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空の現場へ③

 現場から戻った翌日、研究所の空気は明らかに変わっていた。

 雑談は少ない。それぞれが自席に向かい、無言で端末を立ち上げる。

 玲奈の一言だけが、短く響いた。

「もう一度、洗い直すわ。仮説に合わせるんじゃない。データの方に従って」

 その言葉を合図に、各々が動き出した。


 優花は、現場で取得したデータと過去の都市構造データを並べていた。

 画面には、横浜の再開発エリアの3Dモデル。

建設前と現在。

 二つの都市が、重なり合うように表示されている。

「……違う」

 優花が小さく呟く。

 風向シミュレーションを走らせる。

 ビルが一本増えるだけで、流れが歪む。

二本で、分断される。

 三本で――

「収束してる……?」

 風のベクトルが、ある一点に向かって集まっていた。

 だが、これだけでは説明にならない。

 優花はさらに過去データを呼び出す。

 建設前には存在しなかった流れ。

 しかし、数値としては弱い。

「足りない……」

 優花は画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。


 志保は、モニターいっぱいに並んだ投稿をスクロールしていた。

 日付、場所、時間帯。ひとつずつ、チェックしていく。

「……あった」

 呟く。

 横浜以外の投稿。

 同じように


 晴天

 突風

 予報にない風


 地域はバラバラ。だが、時間帯が似ている。

「昼前後……と、夕方」

 志保はメモを取る。

 さらに遡る。

 数は多くない。だが、ゼロではない。

 そして、共通しているのは『違和感のある風』という表現。

 志保は椅子にもたれ、目を閉じた。

 昨日の現場。 体に当たった風の重さ。

「……軽くない」

小さく呟いた。


 松岡は、地形図を広げていた。

 画面には、広域の標高データ。 横浜周辺だけでなく、さらに外側まで範囲を広げる。

「地形の影響は……弱いな」

 独り言のように呟く。

 山からの吹き下ろしではない。谷風でもない。

 都市の外縁。わずかな起伏。

 そこに、風の『癖』のようなものが見える。

「流れはある……が、決定打にはならない」

 松岡は腕を組んだ。


 井手は海図とデータを並べていた。

 海水温、潮流、風向。時間ごとの変化。

「海は……静かすぎる」

 ぽつりと呟く。

 異常はない。むしろ安定している。

「海が原因なら、もっと広く出るはずだ」

 画面を見つめながら、眉をひそめる。

「……局地的すぎる」


 玲奈は各自の様子を、自分のデスクからじっと見た。

(みんな、細かい指示を出さなくても自分から動けるようになった)

 頼もしい。しかし。

(もう、私の役目はないのかな……)


 数時間後。

 データが、玲奈の端末に集約された。

 優花の解析。志保の報告。松岡と井手の検証。

 すべてが並ぶ。

 玲奈は黙って画面を見つめていた。

 スクロールする指が止まる。そして、もう一度最初から見直す。都市構造。地表温度。局地的な上昇気流と下降気流。疑似ダウンバースト。

 玲奈はゆっくりと背もたれに体を預けた。

(それだけでは、足りない)

 頻度が説明できない。規模が揃いすぎている。

 『ノイズ』が、ノイズのまま残っている。

 玲奈は目を閉じた。

 そして、すぐに開いた。

「……もう一度、組み直す」

 小さく呟く。

 その声は静かだったが、迷いはなかった。

「データは、嘘をついていない」

 画面を見据える。

「でも、まだ全部じゃない」

 玲奈の視線の先で、見えない風が、確かに存在していた。


「では、結論は出ていない、ということだね?」

 室長室で、吉村は玲奈の報告書から顔を外し、玲奈を見た。

「はい。最も可能性のあると考えられる仮説は、都市構造が影響を及ぼす疑似ダウンバーストです。しかし、確認できる材料が乏しいのが現状です」

「そうか」

 吉村は報告書をそっと机に置いた。

「君たちは材料を集めるだけ集めた。よく頑張った」

「ありがとうございます」

「ただ」

 吉村は腕組をした。

「それをどう活かすかだな」

「はい。それなんです。もうすぐ坂本も参加予定のマラソン大会や、路上でのイベント開催など、この近郊でいくつか催し物が企画されています。それ以外でも、この付近の方々の安全の為、注意喚起は必要かと思われます。ですが……」

 玲奈の言葉が詰まった。

「説明責任が果たせない、ということだろう?」

 吉村の言葉に、玲奈が頷いた。

「はい。その週でも、気温の上昇の予報がされていますから、似たような風が吹く可能性は十分あります。しかし、多額のお金が派生するイベントの開催に当たり、説明ができない理由での勧告はできません」

「確かにそうだ。台風の進路予測とは意味が違う」

「はい」

 玲奈は下を向いた。どうするかはっきりと言えないもどかしさが、胸の奥で渦を巻いていた。

 沈黙を破ったのは、松島だった。

「藤堂君」

「はい」

「君はどうしたい?」

「えっ?」

「理論もしがらみもいらない。君の正直な気持ちはどうなんだ?」

「……」

 玲奈は言葉に詰まった。

(私の正直な気持ち……)

 必死になって気持ちを整理した。自分は何故この調査をしようと思ったのか。そして、何がしたいのか。

 そして、結論が出た。

「……事前に類似した気象条件が揃ったら、注意喚起をしたいと考えます」

「わかった」

 松島は深く頷いた。

「そうしなさい。責任は私が取る」

 松島は玲奈の目をしっかりと見て、力強い口調で言った。

 その言葉には、有無を言わせない力があった。

 玲奈は目の前が一気に明るくなる気がした。肩の力が、わずかに抜けた。

「わかりました。ありがとうございます」

「……記録には残しておこう。判断の経緯は必要だ」

 吉村が静かに言った。

「はい。そうします」

「うん。下がっていいよ」

「はい。失礼します」

 玲奈は深々と頭を下げ、部屋を出た。

 

「所長」

 吉村が松島を見た。

「なんだ?」

「本当はわかっていたんじゃないですか?疑似ダウンバーストのこと」

「さあな」

 松島は噴き出した。

「ある程度予想はついていた。だが、あくまでも現場を見るのは藤堂君たちだ。そこで感じ、思ったことの方が余程重要だ」

「藤堂君を、リーダーとして現場に行かせたかったんでしょ?」

 吉村の質問に、松島は答えなかった。

 ただ、にやりと笑って、手元のコーヒーを飲んだ。



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