姫様限界です
街道を三人が走っていた。
正確には――。
優太と勝平が走り、その後ろをエリーが必死になって追いかけていた。
「はぁ……はぁ……ちょっと、待ってください……!」
「ん?」
勝平が振り返る。
「どうした?」
「どうしたじゃありません!」
エリーは息を切らしながら叫んだ。
「二人とも速すぎます!」
「まだそんなに走ってないぞ」
「私には十分です!」
優太も振り返った。
「でも、昨日より走れてるじゃん」
「それはそうですけど……!」
エリーは額の汗を拭う。
「もう……限界です……!」
その場で立ち止まり、膝に手をつく。
「はぁ……はぁ……」
勝平は腕を組んだ。
「鍛錬が足りんな」
「……」
エリーがゆっくり顔を上げる。
「今、何と?」
「鍛錬が足りない」
「私は王女です」
「知ってる」
「聖女でもあります」
「それも知ってる」
「なのに、なぜ勇者二人と同じ速度で走らなければならないんですか!」
「旅だから」
「正論で殴らないでください!」
優太が笑う。
「でもエリー、体力はあった方がいいぞ」
「それは分かっていますよ……」
エリーは肩で息をしながら二人を見る。
「確かに体力は必要ですけど……私には私の限界があります!」
「なら、その限界を超えればいい」
「体育会系すぎます!」
エリーが叫んだ。
その時だった。
「あっ」
優太が前方を指差す。
「川がある」
「川?」
エリーも顔を上げた。
街道の先。
木々の間を、透明な川が流れている。
太陽の光を受けて水面がきらきらと輝き、涼しげなせせらぎが聞こえてくる。
「……」
エリーは川を見つめた。
汗で火照った身体に、川から吹いてくる風が心地いい。
「ちょうどいいな」
勝平が笑う。
「汗かいたし、水浴びしようぜ」
「そうだな」
優太も頷いた。
「……」
エリーの顔が引きつる。
「水浴び?」
「うん」
「ここで?」
「ここで」
「私もいるんですよ?」
「知ってる」
二人が当然のようにズボンを脱ごうとする。
「待ってください!」
エリーが慌てて両手を広げた。
「なんで普通に脱ごうとしてるんですか!」
「水浴びするから」
「私が見てます!」
「じゃあ、よそ向いててくれ」
優太が言った。
「そういう問題じゃありません!」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「……!」
エリーは言葉に詰まる。
「……と、とにかく! 私の前ではやめてください!」
「無理だ」
「水浴びしたいからな」
「話を聞いてください!」
しかし二人は川へ走っていった。
「うおおお!」
バシャーン!
「冷てえ!」
「気持ちいいな!」
二人は川の中を泳ぎ始めた。
潜ったり、泳ぎ比べをしたり、水を掛け合ったり。
さっきまでの疲れなど嘘のようだった。
「お前、泳ぐの速いな!」
「勝平も結構速いぞ!」
「負けるか!」
二人が競争を始める。
エリーは岸から眺めていた。
「……」
本当に楽しそうだ。
あまりにも楽しそうなので――。
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
「……」
「……」
二人が同時に振り返る。
「……何ですか?」
「今、笑っただろ」
「笑ってません」
「笑ってたぞ」
「……少しだけです」
エリーは口元を押さえる。
「だって……子供みたいなんですもの」
「エリーも泳ぐか?」
勝平が誘う。
「入りません!」
「気持ちいいぞ」
「絶対に入りません!」
「そうか」
「……」
エリーは川を見る。
確かに少し羨ましい。
でも王女である自分が、こんなところで二人と一緒に水遊びなんて――。
「……我慢です」
小さく呟いた。
その時。
優太がエリーを見る。
「でもエリー」
「はい?」
「結構汗臭いぞ」
「…………」
エリーの笑顔が消えた。
「お姫様が汗臭いと、理想が崩れるからやめてほしいな」
「……」
エリーは自分の服を見る。
