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第9話 世界最強ギルドは、四人と一人の研究者から始まった



 翌日の夕方。


 俺たちは、まだ正式には借りてもいない八王子の旧物流センター、その事務所区画に集まっていた。


 長机が一つ。


 折り畳み椅子が六脚。


 壁には以前の入居企業が残していった月間予定表。


 空調は動くと妙な音がするし、窓際には雨漏りの跡まで残っている。


 未来では世界最強ギルドの本部になる場所とは、とても思えない。


「それで」


 九条が椅子の背にもたれ、缶コーヒーを片手に言った。


「今日は会社の名前を決めるだけなのか?」


「だけじゃありません。事業内容、役割分担、出資、法人設立後の契約、榊原さんの研究費、それからこの倉庫の改修計画も決めます」


「それ、今日終わる?」


 凛が不安そうに聞いてくる。


「終わらせます」


「佐伯さん、そういう顔をしたとき大体止まらなくなるんですよね」


 澪まで俺の扱いを覚えてきたらしい。


 唯一、榊原だけは机いっぱいに資料を広げて、こちらの会話をほとんど聞いていなかった。


 昨日から寝ていないらしい。


「榊原さん」


「ん?」


「会社の話しますよ」


「研究費だけ決まれば何でもいい」


「一番大事なところだけ参加する気ですね」


「社名で実験結果は変わらないから」


「会社員としては最悪の発言ですよ」


 だが、この男を組織運営へ積極的に参加させるのは早々に諦めたほうがいい気がする。


 俺はホワイトボードへ五人の名前を書いた。


 佐伯湊。


 白石凛。


 九条蓮司。


 水城澪。


 榊原恭介。


 未来掲示板に載っていた、創業時のメンバー。


 ただし澪はまだ十八歳だし、凛は大学生。九条は一週間だけ雇われているという建前を崩していない。榊原に至っては会社への興味がほぼない。


 本当にこの五人から、十年後の世界最強ギルドが生まれるのか。


 未来を見ていなければ、絶対に信じなかっただろう。


「まず会社名です」


 俺が言うと、九条が即座に手を上げた。


「炎帝商事」


「却下」


「まだ何も説明してねえだろ」


「自分の未来の二つ名を会社名にしないでください」


 九条が固まった。


「……炎帝って呼ばれるのか、俺」


「前にも言いましたよ?」


「聞いたけど、改めて言われると恥ずかしいな」


 未来では堂々と名乗っているくせに、現在の本人は気に入っていないらしい。


 凛が少し楽しそうに笑った。


「私は《双剣姫》でしたっけ」


「はい」


「私は結構好きです」


「なんでお前だけ格好いいんだよ」


「日頃の行いじゃないですか?」


「未来の話だろうが」


 二人が言い合い始める。


 澪はそれを見て笑っていたが、ふと俺へ目を向けた。


「佐伯さんは、何か考えてきたんですか?」


「一応」


 未来掲示板は、この会社の名前を教えてくれなかった。


 俺たちが今日決めるまでは、未来にも名称が確定しない。


 なら今回は、未来の正解を選ぶのではない。


 俺たち自身で決める。


「《アーク・フロンティア》」


 口に出す。


 全員の反応を見る。


 九条は意外にも茶化さなかった。


 凛も少し考えている。


「どういう意味ですか?」


 澪が聞いた。


「アークは、箱とか方舟とか、そういう意味で考えました。フロンティアは開拓地」


「世界が変わる前に、先に場所を作る?」


「そんな感じです」


 俺は倉庫の窓から外を見る。


 今は何もない。


 古い物流センターと、広い駐車場。


 でも一年後。


