第40話 八年前の失踪者から届いた声は、「助けて」ではなかった
八年前に消えた作業員の声が、向こう側から届く。
昨夜の未来掲示板で見つけた情報を、翌朝の会議で説明したとき、瀬尾は最初に自分のノートパソコンを閉じた。
「佐伯さん、先に確認させてください。昨日見つけた安全タグには、マイクなんか付いてませんよ。位置と姿勢を知らせるための機械ですから、音声を録音する機能も、通話する機能もありません」
「そこは分かっています。未来掲示板にも、安全タグから声が出たとは書かれていませんでした。七分間の向こうから本人の声が返ってきた、という書き込みだけです」
「だったら、昨日のパケットをいくら解析しても音声は出ませんね。あのタグが送っているのは識別番号と状態情報だけです。無理に音へ変換したところで、ただの電子音にしかならないと思います」
瀬尾がそう言うと、榊原さんも頷いた。
「その認識で正しい。安全タグのデータに声が隠されている、なんて都合のいい解釈はしないほうがいい。ただ、最初の五点観測では電磁環境をかなり広い範囲で記録している。タグの通信規格に当てはまらない成分も、そのまま生データとして保存してあるはずだ」
昨日、俺たちは五地点から同時に受信された信号を組み合わせ、八年前に失踪した作業員の安全タグと一致する識別番号を取り出した。
十桁すべてが一致し、メーカー側でも番号の再利用がないことを確認している。さらに電池低下の警告が出ておらず、端末に一定以上の動きがあったことを示すフラグまで残っていた。
ただし、向こう側の時間がどのように流れているのかは分かっていない。
未来の救出記録には、本人の体感時間が約七分だったとある。しかし、その七分間が地球の八年間へ均等に引き伸ばされていたのか、ほとんど停止していた時間があるのか、接続が起きた瞬間だけ時間の流れ方が変わるのか、判断できる材料がなかった。
俺は当初、八年間を七分間で割れば向こう側の時間の進み方が分かると思っていた。だが榊原さんから、それは平均的な比率を計算しただけであり、観測していない時間の流れまで証明したことにはならないと指摘されている。
今回、声を探すなら、その問題を避けて通ることはできない。
「音声らしいものが見つかったとしても、普通の速度で再生すれば聞き取れるとは限らないんですね」
俺が尋ねると、榊原さんは資料を開きながら答えた。
「そもそも音が届いているかどうかさえ不明だ。空気の振動がそのまま五地点へ伝わったとは考えにくいし、前駆現象が電磁信号へ変換したという仮説もまだ証拠がない。時間の問題はそのあとだな。音声に似た変動が見つかっても、適当に再生速度を変えて人間の言葉に聞こえる部分を探すような解析は避けたい」
「なぜです?」
「雑音でも、何度も速度を変えて聞いていれば言葉らしいものが見つかる。最初から『人間の声がある』と信じて探せば、なおさらだ。未来の書き込みを知らない解析者にも確認してもらう必要がある」
なるほど、と思いかけたところで、隣の三枝さんが資料の束を俺の前へ置いた。
「佐伯さん、今日は音が見つかったら、そのまま家族に聞かせるつもりですか? 昨日の時点でまだ本人が生きているとは断定できないって話でしたよね。声らしいものが出たら、今度こそ大丈夫だと思いたくなるでしょうけど」
答えるまで少し時間がかかった。
八年間、帰ってこなかった人の声が聞こえる。
家族にとって、それがどれほど大きな出来事なのかは想像できる。
だからこそ、もし別人の声だったり、八年前の出来事が記録として残っているだけだったりしたら、取り返しのつかない期待を抱かせてしまう。
「まず信号を確認します。本人の声だと判断できるものが出ても、それが現在の生存証拠になるかは別に考えます。家族への説明は神代さんと相談して、勝手なことはしません」
「それならいいです。俺も調査には付き合いますけど、音が聞こえた瞬間に全員で盛り上がるようなことにはしたくないので」
三枝さんはそこで一度言葉を切り、少し困ったような笑みを浮かべた。
「……まあ、俺も聞こえたら興奮すると思いますけどね。そこは誰か止めてください」
自分も例外ではないと認めるところが、妙に三枝さんらしかった。
◇
解析を始めて最初の二時間は、ほとんど進展がなかった。
安全タグの信号を復元したときには、通信規格という手掛かりがあった。使われている周波数帯も、パケットの構造も、メーカーの仕様書に残っている。
