第38話 八年前の七分間で、一人だけ今も帰ってきていない
GCS-01の中央にある構造物には、八年前の《七分間》当時、何かが存在していた。
未来掲示板に現れた新しい情報を翌朝の会議で伝えると、榊原さんは驚くより先に、昨日作ったばかりの中央構造C1の復元図を大型モニターへ呼び出した。
「まず分けて考える。未来掲示板が『空ではなかった』と書いていることと、そこに人間がいたことは同義じゃない。C1自体が可動構造なのは昨日の解析で可能性が上がったが、そこへ何かが固定されていた証拠は、今の俺たちはまだ持っていない」
「分かってます。未来では八年前の記録と照合したあとに、人間一人を固定する装置だと判断されたらしいです。ただ、何が固定されていたのかまでは読んでません」
「それでいい。むしろ今は読まないほうがいい」
榊原さんはC1の復元モデルを横向きに回転させた。背面に相当する縦長の構造、下部から前方へ張り出した部分、そして昨日の再解析で見つかった複数の可動部候補。未来情報を知らずに見れば、機械式の椅子か、人間ほどの大きさの物体を保持する架台と言われても不思議ではない。
三枝さんはしばらくモデルを眺めてから、別の方向へ話を進めた。
「もし本当に八年前、ここに人がいたとしたら、その人はどこから来たんでしょう。向こう側の人なら今の俺たちには調べようがないですけど、こっちの人が連れていかれたなら、同じ日に誰か消えてませんか?」
会議室が静かになった。
単純な発想だった。
だからこそ、誰も最初に考えていなかったことが不思議なくらいだった。
俺たちはこれまで、未来世界ランキングTOP5となる五人を中心に《七分間》を調べてきた。八年前の同じ時刻に日本五地点で異常が発生し、その中心付近にいた五人だけが、現在まで前駆粒子の取り込み反応を残している。
だが、向こう側の中央にも人間がいた可能性を考えるなら、見るべき記録はもう一種類ある。
八年前。
《七分間》と同じ時刻に。
地球側から消えた人間はいなかったのか。
「調べられますか?」
俺が神代さんを見ると、彼はすぐには頷かなかった。
「行方不明者を片っ端から調べるだけなら難しくはない。しかし、普通の失踪記録には正確な時刻など残っていないことが多い。最後に家族が見たのが朝だった、勤務先を夕方に出た、翌日になっても帰らなかった。そういう記録が大半だ。それに八年前ともなれば、現在まで保存されていない防犯映像も多いだろう」
「でも、時間が分かるケースもありますよね。駅に入ったとか、会社の入退室記録とか」
「ああ。だから検索条件を逆にする」
神代さんは自分の端末を開いた。
「八年前の《七分間》は、開始と終了の推定時刻がかなり絞れている。失踪者全体から探すのではなく、その時間帯に本人の所在が機械的な記録で確定していて、その直後から所在不明になった事例を探す。失踪だけではなく、事故、未解決事件、身元不明者、監視設備の異常も対象に入れよう」
三枝さんが少し申し訳なさそうな顔をした。
「俺、思いつきで言っただけなんですけど、また大仕事増やしました?」
「良い思いつきほど仕事は増える」
榊原さんが真顔で答えたので、三枝さんは「研究班には今後あんまり余計なこと言わないほうがいいな」と呟いた。
「駄目です。言ってください」
俺が止めると、瀬尾まで笑いながら頷く。
「三枝さんが黙ると、あとから現場で問題が見つかるので。そのほうが仕事増えますよ」
「どっちにしても増えるじゃないですか」
安全運用室の初代担当になって数日で、すでに苦労人の雰囲気が出始めていた。
◇
検索には時間がかかった。
単純な行方不明者だけでは数が多すぎるため、神代さんが政府側で条件を絞り、瀬尾は公開情報から補完することになった。俺も手伝おうとしたが、個人情報を含む資料を扱う部分には当然入れないので、過去の新聞記事や公開済みの未解決事故記録を探す側へ回る。
午前中に候補へ上がったのは十七件だった。
駅の防犯カメラを最後に姿が確認できなくなった人。
勤務先から退勤したあと帰宅していない人。
山中で連絡が途絶えた登山者。
海上で行方不明になった作業員。
ただ、調べていくと大半は《七分間》とは無関係だった。
「これは駄目ですね。駅を出たのは二時十六分ですけど、三時過ぎに別のコンビニのカメラへ映ってます」
瀬尾が一件を候補から外す。
