賢者アリン
王立図書館の前。
優太、勝平、エリー、ミッシェルの四人は、巨大な建物を見上げていた。
「ここが王立図書館か」
勝平が感心したように呟く。
「思ったよりデカいな」
優太も入口を見上げた。
「ここなら、筋肉に良い食材も見つかるかもしれませんね」
エリーが言う。
「絶対ある」
勝平は妙な自信を見せた。
「なければ困る」
「何でそんなに自信があるんですか……」
エリーは苦笑する。
「行けば分かる」
「何がです?」
「筋肉に必要なものが」
「だから何でそんなに筋肉中心なんですか!」
エリーのツッコミを聞き流し、勝平は扉を見る。
「よし、行こう」
「おう」
「……もういいです」
エリーがため息をつき、扉を開いた。
「さあ、入りましょう」
四人は王立図書館へ足を踏み入れた。
◇
「…………」
「…………」
入った瞬間、二人の足が止まった。
目の前には、天井近くまで伸びる巨大な本棚が、どこまでも並んでいた。
右も左も本。正面にも本。見渡す限り、本だらけだ。
「……多くないか?」
勝平が呟く。
「多いっていうか……多すぎるだろ」
優太も本棚を見上げた。
二人はしばらく黙り込んだ後、ほぼ同時に膝をついた。
「え?」
エリーが振り返る。
「どうしたんですか?」
「なんか……目眩してきた」
「俺もだ」
「本を見ただけで!?」
勝平は本棚を見上げた。
「俺たち、ここにいていいのかなって」
「何でそんな不安になるんですか……」
呆れたエリーは、改めて二人の姿を見た。
上半身裸。腰には剣。周囲には静かに本を読む人々。
その真ん中で膝をついている、上半身裸の勇者二人。
「……そりゃそうでしょうね」
「何が?」
「その格好ですよ」
二人は自分たちの姿を見下ろした。
「……確かに」
「納得するんですか!?」
その時、背後からミッシェルの声が飛んできた。
「いつまで座っている。早く行くぞ」
「いや、まだちょっと目眩が……」
「大丈夫だ」
「何で分かるんだよ」
ミッシェルは答えず、優太の尻を蹴った。
「痛っ!」
「歩け」
「横暴だ!」
「姫様を待たせるな」
「……はい」
優太が立ち上がる。
「勝平も」
「俺はまだ――」
ゴッ!
「痛っ!」
「歩け」
「……はい」
二人はフラフラと歩き出した。
そして――。
ゴンッ!
「痛っ!」
優太が本棚に肩から激突した。
「優太さん!?」
「大丈夫」
何事もなかったように歩き出した優太は、数歩先で再び本棚にぶつかった。
ゴンッ!
「勝平!?」
「……大丈夫だ」
勝平も本棚にぶつかっていた。
エリーは思わず口元を押さえた。
「ふふっ……」
「何笑ってるんだ?」
「いえ。二人とも、本当にフラフラなんですね」
「本が多すぎるんだ」
「筋肉には本より肉の方が合ってる」
「勝平さん、それは今関係ないでしょう」
「俺にとっては関係ある」
「ありません!」
「……静かにしてください」
近くの司書に注意され、エリーは慌てて頭を下げた。
「すみません!」
その横で、優太と勝平が顔を見合わせる。
「怒られたな」
「図書館って怖いな」
「本が怖いんじゃなくて司書さんが怖いんですよ!」
エリーは小声で突っ込んだ。
◇
図書館の奥。
エリーが足を止めた。
「着きました」
「ここに賢者がいます」
エリーが扉を見る。
「この部屋に、この国の賢者がいます」
「賢者か……」
勝平が少しだけ緊張したように呟く。
「どんな人なんだ?」
「会えば分かります」
エリーが扉を開いた。
部屋の中には、一人の少女がいた。
小柄な身体。
長く尖った耳。
幼さを感じさせる顔立ち。
どう見ても中学生くらいにしか見えない。
だが、その目には長い年月を生きてきた者だけが持つ落ち着きがあった。
彼女こそ、この国の賢者。
九十八歳のエルフ、アリンだった。
「アリン」
エリーが声をかける。
「お久しぶりです」
「エリーさん、お久しぶりです」
アリンが本を閉じる。
「今日はどうされました?」
「実は――」
「エルフ……!」
優太が呟いた。
「え?」
エリーが振り返る。
次の瞬間。
優太がアリンの前まで駆け寄っていた。
「ちょっと、優太さん!」
エリーが止めるより早く、優太はアリンの手を握った。
そして、真剣な顔で名乗る。
「菅田優太、二十一歳」
「……え?」
「勇者してます」
アリンの目が丸くなる。
「ゆ、勇者さん……?」
「本物のエルフだ……」
優太の目が輝いている。
「俺、エルフに会うの夢だったんだよ」
「そ、そうですか……」
アリンは少し困ったように笑った。
「ずっと会ってみたかった」
「そんなにですか?」
「そんなにだ」
優太は真顔で頷く。
「耳、触っていい?」
「え?」
「優太さん!」
エリーが慌てて割って入る。
「いきなり何を言ってるんですか!」
「いや、エルフの耳って本物で――」
「本物です!」
「触ったら駄目?」
「駄目です!」
アリンがくすりと笑う。
「大丈夫ですよ、エリーさん」
「アリン……」
