019
「な……」「えっ?」
ラキアは背後に気配を感じ取り、恐る恐る振り向くと美丈夫がいた。
腰ほどもある白髪を揺らし、ゆったりと近づいてくる男の顔はうっすらと笑みを浮かべている。線の細さも相まって、優男の印象を抱く。
白いシャツのような上着に革のズボンとシンプルで着飾らない様は、彼の本質を引き立てており、より一層自身を魅力的に見せていた。日本でよく見るカジュアルな服装にラキアは違和感を覚えた。姿を見れば明らかに裕福で風呂に入れる環境にあると推測できる。
この世界に来てから身分の高い人間に会うことが多いのは不運のせいなのだろうか。それとも今からコネクションを作っておけという神の啓示かなにかか?
「あ、あ、貴方、様は……」
その思考を打ち切るような声が耳をかすめた。横を見れば、マリーの様子がおかしかった。顔を青ざめ、わなわなと震わせる姿は怯えているように取れる。
そっと、彼女を庇う様にシロは前に出た。マリーの変化もそうだが、直感という危険センサーが今になって反応したのだ。
「ふふ。大丈夫だよ人間くん。そんなに睨まないでおくれよ。今はそっちに手を出したりしないから」
口調は優しく、しかしはっきりと聞き取れる声で彼は言った。
だが、ラキアの警鐘は鳴りっぱなしだった。こいつは危険だと、直感がひしひしと伝えてきてる。
「申し訳ないが、俺はあんたを知らないんだ。だが、マリーが怯えている以上は警戒しないわけにはいかないさ」
「そうだろうね。だけど、さっきも言ったけど。手を出すつもりはないんだ……ああ、ある意味そうかも」
「自己完結してるな」
俺の周りはこんなんばっかだな。
「まあ、僕としてはこれを届けにきただけだから、そう気にしないで」
そう言って、男はこちらに小ぶりの皮袋を投げてきた。ラキアはとっさに片手で受け止める。ずっしりとした重さで、金属が擦れる音がした。
「これは?」
「うーん、軍資金だね。まあ、迷惑料だとでも思ってくれればいいかな」
「はぁ?」
「いやさ、あのバカ領主が君たちを追い出しちゃったから、その迷惑料だよ。あそこでの生活を失った彼女にしては少ないとは思うけど、それは好きに使ってくれて構わない。後で返せとか借金取りを押し掛けたりもしないからさ」
「そ、そんな恐れ多いです。 ……魔王様」
顔を青ざめさせたまま、マリーは首をぶんぶん振っていた。
おい、今とんでもないことを言わなかったか!
「魔王⁉ こいつがか⁉」
怒る様子もなくニコニコとこちらを見ている優男が魔王だって? とてもじゃないが立ち振る舞いとか覇気とかが感じられない。とても無害な一般人としか思えなかった。
「こいつとは何ですか! 失礼ですよ!」
マリーが元気になったことで、ラキアは警戒を緩めた。
「そうそう。僕が魔王だよ。よろしくね。人間くん……あれ? 名前はなんだっけ。ラキアくんでいいのかな?」
マリーが声を荒げて咎めてくるが、当の本人はこの調子である。このぽわぽわとしたやり取りが余計に違和感を増長させており、対応に困る。
マリーには悪いが、向こうがその気ならこちらも自然体でいいのだろう。
俺は特に取り繕わず続けた。
「まあ、偽名だが」
「そうみたいだね。さっきそう言っていたし。でも気にしないかな。ああそれと追手はこちらで適当に止めるから心配しないでね」
いつから盗み聞きしていやがった?
もし仮にネットワークに似た何かを魔王が張っていたのであればこの森に長居するのは危険だ。
「それも、迷惑料か」
「そうだね」
魔王が相手だからか、マリーはこちらに突っ込んだ後は黙ったまま、視線を地面に釘付けにしていた。
彼女からすれば、雲の上の存在なのだろうな。直接話すことを許されていないとかそんな感じなのだろう。
日本ではそういう文化はとうに廃れ、いまいちピンときていないがそういうものだと納得した。
「しかし、なんで魔王が直々に助けるんだ? マリーが手下とかではないんだろう?」
むしろ手下や部下であれば領主程度自身でどうにでもできるだろうし。
「彼女は特に関係ないかな。しいて言えば、僕の興味は君だよ」
「俺?」
「そうそう。君って面白いよね。異種族を敵対視しない人間はよくいるけど、助けることまでした人間はそういない。我関せず見て見ぬふりってね。だから興味が湧いた」
魔王が言うということはそれほどこの関係が根深いという裏付けでもあった。
「ああ、マリー。もし望むなら主従契約しちゃいなよ。彼、いい子っぽいし」
「なっ⁉」
口をわなわなとさせて、マリーは顔を赤らめていた。毎度表情が変わって見ている分にはとても面白かった。
「そんなに驚くものなのか?」
「ふふ。それは本人に聞いてくれ」
知識として持っておきたかったのだが、はぐらかされてしまった。
「魔王様のばか―‼」
顔を真っ赤に染めてマリーが爆発した。
「おいおい、それは不敬罪になりそうな発言だな」
「いや、いいよ。そう言われても文句は言えないことだし」
人をいじってはくつくつと笑いをこらえる様を見ていると、どうも魔王に見えなかった。覇気を隠すのは強者にとって必要なスキルだが、それを制御するのは意外と難しいものだ。彼はそれを心得ているとみて間違いない。師匠がそんなことを言っていたのを今思い出した。
毒気を抜かれて、シロは身構えを解いた。
「さて、引き留めて悪かったね。僕も気分転換できたことだし、帰るとするよ。もし機会があればまた会えるかもね」
「マリーはともかく、俺はどうだろうな?」
「ふふ、そうかもね。君たちの旅路に幸あらんことを。ああ、そうだ。君も気を付けた方がいいよ」
激励とともに、魔王は踵を返して森の奥へと歩いていく。するとその姿は薄れて見えなくなった。何か移動の魔法だろうな。無詠唱で発動できるのはすごいのではないのだろうか。
「なんだったんだ、あれは?」
「魔王様です」
「ああ、そうだな。何とも自由で優しい魔王もいたもんだ」
魔王から受け取った皮袋をマリーに渡した。
「ほら、金」
「あ、ありがとう……」
マリーは皮袋の中身を覗き見て、さっと顔を青ざめさせた。
「こ、こ、こ、こっこ、こ」
「鶏みたいな真似をしてどうした?」
答えることはなく、こちらに皮袋をよこした。
シロは受け取ると中を見た。そして納得した。
「これ、全部白金貨か」
「うん……」
数えること10枚の白金貨が入っていた。白金貨1枚10万スーサなので、100万スーサか大金だな。数年なら働かずとも生活していけそうな額だ。
「じゃあ、行くか ……因みにさっきの」
振り向いて未だフリーズしているマリーに告げると彼女はこちらを睨み、
「しないからね!」
「そ、そうか」
主従契約について訊こうと思っていたのだが、先ほどの反応からして答えてくれそうにないな。この話題は今後しないようにしようか。
「なんか、かえでみたいだったな。魔王」
こうして二人は獣人の国へ向かうのだった。




