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第10話 未来の《千眼》は、まだただの夜間警備員だった



 倉庫の奥から、大きな音がした。


 続いて、天井に並んだ照明が一つ消える。


 その隣も。


 さらに、その奥も。


 広い物流センターの半分ほどが、順番に暗闇へ沈んでいった。


「……なんだ?」


 俺は机に置いたスマホを掴み、事務所を出た。


 旧東都ロジスティクス八王子センター。


 一年後、この地下に日本最大級のダンジョンが出現する場所。


 そんな未来を知っているせいで、一瞬だけ嫌な想像が頭をよぎった。


 だが、すぐに打ち消す。


 まだ一年ある。


 今は二〇二六年九月十日。


 ダンジョンが出現するのは、二〇二七年九月一日午前六時だ。


 モンスターもいなければ、探索者も存在しない。


 今ここにあるのは、ただの古い物流センターだ。


 なら、今起きていることにも今の世界の理由がある。


 俺はスマホのライトを点け、倉庫へ続く通路を進んだ。


 暗くなった区画の向こうから、人の声が聞こえた。


「そっち入らないでください!」


 若い男の声だった。


 俺は足を止める。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫です。そこから動かないで!」


 声には妙な切迫感がある。


 言われた通り立ち止まった数秒後、暗闇の向こうで何か重いものが床へ落ちる音が響いた。


 金属が跳ねる。


 続いて、ガラガラと何かが転がってきた。


 ライトを向けると、床に転がっていたのはフォークリフト用ラックの固定金具だった。


「……これがさっきの音?」


「一本外れました。上に空パレット積んであるんで、今そっち通ると危ないです」


 暗闇の中から警備服姿の青年が出てきた。


 二十歳前後。


 痩せた体格に、少し長めの黒髪。


 名札には。


『瀬尾』


 とある。


 未来掲示板で、たった今見たばかりの名前だった。


 瀬尾拓海。


 十年後、《千眼》と呼ばれる男。


 アーク・フロンティア探索部門初代情報主任。


 本人が参加する攻略では、死傷率が他部隊と比較して劇的に低下する。


 未来では最強クラスの探索者たちですら、彼の指示を無視して進むことはなかった。


 その男が今は。


「すみません。ブレーカー確認してきます」


 懐中電灯を持った、ただの夜間警備員だった。


「ちょっと待ってください」


「はい?」


「瀬尾拓海さんですよね」


 青年の目つきが変わった。


「そうですけど……誰ですか?」


「佐伯湊です。この倉庫を借りる予定の会社の者です」


「ああ」


 少し警戒が薄れる。


「昨日来てた人ですか?」


「知ってるんですか?」


「引き継ぎノートに書いてあったので」


 やっぱり。


 俺は妙な感覚を覚えた。


 未来では「何でも見つける男」。


 でも、今のところ特別な能力なんて何もない。


 引き継ぎノートをちゃんと読んでいただけだ。


「照明、何があったんです?」


「多分、第二系統の漏電です」


「分かるんですか?」


「前から少し怪しかったので」


 瀬尾は倉庫の天井を見る。


「三日前からあの列だけ点灯が遅かったんですよ。それと昨日、分電盤の近くで少し焦げた匂いがした。設備担当には報告してます」


「それで今日落ちた?」


「多分」


「ラックのほうは?」


「それも前からです。三番通路の支柱だけ、フォークリフトが通るたびに少し揺れてたから」


 俺は思わず黙った。


 普通なら。


 照明が点灯するまでの数秒差なんて覚えているだろうか。


 ラックの支柱がどれだけ揺れたかなんて、毎晩見ているだろうか。


「……よく気づきますね」


「警備なんで」


 瀬尾は当たり前のように答えた。


「何も起きないようにする仕事でしょう?」


 その一言で。


 未来の《千眼》という肩書きが、急に現実の人間へ繋がった気がした。


 能力が生まれたから、周囲を見るようになったわけじゃない。


 この人は。


 最初から見ている。


 誰も気にしない小さな変化を。


 未来で得る能力は、その延長線上にあるのかもしれない。


     ◇


 十分ほどして。


 瀬尾の予想通り、照明が消えた原因は古い配電設備だった。


 夜間対応の設備会社へ連絡を入れ、問題の区画は立入禁止。


 ラックについても東都側へ報告する。


 未来掲示板を知っている俺が何かする必要すらなかった。


 瀬尾一人で、全部適切に処理していた。


「……俺いらなかったな」


