第203話 申佑は不器用なだけではない
――私自身の話も聞いてもらっていいだろうか。
申佑の問いに柚良は迷いなく頷いた。
それを見て僅かに安堵した様子を覗かせ、申佑は慎重に言葉を選びながら話を続ける。まずなにから話すべきか迷っている様子でもあったが、話し始めると意外にもスムーズだった。
「私は万化亭の長子として生まれ、後継者教育として表の世界の学校に通っていた。他にも様々な教育を受けたが、それは……」
辛かったのだろうか、と柚良が耳を傾けていると申佑は真逆のことを言い放つ。
「……とても楽で苦ではなかった」
「苦ではなかった!? ははあ、お義父さんは天才だったんですね」
この場に潜んでいるイェルハルドが姿を見せていたなら『どの口が言うんだ』という視線を向けていただろうが、柚良は正直な感想を漏らした。
辛さに耐え、努力をして良い結果を掴み取る人間はいる。
しかしそれらを楽だと言い、苦ではないと思えるのは特殊な才能だというのが柚良の考えだ。申佑はそういった人間だったらしい。
しかし、と申佑は言う。
「今考えてみれば突き詰めるほど打ち込んではいなかったように思う。万化亭の大旦那としての能力は合格点で文句を言われることはなかったが……もっと他の、人間関係の構築に関しても意欲的に学んでいれば結果は変わっていたかもしれない」
人間関係と大きな枠で言ったが、これは家族関係、つまり蒼蓉や妻との関係のことなのだろうなと柚良は察した。
「蒼蓉くんとの関係は拗れているようでしたけれど、大旦那としては合格だったってことは――お義父さんも自分の役割りを演じるタイプですか?」
「……自覚はない。しかしその可能性は感じている」
柚良から見た蒼蓉も暗渠街にいる間は若旦那を、学校にいる間は優等生を演じていた。素の性格は時折見せる油断した顔なのだろう。
しかし演じていてもそのすべてが蒼蓉であるとも感じている。
人間が持っているのは一面だけではないのだ。
だが申佑は性格と演じる対象にとても大きな齟齬があったらしい。
それは万化亭の詰め込むような教育よりも苦だったのかもしれないと柚良に思わせた。そうでなければここまで拗れはしない。
「私は正直言って人付き合いが苦手だ。父母に対してはそこまでではなかったが、それは私が両親から見て庇護対象だったからだ。妻は他人であり私が守るべきもので、息子は完全に私が守り養い育てる対象で……責任があった」
「ふむ、すると緊張して上手く喋れなかった感じですか、……」
いくつかのパズルを脳内で組み合わせた柚良は少しばかり嫌なパターンを想像し、しかしそれは当たっているのだろうなという予感を感じながら申佑に問い掛けた。
「もし間違ってたら謝りますが、その……もしかしてお義父さん、家族に対しても完璧超人な大旦那の演技で接してました?」
「……自覚は……ないが……」
「接してたっぽい……」
完璧な大旦那は万化亭にとっては歓迎されるものだ。
しかし家族ならどうだろうか。窮屈どころではないのではないか。
例えば蒼蓉は柚良の前では適度に緩めるため、柚良は窮屈に感じたことはない。もし申佑が一切そんな面を見せなかったのなら蒼蓉の心境は察するに余りある。
「お義父さん、今みたいに隙を見せても良かったかもしれませんよ」
「……君は私の話を根気よく聞いてくれる。そして急かさず、怒りもしない。私が守るほど小さな存在でもない」
だからこそ肩の力を抜けている、と申佑は小さな声で言った。
初めは挙動不審な口下手っぷりを発揮していたのもそのせいだったのだ。会話の中で申佑は柚良がどんな人間か察し、素に近い顔を見せられたのだろう。
これは親しい人間や接する際に緊張の必要ない人間にたびたび起こっていたことなんじゃないかなと柚良は考える。
璃花やイェルハルドが蒼蓉よりも申佑の人となりを知っていたのはそのせいだ。
それを少しでも蒼蓉に見せていれば、少なくとも今よりは良好な関係になっていたかもしれない。
「妻には――美蘭には初めは、その、今のように接することができていた。だが息子が生まれてからは責任感に追い立てられて……そうだな、柚良さんの言う通りずっと大旦那として接していたかもしれない」
後継者の教育の際だけ万化亭の大旦那として接するなら話はわかるが、やはり申佑は蒼蓉が生まれてから自身が封印されるまでずっと続けていたらしい。
それは親子ではなく他人のように接する冷たい人間だという印象を抱かせていた。
申佑は「普通に接したかったが普通がわからなかった」と俯く。
「けどお義父さんはべつにふたりのことが嫌いだったわけじゃないんですね?」
「もちろんだ。……だ、だからこそ怖かったのかもしれない。ああ、きっとそうだ」
なにか思い当たることがあったのか申佑は更にズーンと落ち込んで俯き、ついには頭を抱えて悩める人間を像にしたようなポーズで固まってしまった。
こういう隙を蒼蓉くんに見せればいいのになと柚良は思ったが、そう上手くできることでもないのだろう。
簡単に見せられるのなら今ある蒼蓉からの評価も変わっている。
「私はふたりに嫌われたくなかった」
「……」
「しかし嫌われている。確実に嫌われている。それを確認したくなくて接するのは必要最低限にした。それでもせめて大旦那の責務を果たすべく蒼蓉に教育を施したが、その最中に美蘭が呪いを受けた」
申佑はゆっくりと顔を上げると眉根を寄せた顔を覗かせた。
「弱っていく彼女を見たくなくて、大旦那としての仕事に打ち込んだんだ。それでも自分の知らないところで死なれたくなくて、夜中によく様子を見に行った」
「……! 見舞いには行ってたんですね」
「ああ、だが。……泣き言を言っていたのは私だけだった。そんな姿は蒼蓉には見せられない」
だからこそ必ず夜中に赴き、呪いのもたらした結果に苦しむ妻の背をさすることもあったという。そんな時、美蘭は少し嬉しそうにしていたそうだ。
昔に戻ったみたいだと。
「彼女が死ぬ間際になって、やっと私は大旦那ではなく申佑としてもう一度接することができたのかもしれない。——なのに蒼蓉にはそうしてやれなかった。一度もそのままの自分で接したことがなかったからだ」
美蘭は以前と同じ接し方に戻っただけ。
だが確実に自分を嫌っているであろう息子にはどうすればいいかわからない、そういうことらしい。
柚良は璃花たちが話していた『不器用』という言葉を思い出す。
これはたしかに完全に不器用だ。
(しかも、なまじ大旦那としてはしっかりしているからこそボロが出てもわかりにくいやつ。……うーん、蒼蓉くんにとってはあの父親像が真実なのは変わらないし大変かも。それに……)
申佑は不器用なだけではない。璃花が言いかけて口にしなかった特性がある。
その答えは申佑自らが暗い瞳をしながら口にした。
「私はすぐに逃げ道を探るほど――臆病者だった」
話を聞いてくれる相手になら隙を見せられるということは、話を聞かずに口下手である点を責める人間が怖いということだ。無意識に緊張するほどに。
家族を守る責任を背負えるか不安に思ったことも。
大旦那を演じることでなんとか息子と接し、嫌われている予感に怯えて必要以上の接触をしてこなかったことも。
家族から目を背けても教育を施すことで義務を果たしている気になって安堵感を得ようとしたことも。
黙り込んで話をしなかったことも。
すべては、申佑が臆病者だったからである。




