第8話 日本最大級ダンジョンの真上、今ならただの潰れかけ倉庫です
「土地を買うって、いくらするんですか?」
凛の質問に、俺はすぐ答えられなかった。
未来掲示板に住所は載っている。
所有企業も分かる。
十年後、その土地が日本最大級の第一世代ダンジョン、その真上に位置する超重要拠点になることも分かっている。
問題は。
「……一億八千万」
未来掲示板に残っていた当時の売却希望額を読み上げると、三人とも黙った。
最初に口を開いたのは九条だった。
「無理じゃねえか」
「はい」
「はい、じゃねえだろ」
「俺も今そう思ってます」
競馬で資金は増やした。
それでも一億八千万など到底届かない。
榊原の研究費。
GX―17の購入代。
九条の給料。
今後は会社設立費用も必要になる。
百二十万円をポンと出した数日前とは、もう必要な金の桁が違う。
凛が怪訝そうに俺を見る。
「未来では買ってるんですよね?」
「取得したことにはなってます」
「じゃあ、未来の佐伯さんはどうやって買ったんですか?」
「それを今から調べます」
「便利ですね、未来」
「最近ちょっと怖くなってきましたけどね」
俺はスマホを操作した。
『佐伯湊 最初の拠点 取得』
検索。
大量の書き込みが出る。
『初期本部って八王子の旧東都ロジセンターだろ』
『あそこ買ったの当時でも意味不明だった』
『老朽化、稼働率低下、雨漏り、旧耐震基準区画あり』
『立地も微妙』
『一年後に真下からダンジョン生えて全部ひっくり返ったけどな』
まだ足りない。
『購入経緯』
『売却』
『東都ロジスティクス』
検索語を変える。
すると、未来の企業史を語るスレッドが引っかかった。
『佐伯は土地を一億八千万で現金購入してないぞ』
「……あった」
「何がですか?」
「買い方です」
三人が寄ってくる。
どうせ画面は見えない。
最近、この光景にも慣れてきた。
『最初は賃貸』
『正確には事業譲渡込みの長期賃貸+優先買取権』
『東都ロジがセンター閉鎖したがってた時期だから成立した』
「優先買取権?」
澪が聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「簡単に言えば、最初は借りる。でも持ち主が売るとき、俺たちが優先して買える契約です」
「それなら一億八千万いらない?」
「最初からは」
しかも。
俺にはこの会社へ話を持っていく理由があった。
東都ロジスティクス。
未来掲示板で初めて名前を見たときは気づかなかった。
だが。
「ここ、うちの会社と取引あります」
九条が俺を見る。
「お前の?」
「はい。俺が今勤めてる物流会社」
「そんな偶然ある?」
凛が疑う。
「偶然じゃないかもしれません」
「どういうことですか?」
「未来の俺がこの場所を見つけた理由です」
俺の会社は小さい。
自社倉庫をほとんど持たず、外部倉庫と契約しながら物流を回している。
東都ロジスティクスも取引先の一つ。
俺自身、八王子のセンターへ何度か荷物を出した覚えがある。
つまり。
未来掲示板がなくても、俺とこの土地には細い接点があった。
未来の俺も、そこから接触したのかもしれない。
「問題は」
俺は記事を読み進める。
「閉鎖の話、まだ公表されてない」
「それを言ったら怪しまれますね」
澪が言った。
「確実に」
「いつ発表?」
九条が聞く。
「三週間後」
「待つのか?」
「待ちません」
三人とも、やっぱりという顔をした。
◇
翌日。
俺は会社へ出勤した。
久しぶりだった。
「佐伯、お前もう大丈夫なのか?」
朝一番、直属の上司にそう言われた。
「はい。ご迷惑おかけしました」
「夏風邪か?」
「まあ……そんな感じです」
未来の英雄を二人拾い、世界最高の回復術師へ金を出し、魔導工学の父を研究に復帰させていました。
とは言えない。
数日ぶりの会社は、驚くほど変わっていなかった。
電話が鳴る。
荷物が遅れる。
営業が無茶な納期を持ってくる。
倉庫から問い合わせが来る。
昨日まで未来の世界ランキングだの魔導工学だのを考えていた自分が、今日は破損した段ボールの責任区分について話している。
変な気分だった。
ただ。
無駄ではない。
俺が未来の英雄たちに持っていないものを、ここでは持っている。
物流業界の知識。
取引先。
現場感覚。
会社員として築いた、細いけれど現実の信用。
未来掲示板だけでは土地は借りられない。
人間を動かすのは、結局今の俺だ。
午前十時。
社内システムで東都ロジスティクスの取引履歴を確認する。
もちろん、業務上アクセス可能な範囲だけだ。
八王子センター。
最近、取扱量が減っている。
うちから出していた案件も、別センターへ振り分けられることが増えていた。
未来掲示板の記録と一致する。
「やっぱり閉める準備してるな……」
「何が?」
「うわっ」
背後から声をかけられ、肩が跳ねた。
同僚だった。
「いや、東都さんの八王子。最近荷物減ったなと思って」