 事務所へ戻りながら呟くと、瀬尾が怪訝そうな顔をした。


「借主予定の人が夜中までいるほうが珍しいですよ」


「今日ちょっと会議があって」


「こんなところで?」


「会社を作ることになったので」


「ここ借りる会社、まだなかったんですか?」


「今日名前決めました」


 瀬尾の足が止まった。


「大丈夫なんですか、その会社」


「最近そればっかり言われます」


 事務所へ戻る。


 せっかく本人がいる。


 俺はコーヒーを二本買い、一つを瀬尾へ渡した。


「少し時間いいですか?」


「巡回までなら」


「ありがとうございます」


 瀬尾は警戒している。


 当然だろう。


 初対面の借主予定者から、夜中に話を聞かせてほしいと言われている。


 ここ数日で、俺もようやく学んだ。


 いきなり未来の肩書きを本人へ叩きつけるのはやめたほうがいい。


 凛にも。


 澪にも。


 九条にも。


 榊原にも。


 毎回怪しまれた。


「瀬尾さん、ここでどのくらい働いてるんですか?」


「八か月くらいです」


「夜勤だけ?」


「ほぼ」


「学生?」


「専門学校を去年辞めました」


 未来掲示板にあった経歴と一致する。


 情報系専門学校。


 中退。


 その後、複数のアルバイトを転々。


 現在はここの夜間警備。


「どうして辞めたんです?」


「それ、初対面で聞きます?」


「すみません」


「別にいいですけど」


 瀬尾は缶コーヒーを開けた。


「授業が合わなかっただけです」


 未来掲示板には、もう少し詳しく残っていた。


 瀬尾は人より異常に多くの情報を同時に拾う。


 プログラムのバグ。


 講師の説明の矛盾。


 他人の操作ミス。


 提出データの重複。


 本人に悪気はない。


 しかし、気づいたことを全部指摘するせいで周囲との関係が悪化した。


 最終的に学校へ居づらくなり、中退。


 未来では、それすら《千眼》の逸話として笑い話になっている。


 本人にとっては、笑い話ではなかっただろう。


「さっきの設備のこともそうですけど、細かい変化に気づくの得意なんですね」


「得意っていうか……気になるだけです」


「例えば?」


「そこの時計、昨日より十二秒進んでます」


「え?」


 壁時計を見る。


 分からない。


「入口の監視カメラ、昨日から角度二度くらい右にずれてます」


「……」


「自販機の右下の列だけ売れるペースが今週遅い。多分、昼勤の人が一人辞めたから」


「ちょっと待ってください」


 俺は瀬尾を見る。


「全部覚えてるんですか?」


「別に覚えようとはしてません」


 その答えが。


 一番怖かった。


 目に入ってしまう。


 覚えてしまう。


 そして差分が分かる。


 まだ何の能力にも覚醒していないのに。


 未来の《千眼》の原型は、もう完全に出来上がっている。


「……すごいな」


「こういうの、気味悪がられるほうが多いですよ」


 瀬尾は苦笑した。


「人のことも分かるんで」


「人?」


「昨日喧嘩したとか、寝不足とか、嘘ついてるとか」


「顔で?」


「歩き方とか声とか、普段と違うから」


 なるほど。


 未来で罠や魔物の位置を見抜く能力へ覚醒する以前から。


 瀬尾は世界を「差分」で見ている。


 俺はスマホを取り出した。


 未来掲示板。


『瀬尾拓海 発生前』


 検索。


 今までより絞って読む。


『千眼の凄さって能力そのものより本人の情報処理能力だろ』


『同じ探知系能力持ち何人も出たけど瀬尾ほど使いこなせた奴いない』


『覚醒前から警備員として異常だったらしい』


『映像八画面同時に見ながら全部の変化拾ってたって話』


 俺は画面を見ながら納得した。


 そういうことか。


 未来英雄を見つける。


 これまで俺は、「将来すごい能力へ覚醒する人間」を集めている感覚が強かった。


 でも。


 能力だけじゃない。


 白石凛は事故の瞬間、真っ先に客を庇った。


 九条は火災現場へ戻って同僚を助けた。


 澪は自分が苦しい状況でも母親を支え続けた。


 榊原は誰にも信じてもらえなくても研究を捨てなかった。


 そして瀬尾は。


 誰も見ていないものを、能力を持たない今から見続けている。


 未来の英雄は。


 ある日突然、英雄になるわけじゃない。


 その前から。


 理由がある。


「瀬尾さん」


「はい」


「仕事、変える気ありません?」


 瀬尾が俺を見た。


「……急ですね」


「よく言われます」


「何の仕事ですか?」


「うちの会社」