 この地下から、日本最大級のダンジョンが現れる。


 世界は混乱する。


 常識も、仕事も、産業も、国の仕組みも変わる。


 そのとき。


 逃げ込む場所ではなく。


 新しい世界へ最初に踏み出す場所にしたい。


「俺はいいと思います」


 澪が最初に賛成した。


 凛も頷く。


「私も。未来のギルド名としても変じゃないです」


「会社名は?」


「株式会社アーク・フロンティア」


「そのままか」


 九条は缶コーヒーを飲みながら少し考え、それから肩をすくめた。


「炎帝商事よりは弱そうだが、まあいい」


「比較対象がおかしいんですよ」


 最後に榊原を見る。


「榊原さんは?」


「略称AF?」


「たぶん」


「論文の所属欄に書きやすいからいい」


 賛成理由が一人だけ違った。


「じゃあ」


 俺はホワイトボードへ書く。


『株式会社アーク・フロンティア』


 その瞬間だった。


 机の上に置いていたスマホが震えた。


 俺は一瞬、手を止める。


「来たんですか?」


 凛にはもう分かるらしい。


「はい」


 未来掲示板を開く。


 昨日まで『名称未確定』だった項目。


 そこに文字が現れていた。


『株式会社アーク・フロンティア』


 ぞくりとした。


 俺たちが今決めた名前が。


 十年後の歴史へ刻まれている。


『二〇二六年九月十日設立準備開始』


『翌年、ダンジョン発生に伴い探索者支援・迷宮攻略事業へ参入』


『後の世界最大探索者ギルド《アーク・フロンティア》の前身』


 そして。


『創業者 佐伯湊』


 名前の横に、新しい項目が増えていた。


『創業メンバー五名』


 白石凛。


 九条蓮司。


 水城澪。


 榊原恭介。


 俺。


「……決まりました」


「未来も?」


 澪に聞かれ、頷く。


「十年後まで、この名前で残ってます」


 九条が少し笑った。


「だったら潰せねえな」


「縁起でもないこと言わないでください」


「まだ出来てもいねえ会社だぞ」


 それでも。


 その言葉は、不思議と嬉しかった。


 俺一人で未来掲示板を見つけたときとは違う。


 今はもう。


 俺たち、というものがある。


     ◇


 問題は。


 会社名が決まったからといって、会社が勝手に出来るわけではないことだった。


「資本金」


 俺はホワイトボードへ書く。


「法人登記」


 さらに書く。


「定款、銀行口座、税務、社会保険、労務管理、契約書、会計」


 書くたびに、九条の顔が嫌そうになっていく。


「なんでモンスター出る前からこんな面倒なんだよ」


「会社を作るからですよ」


「ダンジョン出てからギルド作ればいいじゃねえか」


「一年待ってたら土地も人材も技術も全部他に取られます」


「なら今やるしかねえのか……」


 九条は戦う未来なら喜んで受け入れそうなのに、書類には露骨に弱いらしい。


 凛も大学生。


 澪もこういう実務経験はない。


 榊原は論外。


 そして俺も。


「会社作ったことなんかないんだよな……」


 会社員ではある。


 物流の現場も知っている。


 取引も多少分かる。


 だが経営者ではない。


 一億単位の土地取得を目指し、研究開発を抱え、これから何十人もの未来人材を集める組織を作るには。


 明らかに足りない。


 未来掲示板があっても、書類は書いてくれない。


「専門家に頼めばいいんじゃないですか?」


 凛がもっともなことを言った。


「司法書士とか税理士とか?」


「そうなんですけど」


 俺は少し考える。


 未来の俺たちは、どうしたんだ?


