第5話 世界二位の炎帝は、家賃三か月滞納中だった
世界最強ギルド。
未来掲示板に表示されたその言葉を、俺は病院から帰ったあとも何度も見返していた。
『後の世界最強ギルド、最初の三人』
白石凛。
水城澪。
そして、俺。
まだギルドどころか、三人で何をするのかすら正式には決めていない。
それなのに十年後では、俺たちは一つの組織として記録されている。
ならば未来掲示板は、単に現在までに確定した出来事を映しているわけではない。
俺たちが選び始めた方向、その延長線まで反映している。
ただし、絶対の未来ではない。
澪から電話が来る時刻は、掲示板の記録より十時間近く早まった。
つまり表示された未来は、次の瞬間には変わり得る。
「攻略情報というより、更新され続ける予測地図だな……」
俺はそう呟きながら、次の名前を検索した。
九条蓮司。
未来の通称、《炎帝》。
世界探索者ランキング二位。
単独火力だけなら歴代最高とも言われる男。
大規模ダンジョン災害では何度も都市を救い、二〇三四年の上海迷宮崩壊では一人で災害級モンスター三体を焼き殺している。
そんな怪物の、現在。
『無職』
『家賃三か月滞納』
『所持金六百四十二円』
何度見ても落差がひどい。
さらに調べる。
『九条蓮司が発生前に住んでたアパート、今は聖地扱いなんだよな』
『追い出された部屋な』
『家賃払えなかった世界二位』
『本人にその話すると本気で怒るぞ』
「十年後まで擦られてる……」
少しだけ同情した。
しかし、笑っていられるのはそこまでだった。
九条がアパートを追い出されたあとについて調べると、未来で語られていた経歴は思ったより重い。
住居を失い、日雇い仕事とネットカフェを転々。
ダンジョン発生当日も、新宿の建設現場で働いていた。
そこで最初の迷宮災害に巻き込まれ、《紅蓮》へ覚醒。
そして――。
『九条が初日に助けられなかった作業員五人のこと、生涯引きずってたらしいな』
俺は画面を止めた。
未来で世界二位になっても、消えなかった後悔。
ならば。
今回は、追い出される前に拾う。
◇
二日後。
九条蓮司が住んでいるアパートは、未来掲示板の情報通り、世田谷の住宅街にあった。
「……ここ?」
凛が建物を見上げた。
「ここです」
「世界二位が?」
「未来では」
「本当に?」
「俺も同じこと思ってます」
築四十年はありそうな二階建て。
外壁はところどころ色褪せ、階段には薄く錆が浮いている。
澪も今日は一緒だった。
母親の状態は落ち着いており、昼過ぎまでなら離れても問題ないという。
「何号室なんですか?」
「二〇三」
「いきなり行くんですか?」
「そのつもりです」
「佐伯さん」
澪が少し心配そうに俺を見る。
「また最初から未来の話をするんですか?」
「……今回はやめます」
凛が笑った。
「成長しましたね」
「二人に散々怪しまれたので学びました」
「私はまだ半分くらい怪しんでますよ」
「澪まで?」
「普通に考えたら怪しいです」
否定できない。
今回は、まず九条本人を見る。
未来掲示板の情報があっても、性格まで分かったつもりになるのは危険だ。
凛でそれを学んだ。
俺たちは二〇三号室の前へ立った。
呼び鈴を押す。
反応なし。
もう一度。
やはり出ない。
「留守ですか?」
「未来掲示板だと、今日は家にいるはずなんですけど」
「未来変わってる可能性は?」
「あります」
そう答えた直後。
室内から物音がした。
いる。
さらに呼び鈴を押した。
「九条さん、いますか?」
沈黙。
「少しお話したいんですが」
「新聞なら取らねえぞ」
中から低い声が返ってきた。
「新聞じゃないです」
「宗教もいらねえ」
「宗教でもありません」
「借金の取り立てなら来週まで待て」
凛と澪が同時に俺を見る。
俺も何と言えばいいか分からなかった。
「取り立てでもないです」
「じゃあ帰れ」
「仕事の話です」
室内が静かになった。
三秒ほどして、ドアが十センチだけ開く。
隙間から男の顔が覗いた。
二十代半ば。
ぼさぼさの黒髪。
無精髭。
着ているのは、洗いすぎて色が抜けたTシャツ。
未来掲示板に大量に残っている《炎帝》の写真とは似ても似つかない。
未来の九条蓮司は、燃えるような赤髪と鋭い眼光を持つ長身の男だった。
目の前にいるのは、どう見ても寝起きの無職である。
「……何の仕事だ」
俺は少し考えた。
「護衛です」
「帰れ」