ところが音声となると、何を探すべきかさえ分からない。
観測器にマイクは搭載されていないし、五地点で記録されたのは電磁環境や微小振動の変化だ。そこから音が取り出せるとすれば、GCS-01との接続によって別の物理量へ何らかの変換が起きていた場合に限られる。
瀬尾はまず、昨日の安全タグ復元時に除外した成分を調べ直した。
「タグのパケット前後に、規格に合わない変動が残ってるんですよ。昨日は通信とは無関係なノイズとして外したんですけど、ほかの時間帯にも似たものがあるかもしれません」
「ほかの四回の周期反応も調べるのか?」
「はい。ただし安全タグの信号が強かったのは観測終了直前です。それ以前の変動まで同じ原因だと決めずに、まず特徴が似ているものだけ抽出します」
榊原さんはその進め方を認め、解析担当を二つに分けた。
一方は、五地点の電磁環境ログから共通する変動を調べる。もう一方は、前駆粒子の周期反応や中央構造C1の歪みと、変動の発生時刻に関連があるかを調べる。
俺と三枝さんは、数値そのものを扱う仕事には入らなかった。
未来掲示板を見ている俺が無意識に答えを誘導する可能性もあるし、三枝さんは安全担当として、解析結果を理由に現地へ追加調査を始めないか確認する役割がある。
「何だか、俺だけ仕事してない気がするんですけど」
午後一時頃、瀬尾の背中を眺めながら俺が言うと、三枝さんは持っていた確認表から顔を上げた。
「社長なんだから、みんなが作業してる間に別の仕事を進めたらどうです? 病院向けの避難手順もまだ終わってないでしょう」
「……そうでした」
「忘れてたんですか?」
「忘れてません。ただ、GCS-01のほうが気になって」
「だから言ってるんですよ。研究班まで社長と一緒になってほかの仕事止めてたら、アークはいつまで経っても大きくなりませんよ」
言われてみれば、まったくその通りだった。
八年前の失踪者を救うために、今は研究班が動いている。
その間にも、本発生へ備えるための仕事は山積みだ。病院の設備対策、物流拠点の確保、研究機材の追加発注、行政との調整。それらを止めてしまえば、一年後に救えるはずだった人たちを救えなくなる。
俺は席を移し、御厨さんへ連絡した。
横浜北部医療センターで始まった病院向け退避手順の作成について、進捗を聞くためだった。
『ちょうどよかった。こっちからも連絡するつもりだったのよ』
御厨さんの声は、いつもより少し疲れていた。
『最初に協力してくれた病院から、設備のバックアップ計画が上がってきたわ。ただ、非常電源の分散まではできても、酸素供給系統を別区画へ増設するには費用が大きすぎる。病院単独では負担しきれないって』
「政府側の補助制度は使えませんか?」
『既存の災害対策補助には該当しない部分があるの。地震対策として説明できる設備はいいけれど、「存在しない扉が現れる災害に備えて配管を増やします」では審査を通しにくいわ』
俺は思わず苦笑した。
そりゃそうだ。
未来ではダンジョンが存在することを誰も疑っていない。
けれど今の世界で、そんな説明をされても普通は予算を出せないだろう。
「なら、通常の設備更新計画と組み合わせられる部分を探しましょう。アーク側でも負担できる範囲を検討します。全部を寄付するわけにはいきませんけど、最初の実証施設で結果が出れば、次の病院への説明材料になりますから」
『その返事を聞けて安心したわ。最近、GCS-01の件にばかり集中しているって聞いていたから』
「誰からです?」
『三枝さん』
俺は通話したまま三枝さんを見る。
三枝さんは何も知らない顔で確認表へ視線を戻した。
どうやら安全運用室の仕事には、社長の仕事の偏りを直すことまで含まれているらしい。
◇
午後三時過ぎ。
瀬尾が突然、俺の席まで来た。
普段なら何か見つかるとすぐ声を上げる彼が、今回は少し迷ったようにノートパソコンを抱えている。
「佐伯さん、ちょっといいですか。まだ確定じゃないんですけど、聞いてほしいものがあります」
「声ですか?」
「……そうかもしれません。ただ、最初に言っておくと、俺自身には人の声に聞こえるんです。でも昨日からずっと『声が出るかもしれない』って考えて作業してるので、当てにならないんですよ」
会議室へ戻ると、榊原さんがすでに二組の波形を並べていた。
一つは五地点の対象データ。
もう一つは比較用の五地点から作ったデータだった。