 検索欄へ入力する。


『アーク・フロンティア 創業 経理』


 結果。


『創業期のアークの金回り、久世がいなかったら三か月で死んでた説』


 知らない名前。


「……久世?」


 さらに検索。


『久世真琴』


 ページが開く。


 久世真琴。


 二〇三六年現在、三十八歳。


 アーク・フロンティア最高財務責任者。


 通称《鉄の金庫番》。


 世界最大規模となったギルドの財務、契約、投資、資産管理を統括。


 総管理資産額――。


「…………」


 数字を見て、俺は一度画面を閉じた。


「どうしたんです?」


「桁を間違えたかと思って」


 もう一度開く。


 間違っていない。


 ダンジョン資源。


 研究会社。


 医療法人。


 不動産。


 海外拠点。


 運用資産。


 十年後のアーク・フロンティアは、単なる探索者ギルドではなく巨大企業グループになっている。


 その金を管理する女。


『久世真琴が実質アークを国際企業にした』


『佐伯が拾う』


『榊原が作る』


『白石と九条が壊す』


『水城が治す』


『久世が全部金にする』


「……最後の一人、すごく大事じゃない?」


 思わず声が出た。


「誰です?」


 澪が近づく。


「未来のうちの会社の財務責任者」


「今何してるんですか?」


「調べます」


 経歴。


 二十八歳。


 都内の中堅銀行勤務。


 中小企業向け融資担当。


 数字に異常に強く、企業再建案件で何度も成果を上げていた。


 しかし。


『久世真琴が銀行辞めた理由、今だと有名だけど当時は表に出てなかったよな』


『融資先の粉飾を見抜いたのに上司が握り潰した件』


『その後責任押し付けられて左遷』


『アーク加入したのその直後』


 時期。


 二〇二六年十月。


 一か月後だ。


「まだ少し先か……」


 なら今すぐ拾う必要はない?