「勇者さんは、エルフを見るのが初めてなんですね」
「そう!」
優太の顔がぱっと明るくなる。
「初めてだ!」
「ふふ。では、好きなだけ見てください」
「いいのか!?」
「はい」
優太はアリンをじっと見る。
尖った耳。
長い髪。
小柄な身体。
「…………」
しばらく眺めた後。
「すげえ……」
優太は感動していた。
「本当にエルフだ……」
「さっきからそれしか言ってませんよ?」
エリーが呆れる。
しかし、その時。
アリンの視線が優太の身体へ移った。
「…………」
胸。
肩。
腕。
鍛えられた身体。
アリンの目が僅かに輝いた。
「勇者さん」
「ん?」
「その身体……」
「身体?」
「少し触ってもいいですか?」
「え?」
今度は優太が驚く。
アリンの指が、優太の胸へ伸びる。
ツン。
「……硬い」
アリンの表情が明るくなる。
「凄いですね」
もう一度。
ツン。
「…………」
優太が固まった。
「優太さん?」
エリーが首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「…………」
返事がない。
エリーが顔を覗き込む。
「え?」
優太は目を閉じたまま立っていた。
「まさか……」
エリーが頬をつつく。
「優太さん?」
反応がない。
「気絶してる!?」
「えっ!?」
アリンも驚いて手を引っ込める。
「きゃー! 大変!」
エリーが慌ててミッシェルを見る。
「ミッシェル! 優太さんが気絶しました!」
ミッシェルは呆れたように優太を見る。
「……またか」
「またです!」
「分かった」
ミッシェルが優太の頬を掴む。
「起きろ」
パァンパァンパァンパァーン!
「うわっ!」
優太が飛び起きた。
「何だ!?」
「起きたか」
「……顔がヒリヒリするんだが」
優太が頬を押さえる。
ミッシェルは平然としている。
「さっき本棚にぶつかったからじゃないか?」
「……ああ」
優太は少し考えた。
「そういえばぶつかったな」
「いや、絶対違うでしょう……」
エリーが呆れる。
アリンは腫れた優太の顔を見て、申し訳なさそうにする。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫!」
優太は即答した。
そしてアリンに笑顔を向ける。
「それにしても……」
アリンの視線が再び優太の身体へ向く。
「本当に凄い筋肉ですね」
「…………!」
今度は勝平が反応した。
「本当か?」
勝平が一歩前へ出る。
「俺の筋肉も見てくれ」
「勝平さんまで!?」
勝平は両腕に力を込める。
「こうだ!」
胸を張り、腕を曲げる。
「どうだ!」
堂々としたマッスルポーズ。
アリンの目が輝いた。
「凄いです!」
「そうだろ!」
勝平は嬉しそうに笑う。
「もっと鍛えれば、さらに凄くなるですか?」
「もちろんです!」
「なるほど……」
アリンが興味深そうに勝平の身体を見る。
「筋肉って奥が深いんですね」
「分かってるじゃないか!」
「ちょっと待ってください」
エリーが慌てて二人の間に入る。
「アリンまで何でそんなに興味を持ってるんですか!?」
「いえ……」
アリンは少し考える。
「これほど鍛えられた身体は、あまり見たことがありませんので」
「ほら!」
勝平が得意げに胸を張る。
「俺たちは勇者だからな!」
「勇者だから筋肉が凄いんですか?」
「それは――」
勝平が考える。
「たぶんそうだ」
「たぶんなんですか!?」
エリーが突っ込む。
その横で優太がアリンを見つめていた。
「エルフで……」
そして胸に手を当てる。
「筋肉も分かる……」
「優太さん?」
「最高だ」
優太が満足そうに頷いた。
「俺、この世界に来てよかった」
「まだ魔王すら見てないですよ!?」
「もう十分だ」
「基準がおかしいです!」
アリンはそんな二人を見ながら、楽しそうに笑っていた。
「勇者さんたちは、本当に面白いですね」
「面白いで済ませないでください!」
エリーが叫ぶ。
ミッシェルは腕を組んだまま、アリンを見る。
「……賢者殿。一つ確認したい」
「はい?」
「本当に、この二人が勇者でいいのだろうか?」
「多分…間違いありません」
アリンは少し自信なさげに答えた。
上半身裸で、筋肉を褒められて喜ぶ勇者二人。その隣では、王女が頭を抱えている。
アリンは少し考えてから、再び口を開いた。
「勇者というのは、もっと真面目な方々だと思っていました」
「私もそう思ってました!」
エリーが即答した。
「おい。俺たちの何が悪いんだ?」
「全部とは言いませんけど……!」
エリーは言葉に詰まった。
その様子を見て、アリンがまた笑う。
「ふふっ」
優太と勝平が顔を見合わせた。
「なあ、この人、いい人じゃないか?」
「俺もそう思う」
「ありがとうございます」
アリンが微笑む。
「エリーとは違うな」
「そうだな」
エリーの額に青筋が浮かんだ。
「……あんた達の、せいでしょ!!」
静かな王立図書館に、エリーの叫び声が響き渡った。