「今日名前決めた会社ですよね?」


「はい」


「嫌です」


「早くないですか?」


「危なそうなので」


 即答だった。


 俺は思わず笑った。


 九条とは別方向に手強い。


「給料は今より出します」


「仕事内容は?」


「まだ決めてません」


「もっと嫌になりました」


「ですよね」


 ここで。


 未来の肩書きをそのまま使うのは違う。


 俺は少し考えた。


「この倉庫の管理を手伝ってほしいんです」


「管理?」


「設備、危険箇所、人の出入り、資材。在庫。変化があったら全部拾ってほしい」


 瀬尾の表情が少し変わる。


「今やってる仕事と近いですね」


「だからです」


「警備会社じゃないんですよね?」


「研究開発と倉庫業と……」


「他は?」


「資材調達と災害対策も」


「何の会社なんです?」


「未来でも同じこと言われてるみたいです」


「未来?」


 しまった。


 瀬尾が聞き逃さなかった。


「今、未来って言いました?」


「言いました」


「どういう意味ですか?」


 誤魔化すこともできる。


 けれど。


 これから仲間にするなら、結局どこかで話すことになる。


「瀬尾さん」


「はい」


「今から、かなり頭のおかしい話をします」


「自分で言うんですか?」


「何度も説明して学びました」


 俺はスマホを机へ置いた。


「このスマホだけ、十年後の掲示板に繋がってます」


 瀬尾は黙った。


「一年後の二〇二七年九月一日午前六時、世界中にダンジョンが出現する」


 反応なし。


「あなたはそのあと特殊な能力に覚醒して、探索者になります」


 まだ黙っている。


「未来では《千眼》と呼ばれてます」


「……」


「俺たちの会社にも入ってます」


 瀬尾がゆっくり口を開いた。


「一個いいですか?」


「どうぞ」


「今まで会った人、それ信じたんですか?」


「最初は全員信じませんでした」


「ですよね」


「でも未来情報で事故を防いだりして、少しずつ」


「なるほど」


 瀬尾は意外にも笑わなかった。


 馬鹿にもしない。


 その代わり。


「確認していいですか?」


「何を?」


「本当に未来が分かるなら、今この倉庫で俺しか知らないことも載ってる可能性あります?」


 俺は少し考える。


「未来で有名になっていれば」


「じゃあ調べてください」


「何を?」


 瀬尾が事務所の監視モニターを指差した。


「三日前から、毎晩同じ時間にこの前を通ってる車があります」


 俺は画面を見る。


 現在は何も映っていない。


「東都の車じゃない?」


「違います」


「近所の人とか」


「多分違う」


「どうして?」


「毎日午前二時十三分。センター前で減速して、入口を見る。そのまま通過する」


 瀬尾の声から軽さが消えている。


「今日で四日目になるはずです」


「警察には?」


「何もされてないので言ってません。でも」


 瀬尾は机からメモを一枚出した。


 日時。


 車種。


 色。


 ナンバー。


 四日分。


 全部記録してある。


「同じ車です」


 俺はそのナンバーを見る。


 未来掲示板へ入力した。


『2026年9月 旧東都ロジスティクス八王子センター 車両』


 検索。


 最初は何も出ない。


 別の言葉。


『八王子センター 侵入』


 出た。


 一件。


『アーク・フロンティア創業期の盗難未遂事件』


 俺の背筋が伸びた。


「……あった」


 瀬尾の目が変わる。


「何が?」


 記事を読む。


 今から三日後。


 閉鎖準備中の旧物流センターへ、元下請け業者の男二人が侵入。


 転売目的で残置されていた電動工具や金属資材を盗もうとする。


 だが――。


『夜間警備員、瀬尾拓海が事前に不審車両を記録していたため早期発覚』


 俺は思わず瀬尾を見る。


 未来の俺が何かした事件じゃない。


 アーク・フロンティアも関係ない。


 瀬尾自身が。


 今の時点ですでに気づいている。


「三日後」


「え?」


「その人たち、ここに入ります」


 瀬尾の顔から表情が消えた。


「何を盗むんです?」


「残ってる工具と金属資材」


「……西側倉庫?」


 俺は記事を見る。


「そう書いてあります」


 瀬尾が椅子から立ち上がった。


「そこ、今週からほとんど人が入らない区画です」


「警察へ相談しましょう」


「まだ何も起きてないのに?」


「車両の記録があります。不審車として相談するだけならできます。それと東都側にも伝える」


 瀬尾は数秒考えてから。