 そう思っていたら。


 別の書き込みが目に入る。


『そもそも佐伯が久世に最初に会ったのって会社設立前だろ』


「え?」


『法人用口座と融資相談で銀行行ったとき』


『その時点じゃ加入してない』


『久世側が佐伯を「計画性ゼロの危険顧客」認定してた』


「…………」


 俺はそっと画面から目を離した。


「何か嫌なこと書かれてました?」


 凛に聞かれた。


「未来でも俺の扱いがあまり変わってません」


「安心しました」


「何がですか」


 未来掲示板を読み進める。


 俺たちは会社設立の相談をする。


 久世真琴と出会う。


 ただし、その時点では仲間にならない。


 むしろ。


『初回面談で佐伯の事業計画書を全否定』


『「このままでは半年以内に資金ショートします」』


『未来の世界最強ギルド、初手で銀行員に経営失格判定される』


「……会いたくなくなってきた」


「会うんでしょう?」


「会いますよ」


 凛に即答する。


 怖いけど。


 必要なのは分かる。


 未来の英雄は、戦う人間だけじゃない。


 澪のように治す人。


 榊原のように作る人。


 そして。


 組織を回す人。


 むしろ人間が増えるほど、後者の価値は大きくなる。


「会社設立の相談先、決まりました」


 俺はホワイトボードへ名前を書く。


『久世真琴』


 九条が見る。


「強いのか?」


「たぶん喧嘩は弱いです」


「じゃあ何する奴だ」


「金を守ります」


「地味だな」


 俺は未来掲示板の資産額をもう一度見る。


「九条さんより、多分ある意味怖い人です」


「どういう意味だよ」


     ◇


 創業会議は、それだけでは終わらなかった。


「役割も決めます」


 俺は言った。


「佐伯さんが社長ですよね?」


 澪が確認する。


「未来ではそうなってます」


「そこは未来関係なくお前だろ」


 九条が言った。


「俺らの中で会社作ろうとしてんのお前だけじゃねえか」


 反論できない。


 代表取締役予定、佐伯湊。


 研究開発責任者、榊原恭介。


 ここまではすぐ決まった。


「俺は?」


「現場担当」


「雑じゃねえ?」


「九条さん、今何でもやってるでしょう」


「もうちょい格好いい名前にしろよ」


「現場統括?」


「それでいい」


 未来の世界二位は肩書きに弱かった。


 凛は。


「私、何もできませんよ?」


「出来ること増やしていきましょう。今は調査同行と安全管理」


「安全管理?」


「昨日の倉庫事故でも反応速かったでしょう」


 凛は剣道経験が長い。


 身体能力だけなら、覚醒前でも俺より遥かに上だ。


「じゃあ、それで」


「澪は無理に社員にならなくてもいいですよ」


 俺が言うと、澪は少し考えた。


「母のこともありますし、今すぐフルタイムは難しいです。でも手伝えることはしたいです」


「ならアルバイト扱いにしましょう」


「世界最高の回復術師がアルバイト」


 九条が笑う。


「未来の話です」


 澪も笑った。


 今はこれでいい。


 いきなり未来の肩書きを押しつける必要はない。


 むしろ。


 本人たちが、ここを自分の居場所だと思えるようになるほうが大事だ。


 そして。


「給料ちゃんと出るんだろうな」


 九条が確認した。


「出します」


「研究費は?」


 榊原。


「出します」


「母の治療費は……」


「それは会社経費にしません」


 澪にはきっぱり答える。


「あれは俺個人から出したものなので」


「……本当に返さなくていいんですか?」


「その話またします?」


「だって百二十万円ですよ」


「澪」


 凛が笑いながら肩へ手を置く。


「たぶん佐伯さん、これからもっと大きなお金使うから、そのうち感覚麻痺するよ」


「麻痺させないでください」


 むしろ久世真琴が必要な理由が、今の会話だけでよく分かった。


     ◇


 夜。


 みんなが帰ったあと。


 俺は一人、旧物流センターの事務所に残っていた。


 まだ電気契約もこちら名義ではない。


 机も借り物。


 でも。


 ホワイトボードには残っている。


『株式会社アーク・フロンティア』


 その下。


 俺たち五人の名前。


 なんとなく写真を撮った。


 十年後。


 この写真に、とんでもない価値がつくのかもしれない。


 そんなことを考えながら未来掲示板を開く。


『アーク・フロンティア創業期』


 検索。


 新しいスレッドが立っていた。


『【写真発掘】これが世界最強ギルド創業日のホワイトボードらしい』


「……早いよ」


 今撮ったばかりだぞ。


 未来で誰かが保存したらしい。


『名無しの探索者:2036/09/10 23:11

 メンバー少なすぎて草』


『名無しの探索者:2036/09/10 23:12

 ここから世界最大になるとか誰が信じるんだよ』


『名無しの研究者:2036/09/10 23:13

 榊原の名前あるの歴史資料として強すぎる』


『名無しの探索者:2036/09/10 23:13

 炎帝が「現場統括」なの笑う』


「九条には見せられないな」


 さらに読む。


 すると。


『名無しの探索者:2036/09/10 23:16

 でも、この時点でもう一人いるはずだろ』


 俺は指を止めた。


『誰?』


『正式メンバーじゃない』


『佐伯がまだ存在に気づいてなかった奴』


 知らない。


 そんな人間がいたのか?


『この旧物流センターに、当時ずっと出入りしてた』


『後の《千眼》』


 千眼。


 初めて見る二つ名。


 検索する。


 ページが開いた。


『瀬尾拓海』


 二十歳。


 未来では世界最高峰の索敵・情報収集系探索者。


 直接戦闘能力は低い。


 だが。


 ダンジョン内部の罠。


 隠し通路。


 モンスター反応。


 魔力流。


 数キロ先まで認識する特殊能力を持ち、彼が参加した攻略作戦では死亡率が三分の一以下になる。


『アーク・フロンティア探索部門初代情報主任』


 そして現在。


『東都ロジスティクス八王子センター 夜間警備アルバイト』


「……ここにいるの?」


 俺は反射的に立ち上がった。


 未来英雄。


 次に探しに行く必要すらなかった。


 同じ建物。


 未来の世界最強ギルド、その最初の拠点に。


 まだ俺が知らない六人目が。


 今夜も普通に働いている。


 その瞬間。


 事務所の外。


 暗い倉庫の奥から。


 何かが倒れる大きな音がした。


 俺は顔を上げる。


 まだダンジョンは存在しない。


 モンスターもいない。


 それでも未来掲示板には。


 瀬尾拓海について、奇妙な一文が残されていた。


『彼はダンジョン発生の一年前から、“誰にも見えないもの”を見ていた。』


 そして。


 音がした倉庫の照明が。


 一つずつ。


 奥からこちらへ向かって消え始めた。


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