閉められた。
「早いですね」
澪が呟く。
「なんでですかね」
もう一度呼び鈴を押す。
「九条さん」
「帰れって言っただろ!」
「日給二万円」
ドアが開いた。
「話くらいは聞く」
現金だった。
◇
近所のファミレス。
ここ数日、未来英雄と会うたびにファミレスへ入っている気がする。
九条は注文した大盛りハンバーグセットを、ものすごい勢いで食べていた。
「追加頼んでもいいか?」
「どうぞ」
「お前、いい奴だな」
「食事だけで評価決めないでください」
「三日まともに食ってねえんだよ」
「三日?」
澪が心配そうに見る。
九条は気にした様子もなく、ライスを口へ運んだ。
「米は食った。まともなおかずが三日ぶり」
「それでも駄目ですよ」
「生きてるから平気だ」
未来で何万人もの命を救う二人が、今は片方が家賃滞納、片方が他人の食生活を心配している。
俺だけが十年後を知っているせいで、妙な感覚になる。
「で、護衛って誰を守るんだ」
「俺たちです」
「何から」
「今のところは特に何も」
「帰っていいか?」
「待ってください」
完全に説明を間違えた。
凛が呆れたように口を挟む。
「佐伯さん、ちゃんと説明してください」
「お前ら全員知り合いなのか?」
「一週間前までは全員他人です」
「余計怪しいじゃねえか」
その通りすぎる。
俺は一度考えを整理した。
「正確には、護衛だけじゃありません。今後いろんな場所へ一緒に来てほしいんです。荷物運びでも、調査でも、必要なら荒事の抑止でも」
「便利屋か?」
「近いです」
「それならそう言えよ」
九条は二皿目のハンバーグに手を伸ばした。
「日給二万?」
「最初は」
「最初は?」
「成果次第で上げます。住む場所も用意できます」
九条の箸が止まった。
「……なんでそこまで出す」
「必要だからです」
「俺が?」
「はい」
九条の目が変わった。
さっきまでのだらしない男ではない。
ほんの一瞬だけ、鋭さが覗く。
「俺の何を知ってる」
ここが難しい。
未来を全部話すにはまだ早い。
「体力がある」
「あるな」
「喧嘩も強い」
「まあな」
「高所作業、重機補助、溶接、解体、倉庫作業の経験がある」
「……おい」
九条の表情から軽さが消えた。
「なんで知ってる」
未来掲示板に残っていた経歴だ。
日雇いを転々としていた九条は、驚くほど多くの現場経験を持っている。
そして。
「火の扱いに慣れてる」
九条が完全に箸を置いた。
「誰から聞いた」
「誰からも」
「じゃあ調べたのか?」
「少し」
「気持ち悪いな、お前」
「それはもう何度も言われました」
凛が横で頷いた。
「私も最初そう思いました」
「援護してくださいよ」
「事実なので」
九条は俺たちを順番に見たあと、椅子へ深く座り直した。
「俺、前の仕事で揉めて辞めてるぞ」
「知ってます」
「……それもか」
九条が以前働いていたのは、小さな金属加工工場だった。
火災が起きた際、周囲が止める中で一人だけ燃えている区画へ入り、同僚を助けた。
結果として人命は救った。
だが、避難命令を無視して危険区域へ入ったこと、設備を壊して消火したことを問題視され、経営者と激しく衝突。
本人から退職した。
未来掲示板では、《炎帝》の原点として有名な話だった。
「俺は人の言うこと聞かねえぞ」
「それも知ってます」
「団体行動苦手だぞ」
「知ってます」
「口も悪い」
「今分かりました」
「殴るぞ」
「それは困ります」
九条が鼻で笑う。
「だったら、なんで俺なんだ」
俺はそこで、少し迷った。
未来を抜きにして。
今の九条を雇う理由。
それなら、ある。
「人を見捨てないからです」
九条の目が止まった。
「工場の火事。あなた、自分が危ないのに戻ったでしょう」
「……」
「俺たちがこれからやろうとしてることには、そういう人が必要なんです」
「何をやろうとしてる?」
「まだ準備中です」
「怪しすぎるだろ」
「それは認めます」
九条はしばらく俺を見ていた。
そして。
「断る」
凛が眉を上げた。
澪も少し驚いたようだった。
俺だけは、なんとなくそうなる気がしていた。
「理由を聞いても?」
「お前、俺を買おうとしてるだろ」
「そう見えます?」
「見える」
九条は水を一口飲んだ。
「金出す。家も出す。仕事も出す。だから来い。そんな話、まともじゃねえよ」
「……」
「俺は借金取りから逃げてるわけでも、人生諦めてるわけでもない。家賃はそのうち払う」