どちらも、耳で聞ける形へ変換されている。
「解析手順は?」
「五地点で共通している変動を、位相と時刻のずれを補正して重ねました。人間の音声に合わせた加工はしてません。まず記録された振幅変化をそのまま可聴帯域で再生して、そのあと固定条件のフィルターだけ通しています」
「時間軸は?」
「向こう側の時間倍率は使っていません。こちらで記録された変化の順序を維持しています。ただし、これが向こう側の発話速度と一致するかどうかは分かりません」
榊原さんが俺へ視線を向けた。
「ここが重要だ。もし音声らしいものが聞こえても、向こう側で普通に喋った音が同じ時間幅で届いたとは限らない。境界を通る際に変換された可能性もあるし、そもそも音声とは別の変動を俺たちがそう聞いている可能性もある。今から聞くものが本物の人声だとは、まだ考えるな」
「分かりました」
瀬尾が最初の音を再生した。
スピーカーから流れたのは、細かい砂を擦り合わせるような雑音だった。
その奥に、低い唸りが混じっている。
数秒で終わった。
「……これ、何か言ってます?」
俺が正直に尋ねると、瀬尾は苦笑した。
「俺も最初はそう思いました。じゃあ、今度はこっちです」
二つ目。
雑音が少し減った。
そして。
ほんの一瞬だけ。
人間の喉から出る音に似たものが聞こえた。
『……こ……』
俺は思わず身を乗り出した。
「今、何か聞こえましたよね?」
「聞こえたと思います。ただ、何を言ってるかまでは分かりません」
三枝さんも音を聞き直し、首を傾げた。
「俺には『こ』っていうより、何かが擦れた音に聞こえます。機械が回るときにも、こういう音出ますよね」
「そういう可能性もあります」
瀬尾は否定しなかった。
榊原さんが二組の波形を比較する。
「対象五地点には、音声の母音成分に似た周波数構造がある。一方で対照地点には、それと同じものがない。ただし、人間の発話以外でも似た構造は出る。ここで『こ』と聞こえたからといって、その音を探す方向で調整を重ねるな」
「じゃあ、どうします?」
「別の人間に聞いてもらう。それも、人間の声があるかもしれないという説明はせず、複数の音源候補の中に共通する特徴があるかを確認してもらう。音声に関する専門家にも、同じ条件で見てもらいたい」
ここから先は、俺たちだけで判断するべきではなかった。
俺は未来を知っている。
瀬尾も、未来では声が見つかると聞いている。
三枝さんも同じだ。
榊原さんですら、いくら慎重に考えても、その事実を完全に忘れて解析することはできない。
だから一度、答えを知らない人の耳を借りる必要があった。
◇
音声解析を専門とする大学研究室から暫定的な所見が届いたのは、その日の夕方だった。
研究室には対象地点のデータだけでなく、比較用のデータや、解析条件を変えた複数の音も送ってある。GCS-01についても、八年前の失踪者についても説明していない。
結果は、俺たちの予想より慎重だった。
《一部の信号に人間の発話音声と類似した時間・周波数構造が確認される。ただし信号品質が低く、音声であることの確定は困難》
ここまでは、榊原さんの判断と変わらない。
しかし報告書の最後に、気になる記述があった。
《対象データのうち、特定区間を独立に聴取した三名が、類似した日本語の発話を報告した》
俺はその部分を二度読んだ。
「三人とも、同じ言葉に聞こえたんですか?」
「完全には一致していない」
榊原さんが回答欄を示す。
一人目。
《聞こえますか》
二人目。
《聞こえてますか》
三人目。
《誰か、聞こえるか》
文末に違いはある。
最初に別の言葉を聞き取った人もいる。
それでも三人が共通して書いていたのは、「聞こえる」という言葉だった。
「……本当に声なんですかね」
俺が呟くと、榊原さんはすぐには答えなかった。
「声である可能性は上がった。だが、これでも本人の声だと断定できない。次は元データに戻って、同じ加工条件を使った場合にほかの区間からも発話らしい構造が出るか確認する」
その言葉を聞いて、俺は少し安心した。
未来掲示板に書かれていたから、人間の声が出てくると信じる。
それでは駄目なのだ。
知らない人が。
現在のデータだけを使い。
人間の声かもしれないものを見つけた。
そこまで来て、初めて次へ進める。
◇
翌日の午前中、二つ目の音声区間が見つかった。
最初のものより長い。