そして、恐る恐る袖を嗅ぐ。
「……」
顔が赤くなる。
「……私、そんなにですか?」
「まあ、走ったからな」
「そういうことは言わなくていいんです!」
エリーは顔を覆った。
「……今日は本当に散々です」
その時だった。
「痛っ!」
「勝平!?」
川から大声が響いた。
エリーが振り返る。
「何ですか!?」
「何かに噛まれた!」
「え!?」
勝平が川から上がってくる。
「魚だ!」
「魚!?」
足元で大きな魚が跳ねた。
「こいつに噛まれた!」
優太が魚を見る。
「結構でかいな」
「笑ってる場合か!」
「いや、魚に噛まれるって珍しいなと思って」
「痛いんだぞ!」
エリーが慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ」
「本当に?」
「ああ」
エリーはほっと胸を撫で下ろす。
だが――。
勝平の足元を確認しようとしたエリーの視線が、ある場所で止まった。
「――――!」
「きゃあああああっ!」
エリーが真っ赤な顔で飛び退いた。
「変態!?」
「いや、魚に噛まれただけだけど?」
「そういう問題じゃありません!」
エリーは両手で顔を覆った。
目には涙まで浮かんでいる。
「もう……!」
恥ずかしさと困惑で、何と言えばいいのか分からない。
「何で普通に旅してるだけなのに、毎回何か起こるんですか……」
「勇者の宿命?」
優太が真顔で答える。
「そんな勇者嫌です!」
優太が魚を捕まえた。
「そういえば最近魚食べてないな」
「その魚は食べませんよ!」
「え?」
「いいから返してください!」
「でも――」
「返してください!」
「……分かった」
優太は渋々、魚を川へ戻した。
「じゃあな」
「魚に別れを告げないでください!」
◇
身体を拭いて服を整えた三人は、再び街道を歩き始めた。
エリーはすっかり疲れていた。
「……」
「どうした?」
勝平が尋ねる。
「何でもありません」
「怒ってる?」
「怒ってません」
「ならいいか」
勝平が前を向く。
「それにしても、水浴びして綺麗になったな」
「さっぱりした」
優太も満足そうだ。
「……」
エリーが二人を見る。
「それって……」
「ん?」
「私が汚いって言ってません?」
「……」
「……」
二人が同時に目を逸らす。
「何で黙るんですか!」
「パンツが濡れたままだと気持ち悪いな」
優太が話題を変える。
「そうだな」
勝平も頷く。
「二人とも!」
エリーは頭を抱えた。
「……もういいです」
その一言には、諦めが込められていた。
◇
しばらく歩くと、町が見えてきた。
「おお!」
優太が目を輝かせる。
「結構大きいな」
「店もいっぱいあるぞ」
二人は珍しそうに町を見回す。
しかし――。
町の人々も二人を珍しそうに見ていた。
「……あれが噂の?」
「姫様じゃない?」
「本当に上半身裸の男を二人連れてる……」
「……!」
エリーの顔が赤くなる。
「また……」
「何?」
「噂されています!」
「俺たち?」
「そうです!」
「有名人だな」
「嬉しくありません!」
さらに後ろから声が聞こえる。
「王女様が男二人と旅をしてるって話、本当だったんだ」
「しかもあの格好……」
「……」
エリーは耳まで真っ赤になる。
「もう……!」
早足で二人を置いていく。
「待ってくれ」
「エリー、速いぞ」
「今度は私が先に行きます!」
三人は町へ入った。
そして、その日のうちに噂が広がり始める。
――王女エリーが、二人の上半身裸の男を連れて町に現れた。
◇
「ここにしましょう!」
エリーが見つけた宿には、なんと風呂まで付いていた。
「風呂付き!」
優太が喜ぶ。
「いいな」
勝平も頷く。
「ここなら決まりです」
エリーも即決した。
ところが――。
「申し訳ありません」
宿の主人が頭を下げる。
「残る部屋が四人部屋なら一室だけ空いております」
「四人部屋……」
エリーは少し考えた。
「仕方ありません。そこにしましょう」
