第6話 世界がまだゴミだと思っているものを、先に買う
未来で八百倍になる。
その数字だけ見れば、迷う理由はなかった。
問題は、その「何を買うのか」を九条たちへどう説明するかだった。
「で?」
物流倉庫から戻る途中、九条が俺のスマホを顎で示した。
「さっきから何をニヤニヤしてんだ」
「そんな顔してました?」
「してた」
「悪いこと考えてる顔でした」
凛まで即答する。
澪は少し迷ってから、小さく頷いた。
「私も、ちょっとだけ」
「三対一はずるくないですか?」
俺はため息をつきながら、未来掲示板に表示された記事をもう一度確認した。
榊原恭介。
十年後には《魔導工学の父》と呼ばれる人物。
ダンジョン内部で得られる魔石を、電力や熱、運動エネルギーへ変換する技術を確立し、探索者用装備の基礎規格まで作った研究者だ。
未来の生活がダンジョン資源なしでは成立しなくなった最大の理由の一つが、彼の研究だった。
その榊原が魔力変換回路を完成させる際、非常に重要な役割を果たした素材がある。
未来では《導魔炭素材》と呼ばれるものだ。
だが、今はそんな名前では売られていない。
「高純度の等方性黒鉛?」
凛が俺の説明を聞いて首を傾げた。
「要するに炭ですか?」
「ものすごく雑に言えば」
「炭が八百倍?」
「全部じゃありません。特定の製法で作られた高密度品です」
九条が眉を寄せる。
「それ、今でも工場で使ってるやつだろ」
「知ってるんですか?」
「昔いた現場で電極とか治具に使ってた」
やはり現場経験が妙に広い。
未来で炎を操るから火に詳しいのではない。
こいつは覚醒前から、いろいろな意味で火の近くにいたらしい。
「今は半導体や放電加工、炉材なんかに使われています。ただ――」
俺は未来掲示板の記事を読む。
ダンジョン発生から二か月後。
魔石のエネルギーを一定方向へ流す実験で、いくつかの炭素材が異常な適性を示す。
その中でも、日本企業が生産していた古い規格の等方性黒鉛が突出していた。
理由は、原料と焼成工程の偶然の組み合わせ。
現在は性能面で新製品に置き換えられつつあり、生産終了が決まっている。
ところがダンジョン発生後。
その「旧式」が魔力伝導材として最適だと判明する。
残存在庫を巡って、企業も政府も探索者組織も争った。
『一キロ四千円台だった時代に戻って買い占めたい』
『最盛期三百万超えただろ』
『榊原が代替材作るまで地獄だった』
書き込みを見たとき、俺も数字を三度確認した。
確かに約八百倍。
「買うんですか?」
澪が聞いた。
「買います。ただし、投機目的だけじゃありません」
「榊原って奴に渡すんだな」
九条が先に理解した。
「そうです」
「八百倍になる物を?」
「その人が研究すれば、もっと価値が出ます」
九条が呆れた顔をした。
「お前、金にがめついのか無頓着なのか分かんねえな」
「必要なところには使います」
「水城に百二十万出して、俺に家と給料出して、今度は材料買い占めか」
「買い占めまではしません」
「なんで?」
凛が聞く。
「未来を壊しすぎるからです」
三人の顔が少し真剣になった。
俺もそこは昨夜かなり考えた。
未来を知っている。
なら、値上がりするものを片っ端から買えばいい。
理屈ではそうだ。
だが俺たちが市場から大量に吸い上げれば、供給先が変わる。
企業の経営も変わる。
研究に使われるはずだった在庫まで消えるかもしれない。
その結果、今持っている未来情報が一気に役に立たなくなる可能性がある。
「必要な量だけ先に確保する。余ったら資産として持つ。それくらいにします」
「慎重ですね」
澪が言う。
「未来が見えるからこそ、慎重にしないと怖いんです」
俺はスマホを握り直した。
すでに一度、見た。
俺が行動しただけで、二千人以上の死者が消えた。
いい変化ばかりならいい。
だが、逆もあり得る。
俺の欲で未来を弄ったせいで、本来助かる人が死ぬ。
それだけは避けたい。
「それで、その素材どこにあるんですか?」
凛が聞いた。
「栃木です」
「……今日?」
「今からは無理ですね」
「よかった」
「なんで安心してるんです?」
「佐伯さん、この数日ずっと思いついたら即移動なので」
言われてみればその通りだった。
俺自身、完全に感覚が麻痺している。
未来では世界を左右する情報が、スマホの中に転がっている。
知ってしまえば、明日に回すのが怖くなるのだ。
誰かに先を越されるはずがないと頭では分かっていても。
「今日は一回帰りましょう」
「賛成です」
澪が珍しく即答した。
「俺も」
九条まで続く。
「凛は?」
「私もです」
「全会一致……」
「佐伯さんだけがおかしいんですよ」
凛に言われた。
