第204話 やはり君が、息子の太陽か
蒼蓉は武器として万化亭の若旦那の仮面を被っているが、申佑は防具として万化亭の大旦那の仮面を被っていた。
似たもの親子だが、それを脱ぎ捨てた際の姿は異なっている。
話し終えてスッキリするわけでもなく、どこか意気消沈としている申佑を見つめて柚良は小さく唸った。
「これは意思確認なんですが、お義父さんは最終的にどうしたいですか?」
柚良としては蒼蓉と仲良くしてほしい。
これは『自分と仲良くしてほしい』とはまた違った望みだ。
つまり申佑が蒼蓉と良好な関係になれば自分ともスムーズに交流ができるかも、という打算は含んでいない。
柚良の問いに申佑は少しばかり答えに窮した様子を見せたが、根気強く待つと数分経ってからゆっくりと口を開いた。
「ホクオウ地区の同盟を潰す際、相手の家族をも利用した人間が自分の家族と問題を抱えているなど笑止千万だろうか。しかし……君はそれを笑わないと思う」
「ええ、暗渠街だと自業自得とはまた違いますからねぇ」
「……ならば、私は……どうにかできるものなら、蒼蓉との仲を修復したい」
身の程知らずなことを口にしたような。
幾人もの前で恥を晒したような。
そんな恥じ入った顔をしながら申佑は答える。
素直に自分の気持ちを吐露する姿はまったく万化亭の大旦那らしくなかったが、柚良の目には好ましく映っていた。
ぐんっと前のめりになると申佑の手を両手でがっしりと掴んで笑みを浮かべる。
唐突な距離の詰め方に申佑は小動物のように驚いたが、柚良の目は真剣だった。
「ではお義父さん、作戦会議です!」
「さ、作戦会議?」
「多分自覚していると思いますが、お義父さんのいけないところは肝心な時に黙り込んでしまうところですよね」
図星だったのか申佑は口を引き結んだが、その口角は見事に下がっている。
柚良は畳みかけるように言葉を重ねた。
「でも少しずつ慣れていけば普通に喋れるようになっていました。まずは怯えず、そして混乱しないようにするために作戦会議をしてシミュレーションを繰り返しながら当日に備えましょう!」
「だ……だが、慣れたのも君が人格者だからこそで――」
「え~、人格者だなんて言われたの初めてですよ~。ふふふ、でもお義父さんが安心できる相手だったってことですね? だから早く慣れた。そうではない人が相手なんですから、だからこその作戦会議ですよ」
結果はやってみないとわかりませんが、と前置きをして柚良は両手を申佑の手元から肩に移す。
「私は蒼蓉くんの味方です。けれどお義父さんに蒼蓉くんと仲良くなりたいという意思があるのなら、私は全力で応援します。ね、だから頑張ってみましょう」
「……」
申佑はつい先ほどまで柚良の手に覆われていた己の手を凝視していた。
***
申佑は吐息すら静かに止め、指の生え際から爪にかけて視線を動かした。
それは深く考え込むために視線の止まり木にしていただけだったが、不意にとても幼い蒼蓉が手を握ってきた時の記憶が脳内に蘇る。
まだ二歳か三歳だった蒼蓉は万化亭の跡取りとしての教育はまだ施されておらず、純粋に親に甘える子供として申佑の手を握った。
しかし申佑は仕事の指示を出していたところであり、その瞬間にどう対応すべきかひとつも答えが浮かんで来ずに固まったのだ。妻の美蘭はちょうど席を外しており、本来の申佑として助けを求められる相手はいなかった。
ここで手を握り返すなり、頭を撫でて諭すなり、抱き上げて仕事を続けるなりすれば良かったのだ――と申佑は胸に食い込むような後悔をした。
だが、その時の申佑は大旦那としての振る舞いに上手く父親としての振る舞いを混ぜることができず、それどころかボロを出すことを恐れてしまったのだ。
申佑の性格は実父に大層嫌われていた。
それでも万化亭を纏める才能はあったため後継者に指名され、いくつもの教育をされてきたのだ。それらは結果を出したが、本人も知らず知らずのうちに短所を悪化させていた。
化けの皮が剥がれると大いに取り乱して矮小な自分を晒すはめになるのだ。
そして化けの皮が剥がれるのは想定外のことが起こった時である。
万化亭の大旦那としては恐ろしく大きな隙であり弱点であり恥だった。
だからこそ、それが剥げないように申佑は毎日ずっと人一倍神経を尖らせた。
失敗する可能性を潰すべく血も涙もない厳しい判断をすることも多かった。
何百通りもの予想をして『想定外』となる境界線を遥か彼方に追いやった。
そうやって結果を出し続け、正解を掴み続けてきたのである。
しかしこの日、このタイミングで我が子に甘えられるのは想定外だった。
いつも戸惑いながら蒼蓉の様子を窺っていた時は美蘭が傍におり、そしてそれ以外の人間はいなかったというのに――今は人目がある。
失敗してはならない。
自分を見張る目が四方に散りばめられているのだ。
(だから私は蒼蓉の手を払い除け、なかったことにした)
なにも起こらなかった。
きっと視界の外に追い出せばなかったことになる。
蒼蓉も小さいのだから正しく理解はしないだろう、とわざと楽観的な考え方をした。しかし蒼蓉は払われた手が痛かったのか、泣きそうな顔をしながら廊下の先へと走っていったのである。
申佑は追わなかった。
安堵さえしていた。
きっと廊下の先には美蘭がおり、そこで慰めてもらっているだろう。
(父親がいなくても大丈夫だと思っていた)
申佑は逆に父親だけがいつも人生に関与し、母親の影は薄かった。
だからこそ片方だけでも大丈夫だという確信があり、そして自分にとっては良い存在ではなかった父親より母親と共にいるほうがいいだろうと考えたのだ。
だが、それは親心と呼ぶにはあまりにも歪だった。
(思えばこの時から私は蒼蓉が苦手で、そして)
蒼蓉も父親を苦手だったのだろう。
ならばお互いに不干渉であるほうが平穏だ。——しかし、このままではいけないということも申佑はわかっている。柚良が明るく示した先には歩むことなどないと思っていた道があった。
あんな明るい道は、眩しくて歩けない。
しかし柚良は足を踏み外さないように先導してくれるという。
卑怯で臆病などうしようもない人間の手を引いて、家族として。
会って間もない人間に対して行なうには破格の対応だ。だというのにそれを苦とも思っていないらしい。
そう察した申佑は困ったように眉を下げた。
「やはり君が、息子の太陽か」
厳しい教育と躾けによく落ち込んでいた蒼蓉は、幼稚園に通っていたある日を境に変わった。与えられる知識をすべて飲み込もうと足掻き、自分のものにし、それどころか利用するようになったのである。
その理由を申佑から訊ねることはできなかったが、イェルハルドと話しているのを聞いたのだ。太陽を得たから、暗闇でも生きていける――と。
申佑は遠慮がちに頷きながら、視線を柚良へと向けた。
「――わかった。その提案に乗ろう、柚良さん」