「いいんじゃないか?」
「風呂もあるしな」
三人は部屋へ入った。
◇
荷物を置く。
「俺たち、食べ物を買ってくる」
「筋肉にいいものを選ばないとな」
「タンパク質だな」
「……」
エリーが二人を見る。
「普通の食事も買ってくださいね」
「分かった」
「任せろ」
二人が出ていった。
「……」
エリーは静かになった部屋を見回す。
「……やっと一人です」
そのまま風呂へ向かった。
◇
「はぁ……」
湯船に浸かった瞬間、エリーの身体から力が抜けた。
「気持ちいい……」
目を閉じる。
今日一日の疲れが、湯と一緒に溶けていくようだった。
「……」
すると、川での出来事を思い出す。
二人が楽しそうに泳いでいた姿。
自分も少しだけ羨ましかった。
「……」
エリーは周囲を確認する。
当然、誰もいない。
「ちょっとくらいなら……」
湯船の中で足を動かす。
「……」
バシャ。
もう一度。
バシャ、バシャ。
「ふふっ」
楽しくなってきた。
「……気持ちいい」
エリーは鼻歌を歌い始めた。
「ふふーん、ふふふーん♪」
鼻歌はどんどん大きくなる。
「ふふふーん♪」
完全に気が緩んでいた。
そして――。
「もう少し泳いでみようかな」
誰もいないと思っているエリーは、湯船の中で楽しそうに足を動かした。
◇
「ただいま」
「戻ったぞ」
優太と勝平が帰ってきた。
風呂場から鼻歌が聞こえてくる。
「……」
二人が顔を見合わせる。
「エリー、楽しそうだな」
「邪魔しないほうがいいな」
「そうだな」
二人は静かに荷物を置く。
そして、部屋の隅で筋トレを始めた。
◇
しばらくして。
風呂場から鼻歌が止まった。
代わりに――。
バシャ、バシャ。
「……」
勝平が笑う。
「やっぱり泳ぎたかったんだな」
「そうだな」
優太も笑う。
「本人には言わないでおこう」
「そうだな」
二人は静かに筋トレを続けた。
◇
「ふぅ……」
しばらくして、エリーが風呂から上がってきた。
「気持ちよかった……」
すっかり機嫌が良くなっている。
そして――。
「……」
部屋に二人がいることを忘れていた。
「……あ」
エリーが固まる。
優太と勝平は筋トレをしている。
「……」
「おかえり」
優太が普通に言う。
「エリー、楽しそうに鼻歌歌ってたな」
「……!」
エリーの顔が赤くなる。
「聞いてたんですか!?」
「うん」
「……!」
勝平も笑顔で言った。
「やっぱりエリーも泳ぎたかったんだな」
「…………」
エリーは何も言えない。
顔が真っ赤になる。
「……失礼します」
そのまま風呂場へ戻った。
「?」
「どうしたんだ?」
二人は首を傾げた。
◇
しばらくして。
エリーが着替えて戻ってきた。
今度は何事もなかったかのような無表情。
「……」
二人も何も言わない。
エリーはベッドへ腰を下ろした。
「……」
手をつく。
そして――。
「…………」
手を離した。
「何ですか、これ」
「ん?」
「このベッド」
エリーがゆっくり振り返る。
「汗でべちゃべちゃじゃないですか」
「……」
「……」
優太と勝平の顔が固まる。
「……筋トレ」
「ちょっとやりすぎたな」
「ちょっと?」
「……」
「二人とも!」
エリーの声が少し大きくなる。
「このベッドで寝るんですよね?」
「そうだな」
「私もですよ?」
「うん」
「なのに、どうしてこんなに汗だくなんですか?」
「……」
二人が黙る。
エリーは深く息を吐いた。
「……もう」
今日だけで何度、こんな目に遭っただろう。
朝から二人の速度についていくために走らされ。
川では勝手に水浴びを始められ。
汗臭いとまで言われ。
町では二人のせいで噂され。
そして今度は、せっかくのお風呂で少し休んだと思ったら、ベッドまで汗まみれ。
エリーは拳を握った。
「……私、ずっと我慢してますよね」
「……」
「走るのも」
「……」
「水浴びのことも」
「……」
「町で噂されたことも」
「……」
「汗臭いって言われたことも」
「……」