安全タグの識別信号が現れる直前、五地点すべてで観測された不規則な変動の中に、同じ特徴を持つ信号が埋もれていた。
瀬尾は前日と同じ解析条件を適用し、データを再生した。
最初はまた雑音だった。
小さな機械音が重なっているようにも聞こえる。
やがて、その奥から男性らしい声が浮かび上がった。
『……だれか……』
昨日の音より、はっきりしていた。
スピーカーを囲んでいた全員が黙ったまま、続きを待つ。
『……きこえ……ますか……』
言葉の途中が欠けている。
声も歪んでいる。
それでも。
人間が呼びかけているように聞こえた。
瀬尾は再生が終わってもしばらく操作しなかった。
「……昨日から何回も似た音を聞いてましたけど、ここまではっきり聞こえたのは初めてです」
その声には、いつもの軽さがなかった。
三枝さんも椅子の背から身体を離し、机の上に置かれたスピーカーを見つめている。
「俺、今のは人間の声に聞こえました。昨日のは正直、何言ってるか全然分からなかったんですけど、これは……」
「分かる。ただし、まだ判断を急ぐな」
榊原さんはそう言いながらも、いつもより慎重に言葉を選んでいた。
「今度の区間は、発話の特徴をかなり明確に持っている。単なる雑音だと説明するには不自然な部分が増えた。ただ、特定の人間の声だと判断するには、比較対象が必要になる」
神代さんが、その言葉を待っていたように端末を開いた。
「実は昨日から、当時の勤務先へ問い合わせていた。失踪者本人が話している古い映像が残っていないか、事故調査時の提出資料まで確認してもらっている」
「ありました?」
「ある。社内の設備点検研修で撮影した映像だ。八年前の事故より半年ほど前のものらしい。本人の声も入っている」
俺は思わず神代さんを見た。
「それ、もう使えるんですか?」
「家族にも事情を説明し、声の比較に使用することについて同意を得た。公開しないこと、調査目的以外へ転用しないことが条件だ」
神代さんはそこで、初めて失踪者の名前を俺たちへ伝えた。
大友直樹。
失踪当時、二十六歳。
設備保守会社で働いていた技術員。
八年前の午後二時十四分五十二秒、地下三階の機械室へ入ったのを最後に、その姿は確認されていない。
「家族には、新しい手掛かりが見つかったことだけ伝えてある。生存したと証明できたわけではないことも説明した。今回の声が似ているというだけで、断定するつもりはない」
神代さんの表情は硬かった。
八年間、待っていた人たちがいる。
だからこそ、俺たちの一言には重さがある。
榊原さんは古い研修映像から音声部分だけを切り出し、信号の比較を始めた。
現在の記録はひどく歪んでいる。
音の高さも、話す速さも、普通の状態とは限らない。
そのため声紋を単純に重ねることはできないが、発話の特徴や音の連続性を確認することはできる。
解析は午後まで続いた。
その間、俺はほとんど口を出さなかった。
焦っても仕方がない。
今まで何度も、そのことを教えられてきた。
けれど今日は、どうしても時計を見る回数が増えてしまった。
ようやく榊原さんが顔を上げたのは、午後三時を過ぎた頃だった。
「本人の声である可能性は高い」
俺は思わず立ち上がりかけた。
榊原さんはそれを手で制した。
「声の高さだけなら時間変換や信号劣化で変わってしまう。ただ、子音から母音へ移るときの特徴や、いくつかの発声上の癖が、古い音声と一致している。もちろん完全な本人認証にはならないが、少なくとも無関係な人間の声が偶然混じったと考えるよりは、大友直樹本人の発話だと考えるほうが合理的だ」
「じゃあ……」
「生存確認として扱うかどうかは、まだ別の判断だ。八年前の声が何らかの形で保存されていた可能性は否定できないし、向こう側の時間経過も分かっていない。ただし、失踪時に携行していた安全タグの信号と、本人に似た音声が、同じ観測記録から見つかった。この二つが独立した手掛かりとして揃ったことには意味がある」
俺はゆっくり椅子へ座り直した。
これまでずっと、未来掲示板を通して「生きている」と知っていた。
けれど今。
その未来情報を使わずに。
八年前から消えた一人の男が、GCS-01と関係していることを示す証拠が、確実に増えている。
俺たちが見つけたのは、未来の答えではない。
今の世界に残っていた、本人の痕跡だった。
◇
問題は、そのあとだった。
「佐伯さん、もう一つ聞いてもらいたいところがあります」