「……本当に未来?」


 小さく呟いた。


「俺にも、まだ全部は分かりません」


「でも三日前からの車を知ってた」


「あなたが教えてくれたから検索できたんです」


「じゃあ」


 瀬尾は俺を見る。


「俺が気づかなかったら?」


「たぶん俺も見つけられなかった」


 これが重要だった。


 未来掲示板は万能じゃない。


 十年後に存在する膨大な情報の中から。


 何を検索するか。


 何に気づくか。


 そこは俺自身に委ねられている。


 だから。


 瀬尾みたいな人間が必要になる。


「なるほど」


 瀬尾が座り直す。


 そして。


「その会社」


「はい?」


「もう少し詳しく聞かせてもらっていいですか」


 俺は笑った。


「もちろん」


     ◇


 翌朝。


 不審車両については東都側へ正式に報告した。


 警備会社にも情報が共有され、夜間巡回を増やす。


 結果。


 三日後。


 未来掲示板に記録されていた盗難未遂事件は、起こらなかった。


 正確には。


 例の車はセンター近くまで来た。


 だが警備車両が停まっているのを見ると、そのまま走り去った。


 それ以降、現れなくなった。


 俺は自宅で未来掲示板を更新する。


『アーク・フロンティア創業期の盗難未遂事件』


 記事が消えた。


 代わりに。


『二〇二六年九月、旧東都ロジスティクス八王子センターにおいて不審車両を確認。夜間警備体制強化により被害なし』


 そして。


『当時の夜間警備員・瀬尾拓海による事前報告が発端』


 未来が変わった。


 俺が未来を見て。


 瀬尾が現実を見て。


 二つを合わせた結果だ。


 さらに関連スレッドが更新される。


『千眼がアーク入ったきっかけ地味すぎるよな』


『まだダンジョンすらない頃の倉庫警備』


『でも瀬尾って発生前からやってること変わらないんだよ』


『誰も気づいてない危険を先に見つける』


 俺はそこで手を止めた。


 この書き込みなら。


 よく分かる。


 未来の《千眼》は。


 ダンジョンが生まれたから突然すごくなったわけではなかった。


 一年後。


 彼の目に、本当の能力が宿る。


 でも。


 その能力を誰より上手く使える理由は。


 もう今の彼の中にある。


 そして最後に。


 新しい書き込みが一つ増えた。


『名無しの探索者:2036/09/13 08:42

 初期アークって戦闘職ばっか集めてたわけじゃないんだよな』


『名無しの探索者:2036/09/13 08:43

 むしろ佐伯が本当にヤバいのはここから』


『名無しの探索者:2036/09/13 08:44

 未来の英雄だけじゃなく、「まだ価値がないもの」を人でも物でも先に集め始める』


 俺は少し眉を寄せる。


 人材。


 資源。


 土地。


 技術。


 すでに十分やっている気がする。


 だが、その次の書き込みには。


 まだ手を出していないものが書かれていた。


『名無しの探索者:2036/09/13 08:45

 発生前に特許押さえ始めたところから本当におかしい』


「……特許?」


 さらに読む。


『ダンジョンが存在しない時代に、ダンジョン時代の基礎特許を取った会社』


『後から参入した大企業が軒並みアークへ使用料払うことになった原因』


 榊原。


 俺はすぐに、あの研究者の顔を思い浮かべた。


 未来の完成品を知っている。


 失敗した方式も知っている。


 そして今。


 榊原はすでに研究を始めている。


 なら。


 完成するまで待つ必要はない。


 未来で必須になる技術の原型を。


 世界がダンジョンという言葉すら知らない今のうちに。


 こちらで権利化できる。


 人を集めるだけじゃない。


 土地を押さえるだけでもない。


 これから生まれる新しい世界の「標準」そのものを。


 一年前から作れる。


 俺は榊原へ電話をかけた。


 コール一回で出る。


『佐伯さん? ちょうどよかった。GX―17の追加実験なんだけど――』


「榊原さん」


『何?』


「特許、取ります」


 電話の向こうが静かになった。


『……何の?』


「一年後、世界中が使うことになる技術のです」


 未来掲示板だけを見ていた頃より。


 やることが。


 どんどん増えていく。


 でも今度は。


 未来に書いてある通りに進むだけじゃない。


 俺たち自身で。


 十年後に残るものを作り始める番だった。


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