「こっちは当時の報道だと二時台に失踪したことになってますけど、実際には携帯電話が夕方まで基地局につながってます。時間が合わないです」
また一件。
さらに一件。
候補は減っていく。
昼を過ぎた時点で四件。
午後二時には二件。
最後まで残った二件のうち、一つも家族の証言時刻が曖昧だったことが判明した。
そして。
一件だけ。
どうしても外せないものが残った。
「佐伯君」
政府側との照会を終えた神代さんが、低い声で俺を呼んだ。
「一件ある。ただし、失踪事件として一般に知られているものではない」
「どういうことです?」
「当時の処理が違う。施設内事故の可能性が高いと判断され、警察だけでなく労働関係の部署も入っている。だが、本人は現在まで発見されていない」
大型モニターへ古い資料が表示された。
八年前。
場所は、未来のTOP5がいた五地点のどこでもなかった。
東京都内でもない。
五地点からかなり離れた、地方都市の商業施設。
問題が起きたのは地下設備区画だった。
「また地下……」
思わず口にすると、榊原さんが先に釘を刺す。
「地下だから関係すると決めるな。設備関係の事故記録が残りやすいだけかもしれない」
「分かってます。それで、何があったんです?」
神代さんが次の資料を開いた。
当時、施設では大規模な空調設備の定期点検が行われていた。その作業員の一人が、地下三階にある機械室へ入っている。
男性。
当時二十六歳。
外部の設備保守会社から派遣された技術員。
機械室へ一人で入ったことは、廊下の防犯カメラと入退室用の電子鍵ログの両方に残っていた。
「入室時刻は午後二時十四分五十二秒」
空気が変わった。
八年前。
五地点の異常が始まったと推定される時刻。
ほぼ同じだ。
「そのあと、本人は?」
「出ていない」
電子鍵に退室記録はない。
防犯カメラにも映っていない。
機械室には別の出口もなく、設備ダクトは人間が通れる大きさではない。
「でも、それなら中にいるはずですよね」
「ああ。ところが午後二時二十二分過ぎ、別の作業員が点検の進捗を確認するため機械室へ入ったとき、誰もいなかった」
「隠れられる場所は?」
「当時の警察も同じことを疑っている。天井裏、床下、ダクト、設備内部まで確認された。見つからなかった」
逃げた可能性。
共犯者がいた可能性。
カメラの死角を利用した可能性。
電子鍵の誤作動。
全部調べられている。
それでも説明できなかった。
三枝さんが資料の一部を指した。
「工具は?」
「何だ?」
「作業しに入ったなら、工具持ってますよね。人だけいなくなったなら、持ち物がどうなったのか気になって」
神代さんが記録を確認する。
「工具箱は残っている。本人の上着、携帯電話、財布も機械室内で発見されている。作業用ヘルメットだけは見つかっていない」
「自分から逃げた人の残し方には見えないですね」
「当時もそう判断された。それでも他に説明がないため、最終的には失踪事件として捜査が継続された」
本人の銀行口座は、その日以降動いていない。
携帯電話も機械室に残ったまま。
家族や友人にも連絡なし。
海外渡航記録もない。
八年後の現在まで。
一度も見つかっていない。
「時刻をもっと細かく見せてください」
榊原さんが言った。
神代さんが入退室ログ、防犯カメラの時刻補正記録、施設の電力ログを並べる。
入室。
午後二時十四分五十二秒。
五地点で最初の大きな同期異常が出た時刻。
午後二時十五分十一秒前後。
「十九秒差……」
瀬尾が呟いた。
偶然かもしれない。
でも。
近すぎる。
「機械室内のカメラは?」
「ない。当時は廊下だけだ」
「電力ログを拡大してくれ」
榊原さんが自分の席から立ち、画面の前へ移動する。
午後二時十五分十一秒。
施設全体の消費電力には大きな変化がない。
ところが。
地下三階の設備系統だけ。
一瞬。
値が落ちていた。
停電ではない。
ブレーカーも落ちていない。
記録上は一秒に満たない。
「これ、五地点の八年前の記録と比べられます?」
「待て」
榊原さんが自分の端末から、すでに整理済みだった《七分間》のデータを呼び出す。
地震計。
無効電力。
風向計。
設備異常。
異なる機械を無理に同じ尺度へ揃えることはできない。
それでも時刻だけは比較できる。
「始点は一致する。誤差一秒未満だ」
誰もすぐには口を開かなかった。
五地点で。
空間異常が始まった瞬間。
第六の場所では。
一人の人間が。
