまった申佑を見て、柚良はそろそろ口を挟むべきか迷った。
だが申佑にばかり味方をしていては蒼蓉の心が開かれることはないだろう。
シミュレーションでは過去の行ないを責められた際は謝罪をし、母親の件をまず最初に説明しようという手筈になっていた。
蒼蓉は辛く当たられたことに怒りを抱いているが、恐らく若旦那としては必要な教育だったとある程度の納得はしている。彼が一番引っ掛かっているのは呪いに蝕まれた母親を申佑が表向きは見捨てたことだ。
柚良はその裏舞台を知っているが、今は申佑が自分で説明をしなくてはならない。
だというのに申佑は黙り込んだままなにも言えなくなっている。
気の短い相手なら叱責されていてもおかしくないほどに。
(もしかして予行練習したことが頭から吹っ飛んでる? ……いや、お義父さんの記憶力なら大丈夫なはず。なら黙っているのは……)
逃げたいという気持ちが勝ったか、もしくは。
申佑は蒼蓉との仲を修復したいと考えていたが、実際に息子の言葉を聞き、修復などせずに離れたほうが蒼蓉のためになるのではないかと思い始めたか。
(――もしそうでも、だんまりじゃどっちの道にも進めない)
柚良はテーブルの下で指を組む。
蒼蓉との仲が修復されることを願っているが、もし申佑の気が変わったのなら柚良は応援するつもりだった。自分の感情で決めていいことではないからだ。
申佑の問題であるからこそ、柚良ではなく申佑の気持ちを優先してほしかった。
柚良はどちらの答えであったとしても申佑が自分の言葉で話せることを祈っている。それに応えるように申佑が再び口を開いたのは数分が経過してからだった。
「まったくわかっていなかったわけではない。しかし、お前の口から確定することが恐ろしかった。私はそんな大馬鹿者だ。……すまなかった、蒼蓉」
枯れた声で紡がれたのは、そんな言葉で。
それを受け取った蒼蓉は心臓に冷たさを感じるほど無表情だった。