「それなのに……」
エリーは二人を見る。
「今度はベッドまでこんなにして……」
声が震える。
「私だって女の子なんですから」
「うん」
「王女です」
「うん」
「もう少し……」
エリーは必死に怒りを抑える。
「もう少し、私に気を遣ってくださいよ……」
一瞬、部屋が静かになった。
優太が真面目な顔をする。
「分かった」
エリーの表情が少しだけ和らぐ。
「……本当ですか?」
「ああ」
優太が頷く。
「エリーが汗臭くても、俺は気にしないぞ」
「…………」
エリーの笑顔が引きつった。
勝平も頷く。
「俺も、エリーがまな板でも別にいいと思うぞ」
「…………」
沈黙。
二人は本気で気遣っているつもりだった。
だからこそ――。
エリーのこめかみが、ぴくりと動く。
「……二人とも」
「はい」
「それが……」
エリーは二人を見つめる。
「気遣いなんですか?」
「……」
「……」
エリーの顔がゆっくり赤くなる。
「私がお願いしているのは……!」
拳を握りしめる。
「そういうことじゃないんですよ!!」
「……」
「……」
「どうして私が女の子だって言ってるのに、まな板なんて言葉が出てくるんですか!」
二人が固まった。
「いや、その……」
「違うんだ」
「何が違うんですか!」
「……」
「……」
エリーは二人を睨む。
「……もう、いいです」
「エリー?」
「本当に……もう、いいです」
エリーの怒りがついに限界に達した。
「優太、勝平、ちんぴー切るわよ」
「「待って!!」」
二人が同時に飛び上がった。
「それは駄目だ!」
「エリー、本気で怒ってる!」
「当たり前でしょう!!」
「ごめん! 本当にごめん!」
「悪かった! 俺たちが悪かった!」
二人は慌てて股間を押さえる。
「頼むから落ち着いてくれ!」
「俺たちはそんなつもりじゃなかった!」
「そのつもりがなくても言っていいことと悪いことがあります!」
「はい!」
「分かった!」
「本当に分かりました!?」
「分かった!」
「分かったから!」
普段の二人からは考えられないほど必死な声が部屋に響く。
エリーはしばらく二人を睨みつけていた。
やがて、深く息を吐く。
「……もう、いいです」
「助かった……」
「本当に怖かった……」
「聞こえてますよ」
「「すみません!」」
その時だった。
コンコン。
三人の動きが止まる。
「姫様!」
エリーの目が見開かれる。
「……この声」
再び声が響く。
「姫様、いらっしゃいますか!」
「……ミッシー?」
エリーが呟いた。
扉が開く。
そこに立っていたのは、一人の女性騎士だった。
旅装束には土埃がつき、長い距離を走ってきたことが分かる。
それでも、その瞳にはエリーを見つけた喜びがはっきりと浮かんでいた。
「姫様!」
ミッシェルが駆け寄る。
「ご無事でよかった……!」
「ミッシー、どうしてここに?」
「姫様が旅に出られたと聞きまして、いてもたってもいられず……」
そこまで言ったところで、ミッシェルは部屋の中を見回した。
正座する勇者二人。
その前に立つエリー。
何とも言えない空気。
「……」
ミッシェルが瞬きをする。
「……姫様?」
「はい」
「今……何か、とても物騒な言葉が聞こえたような気がしたのですが」
「……」
エリーの顔が引きつる。
優太と勝平が同時にミッシェルを見る。
ミッシェルも二人を見る。
数秒の沈黙。
そして――。
「……このお二人が、噂の勇者様ですか?」
「そうです」
エリーが答える。
「優太さんと勝平さんです」
「初めまして」
「よろしく」
二人が挨拶する。
ミッシェルは二人を見つめる。
そしてエリーを見る。
「……姫様」
「何ですか?」
「旅というのは……」
ミッシェルが困惑した顔をする。
「こんなに大変なものなのですか?」
「……」
エリーは遠い目をした。
「……はい」
その一言に、これまでの旅の全てが詰まっていた。
こうして――。
エリーたちの旅に、騎士ミッシェルが合流した。