夕方、瀬尾が再び声をかけてきた。
「今度は何です?」
「昨日の五回の周期反応のうち、最後の二回をもう一度調べたんです。最初は音声らしいところだけ見てたんですけど、さっき見つけた声と同じ特徴を持つ変動が、別の時間帯にも残っていました」
瀬尾の顔を見て、俺は少し嫌な予感がした。
「本人の声ですか?」
「たぶん。ただ、まだ外部検証は終わってません。それでも、聞いてもらったほうがいいと思って」
神代さんと三枝さんも席へ戻り、榊原さんが再生を許可した。
今度の音声は、これまでより少し長かった。
雑音の奥から、先ほどと同じ男性の声が聞こえる。
『……誰か……聞こえますか……』
そのあと、一瞬だけ音が途切れた。
何かが擦れるような音。
そして、今度は明らかに焦った調子の声が続いた。
『……こっちに……来ないで……』
瀬尾が再生を止めた。
会議室が静かになった。
「……今、何て?」
俺が尋ねると、瀬尾は画面を見たまま答えた。
「俺には『こっちに来ないで』って聞こえました。けど、信号の欠け方を考えると別の言葉の可能性もあります。何度か聞き直しても、これ以上は分からなくて」
三枝さんが眉を寄せた。
「俺もそう聞こえました。最初の『聞こえますか』は助けを呼んでるみたいだったのに、今度は……近づくなって言ってません?」
榊原さんはしばらく黙っていたが、やがて瀬尾へ再解析を指示した。
今度は、ほかの区間から復元された声の特徴を使わずに処理する。最初から「来ないで」と聞こえるように、音を選んだり補正したりしていないか確認するためだ。
結果が出るまで、さらに一時間近くかかった。
だが、聞こえ方は大きく変わらなかった。
細かい部分は不明瞭なままだが、男性が誰かへ呼びかけ、そのあと接近を止めるような言葉を発している可能性は高い。
「救助を求めてるんじゃないのか……?」
俺は無意識に呟いていた。
八年間、消えていた人。
本人の体感では七分程度しか経過していない可能性がある。
普通に考えれば、誰かが来てくれることを望んでいるはずだ。
それなのに。
向こう側から届いた声は。
近づくなと言っているように聞こえる。
「佐伯君」
神代さんが俺へ声をかけた。
「まだ、誰に向けて言った言葉なのかも分からない。八年前、機械室にいた誰かへ向けた言葉だった可能性もある。現在の我々への警告だと決めつけるのは早い」
「……そうですね」
「ただし、安全上の判断としては別だ」
三枝さんが続けた。
「仮にこっちへ向けた警告だった場合、何か危険があるのかもしれない。だったら救出方法を考えるときに、この音声を無視するわけにはいきませんよね」
その意見に異論はなかった。
本人の声が届いたからといって、すぐ救出へ向かうわけにはいかない。
むしろ、その声が何を意味しているのか、確認する必要が増えた。
◇
その日の夜、俺は未来掲示板を開いた。
目的は、今の音声が十年後にはどのように扱われているかを確認するためだった。
《GCS-01 大友直樹 音声》
検索すると、いくつかの書き込みが表示された。
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【前駆史】《六人目の声》って最初から警告だったの?
2181:名無しの探索者
最初はそうだと思われてた
2182:名無しの探索者
「こっちに来ないで」ってやつ?
2183:名無しの探索者
そう
あれ初期解析では音声の欠落部分が多くて
誰に言ってるのかも分からなかった
2184:名無しの探索者
本人が救出されたあとで解釈変わったんだよな
2185:名無しの探索者
そもそも、あの人が見てたものが違った
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俺は画面を見つめた。
救出されたあとで、解釈が変わった。
つまり今の俺たちが考えているような、単純な警告ではなかった可能性がある。
続きを読む。
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2186:名無しの探索者
何が違ったの?
2187:名無しの探索者
大友直樹が言ってたのは
救助に来る人間へ向けた言葉じゃない
2188:名無しの探索者
じゃあ誰に?
2189:名無しの探索者
五つの窓の向こう側
2190:名無しの探索者
それってP5のこと?