「明日追い出されますよ」
「なんで知ってんだよ!」
思わず未来情報を漏らした。
凛が顔を伏せて笑いを堪えている。
「とにかく」
九条は立ち上がった。
「飯はありがたかった。日給二万も魅力ある。けど、得体の知れねえ奴の下で働くほど困ってねえ」
俺は九条の服を見る。
「困ってません?」
「まだ六百――」
九条が止まった。
俺も止まった。
危ない。
所持金六百四十二円まで言いそうになった。
「……なんだ」
「なんでもありません」
「お前、本当に気持ち悪いな」
九条はそう言って、伝票へ手を伸ばした。
俺が先に取る。
「ここは俺が」
「そういうの嫌いなんだよ」
「じゃあ、仕事一件だけ受けません?」
「仕事?」
「それをやって、それでも嫌なら終わりでいいです」
九条が足を止める。
「何をやる」
俺はスマホを取り出した。
用意していた次の一手。
未来掲示板で見つけた、今日起こる小さな事故。
「倉庫の荷崩れを止めます」
◇
午後三時。
俺たちは板橋区にある物流倉庫の近くへ来ていた。
「ここ、俺の会社の取引先なんです」
俺が説明すると、凛が納得したように頷いた。
「だから自然に入れるんですね」
「一応」
未来掲示板には、今日午後三時二十六分、この倉庫で大規模な荷崩れ事故が発生すると記録されている。
原因は、高積みされた資材パレットの固定不良。
死者はいない。
だが三人が負傷し、一人は足に後遺症が残る。
しかも、その事故には俺の会社の社員も関わっていた。
昨日まで知らなかった。
未来掲示板を検索しなければ、今日も普通に起きていた事故だ。
「これを止めるのが仕事?」
九条が聞く。
「はい」
「なんで事故起きるって分かる」
「情報源があります」
「誰だ」
「秘密です」
「信用できねえ」
「だから確認に来ました」
会社の名前を出して倉庫側へ話を通し、荷物の状態を確認させてもらう。
もちろん、「未来で事故が起きる」などとは言えない。
俺は物流会社勤務の経験を使い、「輸送時に荷姿へ違和感があった可能性がある」と説明した。
実際、対象パレットは未来掲示板の写真から特定済みだ。
現場へ入る。
九条が高積みされた資材を見上げた。
「……あれだろ」
「分かるんですか?」
「固定甘い。下のパレットも歪んでる」
俺は驚いた。
未来掲示板を見なくても、九条には分かる。
「放っといたら倒れる?」
凛が聞く。
「今すぐじゃねえ。でもフォーク当てたり、隣動かしたりしたらヤバいな」
そのときだった。
奥からフォークリフトが近づいてくる。
未来掲示板に記録された事故時刻。
十五時二十五分。
「止めて!」
俺が叫ぶより。
九条のほうが速かった。
「おい! その列触るな!」
怒鳴り声が倉庫に響く。
運転手が驚いてブレーキを踏む。
しかし、フォークの先端が隣のパレットへ軽く触れた。
ぐらり。
上段の資材が傾く。
「下がれ!」
九条が走った。
近くにいた作業員の襟を掴み、強引に後ろへ投げる。
次の瞬間。
金属部品を積んだケースが崩れ落ちた。
轟音。
床が震える。
ただし。
誰も、その下にはいなかった。
「危ねえ積み方してんじゃねえよ!」
九条の怒鳴り声が響いた。
倉庫の責任者が青ざめる。
未来では三人が負傷した事故。
今は、怪我人ゼロ。
俺はスマホを見る。
『2026年9月4日 板橋区物流倉庫荷崩れ事故』
更新。
『負傷者三名』
文字が消える。
『設備損壊のみ。人的被害なし』
変わった。
また一つ。
「九条さん」
「なんだ」
俺はスマホを握りながら、彼を見る。
「今のが仕事です」
「……これで二万?」
「はい」
「安くないか?」
「自分で言います?」
「人一人助けたぞ」
「三人です」
「は?」
「本来なら」
また言いかけて止める。
九条が目を細めた。
「お前」
「はい」
「やっぱ何か知ってるだろ」
逃げられない。
凛と澪も俺を見る。
二人には未来掲示板のことを話した。
なら、九条だけ隠したまま雇うのも限界がある。
「九条さん」
「あ?」
「来年の九月一日、世界中にダンジョンが発生します」
九条は黙った。
「人間の一部が、特殊な能力に目覚めます」
「……」
「あなたもその一人です」
さらに沈黙。
「十年後、あなたは世界で二番目に強い探索者になっています」
九条は俺を見つめた。
十秒。
二十秒。
そして。
「凛」
「はい?」
「こいつ前からこうなのか?」