世界三位の未来英雄に生活を心配される日が来るとは思わなかった。
◇
翌日。
俺たちはレンタカーで栃木へ向かっていた。
「なんで俺が運転なんだ」
ハンドルを握る九条が不満そうに言う。
「免許あるって言ったでしょう」
「お前もあるだろ」
「昨日ほとんど寝てなくて」
「寝ろよ!」
「だから九条さんにお願いしてるんです」
「雇い主が倒れたら給料どうすんだ」
もっともな心配だった。
後部座席では、凛と澪が笑っている。
「なんか九条さん、お父さんみたいですね」
澪が言った。
「誰が親父だ」
「じゃあお兄さん?」
「もっと嫌だ」
「なんでですか」
「お前ら全員面倒くさそうだからだよ」
九条はそう言いつつ、サービスエリアへ入ると一番に「飯食うぞ」と言った。
本人が一番腹を空かせていた可能性は高い。
俺が食事代を払おうとすると、九条は昨日の日給から自分の分を出した。
「仕事の日の飯は経費にしますよ」
「それ先に言え」
「払います?」
「……今日は払わせろ」
妙なところで頑固だ。
未来掲示板では、《炎帝》の豪快な逸話ばかり残っている。
災害級モンスターを街ごと焼く勢いで消し飛ばした。
海外ギルドの勧誘を「飯が不味そうだから」と断った。
国際会議で寝た。
その一方で、自分が助けられなかった人間の名前を全員覚えていたとも書かれている。
今の九条を見ていると、後者のほうが本人に近い気がした。
未来の記録は、やはり結果しか教えてくれない。
◇
目的の会社へ着いたのは昼過ぎだった。
北関東にある小さな炭素材加工会社。
未来では、ここがとんでもない場所になる。
ダンジョン発生後。
保管されていた旧規格材に魔力伝導適性が見つかり、世界中の研究機関から問い合わせが殺到。
数年後には巨大企業に買収され、研究開発拠点へ変わる。
だが今は。
「……普通ですね」
凛が言った。
「普通ですね」
俺も同意した。
平屋の工場と事務所。
駐車場には軽トラック。
外から見た限り、世界の未来を変える素材が眠っているようには見えない。
「アポ取ってあるんですよね?」
澪に聞かれる。
「あります」
「珍しい」
「俺をなんだと思ってるんですか」
「行き当たりばったりの人」
ぐうの音も出ない。
物流会社勤務という肩書きが、ここでは役に立った。
新規取引の可能性があるとして問い合わせたところ、旧規格材はちょうど在庫整理中だという。
俺たちは応接室へ通された。
出てきたのは六十前後の男性だった。
「佐伯さんでしたか。旧型のGX―17をご希望とのことでしたが」
「はい。できれば在庫状況を確認させてください」
「かなり古い材ですよ。今なら後継品のほうが均質性も加工精度も上です」
「GX―17が必要なんです」
担当者は不思議そうな顔をした。
当然だろう。
未来掲示板によると、この会社ですらGX―17の価値に気づいていない。
「どういった用途で?」
ここは用意してきた。
「高温環境下での特殊電極試験です。詳細は共同研究の関係でお話しできません」
嘘をつくというより、未来の用途を現在の言葉へ置き換えただけだ。
担当者は多少怪しみながらも、商売を断るほどではなかった。
「在庫だけなら、かなりありますよ」
「どのくらいですか?」
「製品寸法がばらばらでよければ、端材まで含めて一・八トンほど」
俺は表情を動かさないよう努力した。
一・八トン。
未来価格へ単純換算すれば、とんでもない。
もちろん全部買う必要はない。
「三百キロいただけますか」
担当者の目が丸くなった。
「三百?」
「難しいでしょうか」
「いえ、こちらとしては助かりますが……」
未来掲示板では、榊原が初期研究に必要とした量は百キロ未満だった。
三百あれば十分。
残りは会社へ残す。
そうすれば、本来の未来で別の研究者や企業が入手する分も完全には奪わない。
価格交渉。
加工なし。
規格混在。
在庫整理品。
最終的に、輸送費込みでも俺が想定していた金額より安く済んだ。
「こんなものでいいんですかね」
契約を終えて工場を出たあと、凛が聞いた。
「これが一年後八百倍?」
「正確には、最高価格がそのくらいです」
「売ったら大金持ちですね」
「売れば」
「売らないんですよね?」
「研究に使います」
九条が呆れた顔をする。
「金持ちになる気ねえのか?」
「ありますよ」
「あるのかよ」
「資金がなきゃ何もできませんから。ただ、これを高値で売って儲けるより、榊原さんに一年早く研究を始めてもらうほうがたぶん価値が大きい」
「たぶん?」
「未来掲示板では、魔導装備の実用化がダンジョン発生から三年後です」
俺は三人を見る。
「それを発生前から始めたら、何年縮められると思います?」
誰もすぐには答えなかった。
当然だ。
ダンジョンがまだ存在しない。