閉鎖された機械室の中から消えている。
◇
「終了時刻は?」
三枝さんが聞いた。
「何の?」
「七分間が終わったときです。始まったときに人が消えたなら、終わったときも何か起きてないですか?」
榊原さんが電力ログをさらに進める。
午後二時二十二分台。
五地点の異常が収束したと推定される時間帯。
地下設備系統。
そこに。
もう一度。
小さな変化があった。
今度は低下ではない。
一瞬だけ。
消費電力が上がっている。
「どれくらいです?」
「大きくはない。通常変動でも説明できる範囲だ」
榊原さんはそう言いながらも、画面から目を離さなかった。
「ただ、時刻が悪い」
午後二時二十二分十二秒。
八年前の五地点で。
最後の同期異常が消えた時刻と。
ほぼ一致していた。
「つまり、この人が消えてる間だけ七分間が起きてた?」
俺が口にすると、榊原さんはすぐ首を振った。
「順番を決めるな。男が消えたから五地点が接続したのか、五地点の接続に巻き込まれて男が消えたのか、それとも共通する別の原因が両方を起こしたのか。今は何も分からない」
「でも、候補としては?」
「調べる価値は十分ある」
今までなら、それだけでも大きな前進だった。
でも。
まだ一つ。
気になることがある。
「この機械室、今もありますか?」
神代さんが資料を確認する。
「施設自体はある。地下設備は数年前に改修されているが、機械室の区画は大きく変わっていないはずだ」
「行くのか?」
三枝さんが俺を見る。
「いや、勝手には行きませんよ」
「今、一瞬行く顔したでしょう」
「現地調査は必要じゃないですか」
「必要かどうかは研究班と政府側が決めてからです。未来掲示板見て『ここだ』ってなって、その日の夜に機械室入るのはなしですからね」
正式加入数日で、すでに俺の行動パターンをかなり正確に把握されている。
榊原さんも珍しく三枝さん側についた。
「現地は調べる。ただし人間を先に入れない。まず施設図面と現在の前駆粒子分布を取る。八年前の改修前図面も必要だ。立入調査する場合も安全条件を作ってからだ」
「分かりました」
俺は素直に頷いた。
今回は。
行方不明者が関わっている。
未来掲示板の謎を解くためだけではない。
もし。
本当に。
八年前に消えた人が。
GCS-01の中央にいたのなら。
話は研究だけでは済まない。
◇
その日の夕方。
施設側から八年前の図面と事故調査時の写真が届いた。
機械室は、思っていたより普通だった。
大型空調機。
配管。
制御盤。
工具類。
事件直後に警察が撮影した写真には、床へ置かれた工具箱と、壁際に脱いであった作業員の上着まで残っている。
「ここ」
瀬尾が一枚を拡大した。
床。
工具箱の少し先。
長方形の汚れのようなものがある。
「何です?」
「当時の調書だと、結露による濡れ跡と判断されてます」
拡大すると。
縦に長い。
幅六十センチほど。
長さは一メートル半前後。
人一人が横たわれる程度の大きさだった。
その形を見た瞬間。
C1の復元寸法が頭へ浮かんだ。
でも。
まだ言わない。
「水分の成分検査は?」
榊原さんが尋ねる。
「してます。普通の水。設備から漏れた可能性が高いとされています。ただ……」
瀬尾が調書を読む。
「漏水箇所そのものは最後まで特定できなかったみたいです。写真撮影から約二時間後には乾いていて、再現もしなかったので重要視されなかった、と」
「形状だけでは何も言えないな」
「ですよね」
床の染みが。
人型に見えるわけではない。
何かの文字でもない。
ただの長方形。
それだけだ。
なのに。
嫌なほど。
C1の寸法へ近い。
「写真の原版は?」
「照会中です。今あるのは事故報告書へ貼られた圧縮画像だけです」
「なら、これ以上は保留だ」
榊原さんが即座に打ち切った。
俺も異論はなかった。
答えを急げば。
床の染みまで全部「証拠」に見えてしまう。
◇
夜になり。
ようやく一人になってから。
俺は未来掲示板を開いた。
本当は。
少し迷った。
八年前に消えた人間の名前を検索すれば。
何か出てくるかもしれない。
でも。
今の俺は。
まだ本人の名前すら聞いていない。
神代さんが個人情報として必要以上に共有しなかったからだ。
だから。
名前ではなく。
出来事を検索した。
《八年前同時接触事象 失踪》
結果は。
すぐ出た。
---
【前駆史】《七分間》ってP5以外にも被害者いたの?