「私に会った初日からです」
「澪」
「私も似た感じでした」
「お前らよく付いてきたな」
「私もそう思います」
「ちょっと」
三人に揃って変人扱いされた。
「でも」
凛が続ける。
「今日の事故、当てました」
澪も頷く。
「私の母のことも」
九条は崩れた荷物を見る。
そして俺を見る。
「証拠は?」
「未来に関する情報は俺のスマホにあります。ただ、画面は俺にしか見えません」
「最悪の証拠だな」
「俺もそう思います」
九条が頭を掻いた。
「世界二位?」
「はい」
「誰が一位だ」
そこを聞くのか。
「今は言いません」
「なんでだよ」
「会ったことない人ですし、情報もまだ整理してません」
「俺より強い奴がいるのか」
「います」
「気に入らねえ」
凛がすぐ反応する。
「分かります」
「凛まで乗らないでください」
二人の目が妙なところで合った。
未来ランキング三位と二位。
初対面から競争心だけはあるらしい。
九条はしばらく考えていたが、やがて俺へ手を差し出した。
「一週間」
「え?」
「一週間だけ雇われてやる」
「いいんですか?」
「勘違いすんな。信じたわけじゃねえ」
九条は崩れた荷物を見る。
「ただ、今日みたいなのを事前に止められるなら、日給二万以上の価値はある」
「住む場所は?」
「それも借りる」
「家賃は?」
「給料から引け」
そこは妙に律儀だった。
「あと」
九条が指を一本立てる。
「俺に命令するな」
「雇用として致命的じゃないですか?」
「相談なら聞く」
「違いあります?」
「ある」
難しい男だ。
でも。
未来で世界二位まで登る人間が、誰にでも従う性格なわけがない。
「分かりました」
俺はその手を握った。
「一週間、お願いします」
「ああ」
その瞬間。
スマホが震えた。
未来掲示板。
新着通知。
『【懐古】炎帝があのギルドに入った経緯、今考えても意味不明すぎる』
俺は嫌な予感を覚えながら開く。
『名無しの探索者:2036/09/04 16:02
家賃滞納して追い出される寸前に拾われたんだろ』
『名無しの探索者:2036/09/04 16:03
炎帝本人は「雇われただけ」ってずっと主張してたけどな』
『名無しの探索者:2036/09/04 16:04
なお、そのまま十年いる模様』
俺は九条を見る。
「なんだよ」
「いや……一週間なんですよね?」
「一週間だ」
「ですよね」
未来では十年。
そこは黙っておこう。
さらに新しい書き込み。
『名無しの探索者:2036/09/04 16:06
白石、九条、水城。初期メンバー三人の時点で反則すぎる』
『名無しの探索者:2036/09/04 16:07
問題は、あいつが次に拾った奴だろ』
俺の指が止まる。
『あれを発生前に見つけたせいで、世界のダンジョン攻略速度が五年は縮んだ』
戦闘職ではない。
書き込みを追う。
『名無しの探索者:2036/09/04 16:08
榊原教授な』
『名無しの探索者:2036/09/04 16:09
当時まだ教授じゃないぞ』
『名無しの探索者:2036/09/04 16:10
大学辞める寸前の変人研究員』
『名無しの探索者:2036/09/04 16:11
魔石も存在してない時代に、魔力変換理論の原型作ってた頭おかしい人』
榊原。
未来の魔導工学を作った男。
探索者の武器、防具、発電設備、医療機器。
十年後の社会を支える技術の基礎を築いた人物。
その価値は、下手をすれば世界二位の九条より大きい。
そして。
『名無しの探索者:2036/09/04 16:13
あの人、2026年9月末で研究室追い出される予定だったんだよな』
九月末。
まだ三週間以上ある。
今までとは違う。
少し時間がある。
なら、ただ会いに行く前に準備できる。
未来の技術者が欲しがるもの。
未来の研究を始めるために必要なもの。
俺は掲示板の検索欄へ、榊原の名前を入力した。
そして。
「……これ、先に買えるな」
ある物質の名前を見つけた。
今はまだ、誰も価値を知らない。
ダンジョン発生後。
世界中が奪い合うことになるもの。
しかも、それは魔石ではない。
今この時代にも普通に存在している。
未来掲示板によれば、一年後には価格が――現在の八百倍。
人材の次は。
資源。
世界がまだ価値に気づいていないものまで、先に押さえられる。
俺たちの一年は、ようやく本当の意味で動き始めていた。