「ああ。あそこ古いもんな」
「何か聞いてます?」
「聞いてないけど、営業の田島さんが先週、東都が倉庫整理してるとか言ってたぞ」
来た。
「田島さん、今日います?」
「午後戻るんじゃないか?」
「ありがとうございます」
未来の正解だけではなく。
現在側の情報も、少しずつ繋がっていく。
◇
「八王子センター?」
午後。
営業の田島さんは、俺の質問に首を傾げた。
「なんで佐伯がそんなこと気にしてんの」
「ちょっと個人的に倉庫事業に興味がありまして」
「倉庫?」
ものすごく怪しまれた。
「副業でも始める気か?」
「将来的には」
「お前、会社辞めるの?」
「まだ決めてません」
嘘ではない。
むしろ未来の俺は会社を作っている。
今の会社へいつまで勤めているのかも、そろそろ調べる必要がある。
田島さんは少し考えてから声を落とした。
「東都の話、まだ外には言うなよ」
「はい」
「あそこ、畳むらしい」
未来通り。
「センターだけ?」
「たぶんな。東都自体は残る。でも八王子は古いし、修繕費がかなり掛かってるらしい。今はもっと高速に近い新しい物流拠点も増えてるからな」
「売るんですか?」
「そこまでは知らん。ただ、あんな古い倉庫欲しがるところあるかね」
あります。
ここに。
「担当者、紹介してもらえません?」
「お前、本気なの?」
「話だけでも」
田島さんはしばらく俺を見ていた。
「会社として?」
「最初は個人です」
「やめとけ」
即答だった。
「一億じゃきかんぞ」
「買うだけが方法じゃないでしょう」
その言葉に、田島さんの表情が少し変わる。
「……何考えてる?」
「空いてる区画を借りたいんです。できれば長期で」
「何に使う」
「研究所と倉庫」
「研究?」
そこから先は説明しにくい。
「知り合いが材料系の研究をしてまして」
「お前、休んでる間に何してたんだよ」
そこは俺も聞きたいくらいだ。
◇
二日後。
俺は八王子の旧物流センターにいた。
凛。
九条。
澪。
そして榊原もいる。
「広い」
凛が倉庫を見渡す。
延床面積はかなりある。
二階建て。
高い天井。
古いラック。
一部の区画はすでに荷物が抜かれ、がらんとしていた。
「ここ全部使えるんですか?」
「最初は一部だけです」
「十分」
榊原はすでに研究設備を置く場所を探している。
「床耐荷重も悪くない。電源容量は?」
「あとで確認します」
「排気設備作れる?」
「勝手に壁壊さないでくださいよ」
「壊さない。穴を開けるだけ」
「同じです」
九条が倉庫の柱を軽く叩く。
「古いけど、使えなくはねえな」
「雨漏り箇所があります」
「直せる」
「九条さんが?」
「前に防水工事もやった」
この男、本当に何でもやっている。
澪は事務所区画を見ていた。
「ここ、お母さんが退院したあと私も来ていいですか?」
「もちろん」
「私、研究とかできませんけど」
「別に研究所だけにするつもりじゃないですよ」
俺は倉庫全体を見る。
未来では。
ここが世界最強ギルドの最初の本部になる。
十年後には巨大な施設へ建て替えられ、地下へ続くダンジョンゲートを中心に研究所、訓練所、病院、工房、居住区まで作られる。
今は。
埃っぽい古倉庫。
それが妙に楽しかった。
「佐伯さん」
後ろから呼ばれる。
東都ロジスティクスの担当者。
営業部長の三浦さんだ。
「一通り見られましたか?」
「はい」
「どうです?」
「借りたいです」
即答した。
三浦さんが苦笑する。
「まだ条件の話もしていませんよ」
「かなり前向きです」
「変わった方ですね」
最近よく言われる。
応接室へ移動する。
三浦さんから提示された条件は、未来掲示板で調べた内容に近かった。
倉庫の一部区画。
事務所付き。
老朽化設備の修繕は一部借主負担。
その代わり、相場より賃料は安い。
「ただ」
三浦さんが言う。
「長期契約は難しいですね」
「なぜですか?」
「将来的には、敷地全体を売却する可能性があります」
来た。
「なら」
俺は用意していた言葉を出す。
「売却時の優先交渉権を付けてもらえませんか?」
三浦さんの目が変わった。
「本気で買うおつもりですか?」
「条件が合えば」
「かなり広いですよ」
「分かっています」
「土地だけでも相当します」
「それも」
未来価格まで知っています。
とは言えない。
三浦さんは少し考えた。
「こちらとしても、すぐ売れるとは思っていません」
そうだろう。
立地。
建物の古さ。
修繕費。
現在の物流業界から見れば、魅力は高くない。
一年後。
真下に日本最大級のダンジョンが現れることを除けば。
「優先交渉権程度なら、社内で検討できます」
「ありがとうございます」
「ただ、契約相手が個人というのは」
「会社を作ります」
三浦さんが一瞬止まった。
「いつ?」
「今週中に手続きを始めます」
「……まだ存在してないんですか?」
「はい」
「その状態でここまで見に来た?」
「はい」