2191:名無しの探索者
違う
2192:名無しの探索者
《七分間》のとき
窓の向こうにいた五人が
何かに引っ張られてたらしい
2193:名無しの探索者
大友はそれを止めようとしてた
---
俺はスマホを持つ手に力を込めた。
五つの窓。
八年前、日本の五地点へ同時に開いた接続。
その中心付近にいた未来の世界ランキングTOP5。
俺たちは今まで、五人が前駆現象へ偶然接触した結果、特殊な適応反応を持つようになったのか、それとも最初から五人の存在が接続先の選択へ影響したのかを調べてきた。
だが、もしこの書き込みが正しいなら、もう一つの可能性が出てくる。
あの七分間。
向こう側から五人へ、何らかの作用が及んでいた。
そして中央構造C1に固定された大友直樹は、それを止めようとしていた。
続きを読むと、さらに気になる書き込みがあった。
---
2194:名無しの探索者
じゃああの人は助けた側だったのか
2195:名無しの探索者
少なくとも本人はそう証言してる
2196:名無しの探索者
でも不思議だよな
2197:名無しの探索者
何が?
2198:名無しの探索者
八年前の時点で
日本五地点の接続先は全部バラバラなのに
2199:名無しの探索者
大友直樹は
五つの窓の向こうにいる人間を
ちゃんと見分けてたんだろ?
2200:名無しの探索者
そう
2201:名無しの探索者
それだけじゃない
2202:名無しの探索者
五人全員について
「このままじゃ戻れなくなる」
って言ってたらしい
---
そこまで読んだところで、俺はスマホを伏せた。
大友直樹は、未来のTOP5を知っていたわけではない。
まして、十年後の世界ランキングなど存在しない時代だ。
それでも八年前、彼は五つの窓の向こうにいた五人が危険な状態になっていることを理解し、何かをしようとしていた。
その結果、自分だけが帰ってこられなくなったのだとしたら。
俺たちが《観測室》と呼んでいたあの部屋は、ただ誰かを観測するための施設ではないのかもしれない。
あそこで何が起きたのか。
どうして五人にだけ同じ反応が残ったのか。
なぜ大友直樹だけが八年経っても帰ってこられないのか。
その答えを知っている人間が、今も中央構造C1にいる可能性がある。
ただし、急いで接続を開く理由にはならない。
むしろ、大友自身が誰かを遠ざけようとしていたなら、その危険をきちんと調べるまでは接続を開くべきではない。
俺は仕事用スマホを取り出し、榊原さんへ短い連絡を入れた。
『未来の記録で、音声の解釈が変わることが分かりました。大友さんは、五つの窓の向こうにいた人たちを助けようとしていた可能性があります。ただし、現在側では未確認です』
少し経って、返信が来た。
『分かった。明日、音声の残りを調べる。ただし今夜は寝ろ。明日の判断を鈍らせるな』
思わず笑ってしまった。
あの人は、本当に研究者らしい。
俺はスマホを閉じ、椅子から立ち上がる。
未来世界ランキングTOP5。
世界最強の探索者たち。
十年後には、彼ら全員がアーク・フロンティアへ集まっている。
俺はずっと、それを未来情報による人材発掘の成果だと思っていた。
もちろん、それが間違いだったわけではない。俺が未来を知らなければ、今の九条や凛、東雲さんや深町さん、そして神代朔夜と出会うこともなかっただろう。
けれど、五人が未来で強くなる理由は、俺が彼らを集めたことだけでは説明できない。
八年前。
まだ誰もダンジョンを知らなかった時代。
日本の五か所へ、七分間だけ開いた窓。
その中心で、一人の設備作業員が何かを止めようとしていた。
その男が何をしたのか、俺たちにはまだ分からない。
ただ、もし大友直樹が五人を危険から遠ざけようとしていたのなら、未来世界ランキングTOP5の歴史には、これまで誰も知らなかった一人の名前が加わることになる。
英雄たちが英雄になる、八年も前の話だ。
そして俺には、十年後の攻略掲示板がある。
八年前に置き去りにされた人間を、もう一度現在へ連れ戻す方法も、きっとどこかに残っている。
未来で救出されるという結果に安心するのではなく、その結果へたどり着くために、今できる準備を一つずつ積み上げる。
俺がアーク・フロンティアを作ったのは、そういうことをするためだった。
翌朝、俺たちは八年前の音声をさらに調べることになる。
そのとき初めて、大友直樹が五つの窓を閉じようとした理由を示す、もう一つの声を見つけることになるのだが――この夜の俺は、まだその存在を知らなかった。