1811:名無しの探索者
いた
1812:名無しの探索者
被害者って表現が正しいかは微妙だけどな
1813:名無しの探索者
地下機械室から消えた人?
1814:名無しの探索者
そう
八年前同時接触事象の「六人目」
1815:名無しの探索者
P6?
1816:名無しの探索者
違う
P5は前駆適応五例の呼び方
六人目は適応者じゃない
---
六人目。
未来でも。
そう呼ばれている。
続きを読む。
---
1817:名無しの探索者
あの人結局どうなったの?
1818:名無しの探索者
失踪扱いのままじゃなかった?
1819:名無しの探索者
古い資料ならそう
1820:名無しの探索者
GCS-01の調査進んでから更新された
1821:名無しの探索者
じゃあ死んでたの?
1822:名無しの探索者
逆
---
俺の指が止まる。
嫌な予感ではない。
むしろ。
その反対だった。
次を表示する。
---
1823:名無しの探索者
生きてた
1824:名無しの探索者
八年も?
1825:名無しの探索者
地球時間ではな
1826:名無しの探索者
本人側は八年じゃない
---
そこまで読んだところで。
背筋が。
ぞくりとした。
死んでいない。
八年前。
閉鎖された地下機械室から消えた人間は。
未来では。
生存者として確認されている。
しかも。
本人にとって。
八年は経っていない。
俺は、慎重に次を開いた。
---
1827:名無しの探索者
どういうこと?
1828:名無しの探索者
救出後の本人証言
失踪してから救出までの体感時間
約七分
1829:名無しの探索者
は?
1830:名無しの探索者
だから《七分間》なんだよ
1831:名無しの探索者
日本五地点との接続が切れたあとも
本人側では時間がほぼ進んでなかった
1832:名無しの探索者
GCS-01中央のC1に固定された状態で発見
---
俺はそこで。
スマホを机へ置いた。
未来の記録が正しいなら。
八年前に消えた一人は。
死んでいない。
今も。
GCS-01の中央にいる。
地球では八年が過ぎている。
けれど本人にとっては。
まだ。
あの日の七分間が。
終わっていない。
未来では。
救出される。
なら。
救う方法が存在する。
そして俺たちは。
本発生後まで。
待つ必要がないかもしれない。
ただし。
ここで焦ってはいけない。
未来で助かったという結果を見たからといって。
今。
無理にGCS-01を開けば。
その未来自体を壊す可能性がある。
三枝さんなら。
たぶん最初にそう言う。
榊原さんも。
同じだろう。
だから。
明日やることは。
助けに行くことではない。
どうすれば。
こちらから接続を開かず。
中にいる人間が。
まだ存在していることを。
現在のデータだけで確認できるか。
そこからだ。
未来の世界TOP5の謎を追っていたはずだった。
それが今。
八年前から止まったままの。
一人の人間を。
現在へ連れ戻す話に変わり始めていた。