三浦さんが額を押さえた。
九条が小声で言う。
「こいつ大体ずっとこんな感じです」
「余計なこと言わないでください」
◇
交渉は、思ったより長引いた。
当然だ。
実績ゼロ。
設立前の会社。
若い代表予定者。
事業内容も、研究開発、倉庫、資材調達と妙に幅広い。
普通なら信用されない。
そこで役に立ったのが、今の会社での勤務実績だった。
物流業界で働いている。
東都との取引経験がある。
倉庫運用の基礎を知っている。
そして榊原には、大学研究員としての経歴がある。
全部を合わせることで、ようやく「何をするのかよく分からない集団」から「新規事業を始めようとしている集団」くらいまで信用度が上がった。
最終的に。
一年契約。
更新あり。
売却検討時には、俺たちへ優先して取得交渉の機会を設ける。
正式契約は法人設立後。
その前段階として、仮合意。
そこまで持っていった。
応接室を出た瞬間。
「取った」
俺は思わず呟いた。
「まだ借りただけですよ?」
凛が言う。
「でも押さえました」
「そんなに重要なんですか、ここ」
澪に聞かれ、俺はスマホを見る。
「一年後には」
未来掲示板。
旧東都ロジセンター。
検索。
新しい記事が表示された。
『二〇二六年九月九日、佐伯湊らが八王子拠点の使用について東都ロジスティクスと仮合意』
未来が更新されている。
さらに。
『二〇二七年九月一日 午前六時零分』
『同敷地地下に第一世代特大型ダンジョン《深層八王子》発生』
『初期推定価値 二兆八千億円』
「…………」
以前見た記事にはなかった数字だ。
「二兆?」
「何がです?」
凛が聞く。
「この土地の下に出るダンジョンの初期推定価値」
「いくら?」
「二兆八千億」
全員が黙った。
九条が倉庫の床を見る。
「この下に?」
「一年後」
「今、家賃いくらだっけ」
俺が答える。
九条はもう一度床を見る。
「世の中おかしくねえか?」
「まだ世の中が知らないだけです」
それこそが。
俺たちの強みだ。
世界が価値を決める前に。
価値を知っている。
だから先に動ける。
ただ。
未来掲示板をスクロールした俺は、そこで指を止めた。
「……待って」
「今度は何ですか?」
記事が増えている。
『深層八王子』
未来で日本最大級となるダンジョン。
その発生日。
当然、多くの人間がここへ集まってくる。
しかし。
『第一次深層八王子防衛戦』
そんな項目があった。
「防衛戦?」
今まで、ただの重要拠点だと思っていた。
記事を開く。
『発生から十一分後、第一波モンスター地上流出』
『本来であれば八王子市街へ大規模被害が発生すると予測されたが――』
本来であれば。
俺はその言葉に引っかかった。
『当時すでに拠点に滞在していた佐伯ギルド初期メンバーが迎撃』
凛。
九条。
澪。
まだ知らない仲間たち。
名前が並ぶ。
『結果、一般市街地への侵入ゼロ』
「……俺たち」
「何です?」
「ダンジョンが出る瞬間、ここにいるみたいです」
凛が目を丸くする。
「一年後?」
「はい」
「未来を知ってるから待ち構える?」
「たぶん」
九条が笑った。
「いいじゃねえか」
「何がです?」
「一年準備できるんだろ」
九条は倉庫の広い床を見渡す。
「だったらここ、要塞にすりゃいい」
その発想はなかった。
しかし。
未来掲示板へ目を戻す。
初期拠点。
訓練区画。
研究設備。
防衛用隔壁。
非常電源。
備蓄倉庫。
未来の記事には、すでに答えが並び始めている。
一年前から。
発生地点を所有して。
未来の最強探索者を集め。
未来の技術者に装備を研究させ。
発生日を知った状態で待ち構える。
「……本当に攻略できるかもしれない」
俺は呟いた。
生き残るだけじゃない。
世界が初めてダンジョンを知る、その瞬間から。
俺たちだけは。
攻略する側に回れる。
「ところで佐伯」
九条が言った。
「はい?」
「会社の名前どうすんだ」
「……」
忘れていた。
凛が呆れた顔をする。
「土地を先に押さえて、会社名まだなんですか?」
「決めることが多すぎるんですよ」
「適当でいいだろ」
「十年後まで残る会社ですよ?」
「未来掲示板に書いてないんですか?」
澪に言われ。
俺は止まった。
「……そうか」
「自分で調べてるのに気づいてなかったんですか?」
検索。
『世界最強ギルド 前身企業 社名』
結果はすぐ出た。
だが。
「え?」
そこには、予想外の表示があった。
『企業名に関する記録が更新されています』
その下。
『名称未確定』
「未確定?」
未来掲示板なのに。
十年後の情報なのに。
名前がない。
さらに説明。
『当該組織の正式名称は、二〇二六年九月十日の創業会議にて決定』
明日だ。
つまり。
未来掲示板は、名前を教えてくれない。
なぜなら。
まだ俺たちが決めていないから。
未来から答えを盗めることと。
自分たちで決めなければならないこと。
その境界が。
初めて、はっきり見えた気がした。