魔石もない。
魔力そのものも科学的に確認されていない。
それでも。
未来の完成形を、俺は知っている。
使う素材も。
失敗した実験も。
後に正しいと判明する理論も。
全部ではないが、未来掲示板には大量に残っている。
「ダンジョンが出た日に、もう武器が完成してたら」
澪がぽつりと言った。
「そうです」
「回復用の道具も?」
「できます」
「防具も?」
「いずれは」
凛の表情も変わる。
九条だけは腕を組んだ。
「その榊原って奴が、本当にそこまで出来るのか?」
「未来では出来ました」
「未来では、だろ」
九条の指摘は正しい。
「今会って、こっちの話を信じるとは限らねえ」
「だから材料を買いました」
「餌か」
「言い方」
でも間違ってはいない。
未来の榊原恭介が何を欲しがるか。
俺はもう調べている。
金でも地位でもない。
研究環境。
自分の仮説を試す自由。
そして、誰にも理解されなかった理論が間違っていないという証拠。
GX―17は、その最初の一つになる。
「明日、榊原さんに会います」
「大学?」
「はい」
「今度は何教授だ?」
「まだ教授じゃありません」
「じゃあ准教授?」
「任期付き研究員です」
「世界変えた奴が?」
「しかも来月で契約終了予定」
九条が眉間を押さえた。
「お前が拾う奴、なんで全員今はひどい状態なんだよ」
「俺に言われても」
「世界三位のコンビニ店員」
凛を見る。
「世界最高の治療役がバイト掛け持ち」
澪を見る。
「世界二位が家賃滞納」
自分を指す。
「次は天才研究者がクビ寸前?」
「その通りです」
「未来、大丈夫なのか?」
それは俺も少し思った。
◇
その夜。
ホテルの部屋で、俺は未来掲示板を確認した。
GX―17。
検索。
『魔導工学黎明期を語るスレ』
内容に変化が出ていた。
『名無しの研究者:2036/09/05 22:14
榊原が最初にGX―17大量に持ってた理由、結局分かってないんだよな』
「……もう変わってる」
まだ榊原には渡していない。
なのに未来では、彼が材料を持っていたことになり始めている。
『名無しの研究者:2036/09/05 22:16
本人は「ある男が持ってきた」って言ってた』
『名無しの研究者:2036/09/05 22:17
また佐伯か?』
俺の名前。
もう掲示板利用者たちが、俺を認識し始めている。
『名無しの研究者:2036/09/05 22:18
この頃の佐伯湊の行動調べると気持ち悪いぞ』
「気持ち悪いって……」
『白石凛の事故を防ぐ』
『水城澪の借金前に接触』
『九条蓮司をアパート追放前に確保』
『GX―17の価値判明前に購入』
『全部ダンジョン発生一年前』
『名無しの探索者:2036/09/05 22:20
未来見えてた説が一番しっくり来る』
俺は息を止めた。
十年後の人間たちが。
俺の秘密へ近づき始めている。
『名無しの探索者:2036/09/05 22:21
んなわけあるか』
『名無しの研究者:2036/09/05 22:22
じゃあ偶然で説明してみろよ』
『名無しの探索者:2036/09/05 22:23
無理』
まだ冗談扱い。
だが、このまま行動し続ければどうなる?
未来で俺が「未来を知っていた男」だと確定されたら。
その情報は、今の俺のスマホにも表示される。
すると俺は、未来で自分が何をしたかをさらに詳しく知る。
それを参考に、また現在で動く。
未来が変わる。
記録が増える。
俺が読む。
また動く。
「……循環してる」
未来の掲示板を見て俺が動く。
俺が動くから、その行動が未来の掲示板へ記録される。
そして俺は、その記録をまた読む。
どちらが最初なのか、もう分からなくなり始めている。
そのとき。
新しいスレッドが上がった。
『【資料発掘】榊原恭介、ダンジョン発生前の未公開ノート』
俺は反射的に開いた。
『名無しの研究者:2036/09/05 22:31
これ本物ならやばくね?』
『2026年9月6日の日付で「未知エネルギー伝導仮説」の再検証開始って書いてある』
明日だ。
俺たちが会いに行く日。
『名無しの研究者:2036/09/05 22:33
しかも欄外に名前ある』
『名無しの探索者:2036/09/05 22:33
誰?』
『名無しの研究者:2036/09/05 22:34
佐伯湊』
心臓が大きく鳴った。
さらに。
『「彼が提示した条件が正しいなら、人類は既知の物理体系を一年以内に書き換えることになる」』
俺はその一文を何度も読んだ。
明日。
俺は榊原へ何かを提示する。
その結果。
彼は研究を再開する。
問題は――。
「条件って、なんだ?」
俺にはまだ。
明日、自分が何を言うのか分からなかった。




